この度はご支援頂きありがとうございます。
クラファン担当臼倉です。
『賞レースを作った男』自体は1週間後なのですが
『賞レースを作った男』の冒頭部分だけでも立ち読みしてほしいと思いまして
目次までを先行公開します。
これを機に決勝映像に少しでも興味を持って頂ければ嬉しく思います。
序章『芸歴11年以上の賞レースが出来るまで』
突然のルール改定
11月27日R−1ぐらんぷりは突如R-1グランプリと名前を変わり、参加規定も10年以内になったのは本当に驚きました。
恐らく参加規定を変えたのは今勢いのある若手からスターを生み出す大会にしたいという事でしょうけども、今も思ってもこのR-1グランプリ参加規定が突然変更した事は本当に悲しい出来事だと思いました。
僕個人がその参加規定が変わる事を知ったのは記者会見の1週間前でして
別の芸人さんが芸人のネットワークで『大会として芸歴10年以内になるのはほぼほぼ決定らしい』という事をとあるライブハウスでの場当たりで聞く事になりました。
そして、1番は何よりも衝撃を受けたのがこれを機に芸歴11年以上の芸人がいろいろなライブをキャンセルし始めたのでありました。
特にこれからR-1グランプリでネタをかけようとした賞レース対策ライブでは次々とR-1グランプリの参加規定によりキャンセルする芸人が増えていました。
毎回Twitterで溢れる
○○がキャンセルしましたという告知が自分のスマホ画面を埋め尽くしのは今でも衝撃を覚えてます。
そして、自分の主催ライブでもその余波は受けまして毎回、20年以上やってるピン芸人さんが僕の主催ライブのグループラインで『ライブシーン引退』まで宣言するようになりました。
そして、続けてこのようにもLINEが来ました。
『いやぁ、でもライブに出る意味がありませんですし・・・』
僕はこの瞬間とっさに思ったのは
『この参加規定は今後ライブシーンにとって良くないな』
と思いました。
そして、私はこれから芸歴11年以上の賞レースを作れないのか考えるようになったのそう時間もかかりませんでした。
雑魚なら何でもやれ!
芸歴11年以上の賞レースを作ってみようと思い、大阪で活動しているミラクルチャップリンさんにチラシを作ってもらい。エントリー募集のメールを各芸人に飛ばしたのは時間もかかりませんでした。
なぜ、ここまで早くに動く事ができたのか。
僕は堀江貴文さんの本である名言を座右の銘にしているからです。
その言葉とは『雑魚は何でもやれ!』という言葉です。
僕は今年で芸歴10年目ですが、芸歴をこれだけ重ねても売れてない以上自分を雑魚だと思っています。
だったら自分が世に出るまでに何でもやるしかない。
倍率の高い部分を避けて誰もやっていない部分ばかりを考える事だけに特化しました。
1番最初にやったのは主催ライブ『漫才☆パレード』松竹角座凱旋です。
普段は他事務所や企業が借りている劇場なのですが、同期の芸人いわく
『松竹角座を芸人個人が借りている人間を未だかつて見た事はないそうです。』
その次に行ったのが渋谷ラママ新人コント大会で使われている劇場で開催した
『ピン芸パレードin渋谷ラママ〜ザク山田軍VSツナコメ軍』
ウッチャンナンチャンさんも立った劇場で50組の芸人を出しました。
さらに東京の参加費ライブシーンばかりではお客様の層が増えないと感じて始めた地方遠征や
さまざまなイベントで漫才を通じて生の漫才を普段から見れない土地に出向いて披露した
『ボランティア演芸』や『漫才流し』という職業の確立などライブや寄席とは違うパフォーマンスで赤十字病院にて漫才をやった事もいろいろな芸能人の親類のお店で漫才をさせて頂いた事など貴重な経験をさせて頂きました。
そして、2020年3月には『アイラブ地下ライフ!』を出版。同年11月にはFMyokohamaさんでうすくら屋漫才のCMを流してもらうなど僕の人生は堀江さんの言葉があっての人生といっても過言ではないのかなと思います。
まず賞レースを作るにあたってどんな賞レースをしたいかと思った時にやはり最後は立派な舞台で幕を閉じたいなと思いました。
その時頭にパッと浮かんだのが松竹角座でして松竹角座を選んだ理由は以下の理由から選びました。
・予約がスピーディーに出来る
・プロのスタッフがついている。
・新宿駅からアクセスが最高。
この3点で選ばせて頂きました。
気になる点といえば、マネーの事だっだりするのですが予約の際はまずお金の事を無視する事にしました。
お金は投資すれば後からついてくる。そう自分に言い聞かせながら松竹角座のお問い合わせサイトにメールしました。
というより、それぐらいこの問題に対してちゃんと向き合わないと思いました。
言ってしまえば、これは今後のお笑い界を変える歴史的事件と心の中で思っていまして
この問題を中途半端に扱ってはさらにベテラン芸人の居場所を失いかねないと思いましたからね。
とりあえず、少しでもR-1本家のイメージがつくように日程も2月終わり頃として
1回戦2回戦は普段からお世話になっている小屋を一気に10日分借りました。
あとは舞台監督に主催ライブ経験者の丸山れいやさん、カメラに詳しいレッスンさん
アブラソバ寄席のレギュラーである太田トラベルさん、ザクマシンガン山田さんを加えて
1つのチーム一丸となってBe-1グランプリを運営していく事になりました。
売れてりゃボロクソに言っていいのかよ!
そんなBe-1グランプリチームを立ち上げ
Be-1グランプリの公式アカウントが立ち上がると一気にBe-1グランプリの存在が少し話題となりました。
中には『おいでやす小田さん、出るのかな』と期待の声がある一方で『怪しい』『●散臭い』『架空の大会ではないのか』と正直ありました。
『よくよく考えなさいよ。表舞台に出ようとしてる芸人がそこでウソをついて何の得があるのでしょうか。』
と当時内心思っていたのですが
やはり、ひとりの芸人がそれぞれのスキルを持った芸人を集めて賞レースをやるという前例がない行為に理解が追いつけないのは無理はないなと思いました。
そして、さらに私の身に事件は起こりました。
某漫才師は地上波のラジオで『うすくら屋という双子漫才師がネタを磨かずに賞レースをやっている』とイジってきたのでありました。
それに対しては正直腹が立ちました。
恐らく聞いてた方は『ここで名前を出して優しいね。』と思う方はいますが
それならば『賞レースを立ち上げて頑張ってる。すごいよね』で良いのです。
それどころか僕らが単独ライブでネタをたくさん作っていた事も知ってか知らでか
『ネタを磨かずに』という表現は全く事実無根ですからね。
このコロナ渦だからこそお笑いライブシーンを盛り上げるために立ち上げた事なのにとても悲しい気持ちになりました。
地上波で冠番組を持つようになったら、出ようと努力してる人間に対してボロクソに言っていいルールでもあるのでしょうか。
だったらトコトンやったるやないかい!
は怒りをパワーに変えてBe-1グランプリの運営に励みました。
そして、みんなに私は誓いました。
絶対出なかった人間が後で後悔するような大会にしよう。
たかが大会、されど大会。
Be-1グランプリはこうした逆境からスタートしたのでありました。
序章 もう出る意味がないですし・・・
・突然のルール改定
・雑魚なら何でもやれ!
・売れてりゃボロクソに言っていいのかよ!
第1章 Be-1グランプリ発足
・最初は自腹を切ってやる予定だった
・どんな大会か把握させたかった
・そもそもなぜ大会を開くのか?
・おじさんでも夢は叶う事を証明したい
・クラファン設立
第2章 賞金が50万円までになりました
・ついにファイナリストが参戦した
・製作日誌で初めて良かった事を書いてみた
・1口スポンサーも集めました
・エントリー数が40組になりました
・敗退した方にもオイシイ思いをしてほしい
・常に革命は常に起こし続けなければいけない
・私も稼ぐ事にしました
・勝つ事だけに意味のあるコンセプトとしない
・感想言う担当に号泣赤岡典明さん決定の話
・審査員が素晴らしすぎる
・賞金が50万円までになりました
第3章 Be-1グランプリ2021予選スタート
・緊急事態宣言について
・熱狂はいろいろな人へと伝染していった
・大会が少ない東京のお笑いシーン
・1回戦全日程終了
・運営側になって気づいたこと
第4章 今年のファイナリスト決定
・来年も中野TWLでやりたい
・主催者を襲ったピンチ
・ファイナリストが決まりました。
・決勝戦チケットもわずか4日で完売
・決勝の準備はいろいろとやる事が多かった
第5章 Be-1グランプリ2021決勝の裏側
・決戦前夜もバタバタしていました
・ヤフーニュースにもなった敗者復活
・決勝戦の舞台裏
・初代王者野田ちゃんさん
・第1回大会後の反響
第6章 『それでもBe-1グランプリは終わらない』
・リターンを返すまでがBe-1グランプリです
・サインの旅へ
・ラジオトーク収録の際に聞けた裏話
・4月1日から5月6日までクラファン
・クラファンはお笑い界に革命を生んだ
第7章 賞レース運営を通して
・お金を使う目的は明確にした方がいい
・誰かの推しになれ
・やるからには早いうちにやった方がいい
・好きな事をやりなさいというワナ
・ルールを破ってもマナーは守るぜ
第8章『これからの自分を考える』
・世渡り下手なりの生き方
・結局、継続は力なり
・価値を見出す作業は徹底的に
・理想のゴールを考えてみた
終わりに
R-1グランプリの運営について
続