2021/11/16 23:31

11月14日の日曜日に、またテロが起こってしまいました。国を挙げて犠牲者の喪に服するために、木曜日までコンサートなどの歌舞音曲は差し控えることになりました。これはグリオや他の音楽家たちにとっては、収入の見込みが失われたことを意味し、その日暮らしの人々にとっては手痛いです。歌舞音曲といっても、歌え踊れのどんちゃん騒ぎとは限らず、いろいろな種類があるのに、一斉に自粛というのはどんなものかという意見もあります。

リードボーカルのマブドゥのいとこは、今回テロの襲撃を受けた憲兵隊にいて、日曜日からずっと連絡が取れません。まだ二十代半ばのうら若い青年です。彼のお兄さんも警察勤めでマリとの国境警備に配属されています。このお兄さんとは家族同様に親しくしていますが、今朝泣きながら電話を掛けてきて、軍の中央オフィスへ行ってなんとか情報を入手してくれないかと頼まれました。マブドゥは早速出かけて聞いて回りましたが、犠牲者については二十名が確認されたというだけでそれ以上のことはわかりませんでした。時間が経つにつれて絶望が深まってきますが、一縷の望みを繋いで祈るばかりです…

テロの起こった地域には金鉱があるんです。地下資源があると先進諸国はそれを見逃しません。政治的手段を使ってその利権を勝ち取ろうとします。当然それに対する不満分子は多くいて、いわゆるテロが起こりますが、テロリストの武器も結局は先進国が売ったり与えたりしているという噂で、アフリカ人が勝手に引き起こしている問題では決してないんです。憶測以上のことは知りえませんので、状況を解説することは控えますが、地下資源のある国·地域はみな、このような状況にあるのは事実です。

グリオも生活のために、子弟を警察官、憲兵隊、学校教師などにさせるケースが多く、そうして「月給取り」になった子弟は、両親兄弟のみならず多くの親類縁者の生活を支えています。そうした子弟を今回のような事件で失ってしまった場合は、耐え難い悲しみの上、家族の先行きも真っ暗になってしまいます。

私たちのオペラはそもそもこのような内容を扱っていますが、自分たちがその只中にある現実を表していくのは、なかなか容易でないことに気付きます。

台本の原作者のMoyiさんは「国に平和がなければ何事も真に発展させるのは困難です」と言っています。彼の故郷のコンゴ共和国はブルキナファソよりもさらに豊かな鉱物資源に恵まれているだけに、国の状況はさらに過酷だそうです。

日本の、戦後生まれの私が、どれだけこの国の人々の感情に寄り添えているのか自信がありません。ですが時々、発展途上国と呼ばれる地域が発展できないのを彼らの努力不足だという意見を耳にすると悲しくなります。それはあんまり偏った、ひどい言い方だと思うのです。裏を返せば、先進諸国の裕福な暮らしは、発展途上国の犠牲の上に成り立っているということも出来ると思うのです。

オペラプロジェクトを通して、ブルキナファソでの現実を垣間見ていただくことくらいしか私にはできませんが、皆さまが読んでくださり、知ってくださり、何かを感じてくださることに、実は無限の意味があるのかもしれないと思っています。