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「尿道狭窄」の障害を持った猫の小さな命を守りたい

障害者の通う作業所のみんなで支える猫カフェ。そこへやってきた保護猫サリーは生まれつき尿道が狭く、尿が出にくいという障害がありました。尿道を拡げるための手術をし、自分たちと同じように障害を持っている命、そして猫カフェの他の猫たちの幸せを守りたい。それが願いです。皆さまのサポートをいただければ幸いです。

現在の支援総額

652,500

59%

目標金額は1,100,000円

支援者数

61

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/03/30に募集を開始し、 61人の支援により 652,500円の資金を集め、 2021/05/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

652,500

59%達成

終了

目標金額1,100,000

支援者数61

このプロジェクトは、2021/03/30に募集を開始し、 61人の支援により 652,500円の資金を集め、 2021/05/31に募集を終了しました

障害者の通う作業所のみんなで支える猫カフェ。そこへやってきた保護猫サリーは生まれつき尿道が狭く、尿が出にくいという障害がありました。尿道を拡げるための手術をし、自分たちと同じように障害を持っている命、そして猫カフェの他の猫たちの幸せを守りたい。それが願いです。皆さまのサポートをいただければ幸いです。

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今日は猫ではなく、人間より少し真面目なお話を、、、


「可哀想」という言葉があります。

可哀想という言葉は何だかニュアンス的にいい言葉のような気がします。しかし国語辞典を引いてみると「みじめな状態にある人に対して、同情せずにいられない気持であること。ふびんなさま。」とでてきました。


このように考えると可哀想という言葉は、かなりイヤな言葉に思えますね。「みじめ」「ふびん」とどんな立場にいてもあんまり言われて嬉しくないですね。

それに一時しのぎの可哀想と、長い目で見た時の可哀想は別のモノで、それはたとえ猫であっても同じこと。

注射は痛いから可哀想とか、盲導犬が盲目の方に文句も言わずに導き続けるのは可哀想とか。

しかし、注射しなければ、病気によっては死んでしまうし、盲導犬は子供の頃からみんなから愛情をたっぷり注がれ、自分の仕事だと信じてどんな時も喜んで障害者を導きつづける。

それはたとえ飼い猫であってもその命は飼い主のものではありません。その子の命はその子のものなんです。

それを理解しながら、猫たちと過ごさなければいけないですよね。

大切なひとつひとつの命を預かっているのですから。

生意気を申し上げました。

お気にいらないというところがあれば、心からお詫び申し上げます。


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