2021/12/24 10:58

24日00:00より挑戦が始まりました!

虹明(koumei)の塩出明(しおいであきら)と申します。


一緒に過ごしたジョンとにゃん太郎との別れ、

後悔から動物病院に勤務したたくさんの出会いと経験を発信することで

少しでもご家族の心が穏やかになれる場をつくりたいと思っています。


クラウドファンディングのページでにゃん太郎のお話をさせていただきましたが

ジョンとのお話することができなかったので

こちらの活動報告ページにてお話させて頂きたいと思います。


ジョンは僕が生まれると同時に家にやってきたダックスでした。

僕の両親は自営業で、ジョンはそのお店で過ごしていました。

同じように歳をとり、ジョンは13歳で虹の橋へ。

小学校6年生(卒業後)でした。

ジョンが息を引き取った時僕は従兄弟の家にいました。

従兄弟の家の電話が鳴り、母親の電話でジョンが亡くなったことを知ります。

8月6日でした。


まだ小学生で初めて一緒に過ごしたジョンが亡くなったことを

悲しいとか辛いのではなく「怖い」という感情が先にきてしまい

母親が「最期会いにおいで」と言いましたが頑なに拒みました。

もう動かないジョンの姿をどうしても見ることができなかったのです。

一度電話を切りましたが母親は何回か電話をくれてジョンに会った方がいいと話しました。

それでも僕は会おうことができず、姿を見ることなく空へと旅立っていきました。


今の僕が小学生の自分に声をかけれるのなら「会わないと後悔するぞ!」って

言ってしまいそうです。

最期に向き合えなかった分、今会いたい気持ちはすごく大きいです。


一緒に散歩に行ったこと。

公園の遊具に乗らせてしまってヘルニアが悪化してしまったこと。(本当にごめんね)

スイカが大好きだったこと。

女の人が大好きだったこと。

よく吠えたけどすごく優しかったこと。


ちゃんと会って「ありがとう」を伝えたかった。と今思うのです。

当時の「怖い」という感情はきっと

率直に亡くなった姿を見るのが怖かったのと

亡くなったことを受け入れたくないという気持ちからだと思います。


ジョンが虹の橋を渡って約16年が経ちます。

空では元気でやってますか?

ジョンは僕の心の中で生き続けています。


今度実家のアルバムを漁って、ジョンと

にゃん太郎の写真がないか見てきます!


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すでにご支援していただいた方誠にありがとうございます。

定期的にイニシャルにて支援報告をさせて頂きますm(__)m




虹明 塩出明