2021/09/21 12:35

今回は、代表の私、北山薫が23年間勤めた経済産業省を辞し、アルゼンチンワイン専門輸入商社を起業するに至った経緯について、ご紹介させてください。

1996年からの23年間、経済産業省の職員として、エネルギー政策、産官学連携、国際経済協力、国際標準化戦略、製造産業政策など、日本の様々な業界を支援する仕事に携わってきました。転機は2017年、南米ペルーへの赴任でした。

在ペルー日本国大使館にて日本企業支援の担当官として3年間、勤務することになったのです。日本企業のプレゼンスを南米ペルーでも発揮してもらえるように頑張ろう!意気込みは大きかったと思います。しかし、多くの日本企業が目指すビジネスの地はアジアやアフリカであって、日本から30時間も離れた南米大陸でビジネスを考える企業は本当に限られていました。南米の熱気を思うように伝えることができない、時間だけが過ぎて行く・・・常に焦りを感じていたように思います。

そんな日々の生活に彩りを添えてくれたのがアルゼンチンワインでした。ペルーのスーパーでは、チリワインよりもアルゼンチンワインの陳列の方が圧倒的に多く、週末のたびにマルベックを調達しては友人家族と集まり、ワインや料理を持ち寄って、日本から遠く離れた異国での生活を語らい合いました。こんなに美味しいワインがあったんだね!南米には!!海外駐在員の誰もがアルゼンチンワインの虜になっていたと思います。

赴任後初の夏休み、アルゼンチンワインの虜になっていた私たち家族は(一人娘には不評でした)、念願のメンドーサに飛びました。今でも忘れられないのですが、メンドーサ入りした夜にホテルロビーのカフェで飲んだマルベックの美味しいこと!!カフェで飲むワインすら美味しいのか!!衝撃でした。

翌日、現地人ガイドにメンドーサワインについて解説してもらいながら3つのワイナリーを訪ね、その一つがカサレナでした。ワイナリーに到着して直ぐに目に飛び込んできたのが、ワイナリーの外壁に描かれたアートでした。素敵な彩りのアートに漢字の「直樹」と書かれていたのです(正確には「樹直」と逆さまに書かれていました(笑))。え?どういうこと?!ここのワイン造りに日本人が関わっているということ?!直ぐには理解が追いつきませんでした。

ワインをテイスティングしながら「直樹」のことをスタッフの方に聞いてみると、ワイナリーオーナーのお孫さんの名前で、4つの自社畑にそれぞれお孫さんの名前を付けていて、ナオキくんのお母さんは日本人だということが分かったのです。カサレナの女性スタッフが丁寧にそのストーリーを話してくれました。日本から遠く離れた南米のワイナリーで日本人の血を引くお孫さんと繋がれるとは夢にも思いませんでした。

そしてまた、試飲したマルベックの美味しさにも衝撃を受けた私たちは、次から次へと試飲し、4つの畑の土壌や場所、気候が異なることでこんなにもワインの味わいが変化するということを初めて知ったのでした。まさにこの時の出会いがその後の北山商事誕生に繋がる第一歩だったのです。

その後、アルゼンチンワインのことをもっと深く知りたいと思うようになった私たちは、スーパーに食材を買い出しに行くたびに、酒コーナーにも必ず立ち寄り、陳列棚の片端から一本ずつ潰していくように買っては飲みを繰り返しました。不思議なことに、アルゼンチンワインの色んな銘柄を飲めば飲むほど、カサレナワイナリーへの想いがどんどん深まって行ったのです。ついに、夫はカサレナワイナリーのアジア担当のニコラスと連絡を取り合い、単独で再び、カサレナワイナリーに行ってくるとなったのです。英語もスペイン語もカタコトの夫がそれでも単独で乗り込むと聞いたとき、この人は本気なんだと理解しました。リマに戻った夫は、カサレナで新たに知り得た情報とカサレナから貰ってきたマグナムボトルのカベルネ・ソーヴィニョンを友人たちを交えて飲みながら、熱く語りました。

その後も、オンラインでニコラスと何度もつなぎながら、彼のカサレナとの出会いやカサレナに対する想い、カサレナのビジョンなど深く知るにつれ、私自身もどんどんカサレナワインの魅力にハマって行ったのです。その一方で、どんなに辛くても定年まで役所に勤めあげるのが筋だろうと考えていた自分と向き合うことになりました。

駐在生活も残り一月となった2020年2月、私たち家族は再び、メンドーサへ、カサレナワイナリーへ飛びました。出迎えてくれたのは、カサレナの女性プレジデント(現・ダートリーファミリーワインズCEO)のクラウディアとその家族、アジア担当のニコラスと奥さんのマリア、農学者のパブロ、醸造家のレアンドロでした。

全ての畑をじっくり歩き、パブロからテロワールの説明を受け、カサレナのゲストハウスでクラウディアらワイナリーチーム全員ととことんカサレナの未来について語らい合いました。クラウディアは企業のトップとして、それこそ24時間、会社のことを考えているような仕事人間ですが、スタッフを信頼し、彼ら家族への思いやりも欠かしません。クラウディアは仕事人であると共に、3人の可愛いい子供たちとイクメンの旦那さんに愛されるお母さんで、クラウディアからのメールには、私の一人娘を気遣うメッセージがいつも添えられています。ニコラスはカサレナに加わる前は、メンドーサワインを世界にプロモーションして周る公的機関Pro Mendozaで10年のキャリアがありました。カサレナではアジア担当として、香港、中国市場への輸出を大成功させた人物で、今ではタイ、マレーシア、インドネシアなどの東南アジアへの輸出も拡大しています。ニコラスは私たちからのどんな質問や要望にも常に寄り添い、一緒に歩もうとしてくれるとても誠実で頼り甲斐のある人です。彼の奥さんのマリアもまたアルゼンチンワインの輸出業に携わっていますが、マリアは学生時代に日本でホームステイをしていた経験があり日本語もペラペラです。ニコラスの日本市場への想いはマリアの影響もあるように思います。パブロは農学者として、常に畑で土やブドウに触れ、天候など様々なデータを録りながら、常にテロワールのことを考えているプロフェッショナルですが、私たち素人にも畑のことを知って欲しいという思いから、専門的な話を沢山してくれます。時には専門的過ぎてついていけない私たちに、冗談を言いながら場の雰囲気を和ませてくれるようなムードメーカーでもあります。レアンドロはカサレナチーム最年少でありながら、海外で修行した経験を思う存分発揮する醸造家で、その手腕は彼の師匠である、クロス・デ・ロス・シエテ(アルゼンチンのテロワールに魅せられたフランス人ワイン醸造家ミシェル・ロラン氏がワイン造りへの情熱を持った6名と共に畑を所有・醸造するプロジェクト)の醸造家からも一目置かれる人物です。また、醸造家としての意見を一方的に主張することは決してなく、テロワールを愛し、テロワールと向き合うパブロの仕事をとても尊重しています。

経済産業省での日々は、時には膨大な業務量に押しつぶされそうになりながらも、日本の未来をとことん考えるというスケールの大きな仕事にやり甲斐も感じていました。一方で、大企業や業界といったマスの力を支援する仕事の在り方に限界を感じることが増えていたことも事実でした。そこに来て、カサレナワイナリーのスタッフとの出会いは、カサレナというワイナリーの未来にスタッフ一人一人がコミットし、情熱を持って向き合い、かつ、そうした仕事への情熱を家族も理解し、応援し、家族もひっくるめてチームを形作っているような実に人間味溢れるチームと出会ったことで、彼らこそ私の理想とする”スモール・ジャイアンツ(アメリカ人ビジネス・ジャーナリスト、Bo Burlingham氏による著書『Small Giants』で提唱された、組織の規模は小さくてもグローバルに飛躍し世界を変える可能性を秘めた企業)”なのではないか、そう実感したのです。

もう迷いはありませんでした。
私は、日本に帰国後、23年間勤めた経済産業省を辞め、アルゼンチンワインの輸入商社を立ち上げるという、第二の人生をスタートさせる決意を固めました。