子どもの頃、複数のゲームコンソールを持っていました。ゲーム会社に拘らぬどんなゲームもプレイしました。もちろん友だちと外で遊ぶことは多かったし、一緒にゲームすることもありました。誰も遊べないときはソニックを最初から最後までプレイしました。
夜になると、兄と2人でスポーツゲームを何時間も遊びました。あのとき、シーズンやプレーオフがなくワンプレイのみでした。ワンプレイのみでも、2人でシーズンを作り、統計まで紙に記録し保存しました。手間かかったが、やる価値はありました。
早送りして、大人になっていました。沖縄に住んでいて、ゲームプログラマーになる夢は実現できていませんでした。他の仕事で挫折し、家族を養えない状況に陥りました。落ち込む暇もなく、夢に向かうことに決意しました。
2016年4月に株式会社Left Foot Games(LFG)を設立しました。沖縄の学生にアプローチして、チームが結成しました。その過程で分かったことが、沖縄の多くの学生がゲーム業界に入りたくても、沖縄を離れなければならない状況が多いです。これは悲しいことです。
生まれ育った環境を離れることによって頭脳流出問題が生じてしまいます。この問題があるからこそLFGの成功が大事だと思います。沖縄に残りたい人、沖縄に帰りたい人がやりたい仕事のできる職場にしたい。家族を養える賃金を従業員に与えたい。それが真の夢です。
-マット