こんばんわ*立て続けの投稿になっていしまい大変失礼いたします。前記事にてアトリエの拡大状況の報告、新居地に移動してからのオムライスとメロンパンの様子をご報告させて頂きましたが本プロジェクトの要でもあります “保護猫活動” についての記録と今後の活動方針についてお話しさせていただければと思います。この半年の間で感じたこと、気づいたことがございますのでご報告させていただきます。実家にいるおデブにゃんこのオチャーと当時3歳の娘少しづつではありますがアトリエとして、保護猫施設設立に向け準備を進めてきた半年間、資金集めから、本業である日本画の出展準備、オムライスの病気発症と目まぐるしく一瞬で時が過ぎて行ってしまったのですがオムライスの容体も落ち着き「今の自分ができる保護猫活動はなんだろう?」と考え始めていた頃。実家の母から連絡を受け、上記添付写真に写るおじいちゃん猫の “オチャー” が老化からくる認知症が進み、道路のど真ん中や危ない場所で寝てしまったり、道に迷って帰って来れなくなっているとの相談を受け、改めて猫の老後のお世話の大変さに直面しておりました。実家は鳥取県にあり、敷地も広く大自然の中でゆとりのある暮らしができる土地柄ゆえ、猫たちも自由に外や家を歩き回っています。特に実家周辺はのどかな地域なのもあり猫たちは村の中への散歩はもちろんのこと、大体の時間を庭で過ごしたります。オチャーもその中の1匹でお散歩が大好きです。そんな自由な生活をしていたオチャーを、急にゲージで介護をしていくことはオチャーにとっては過度なストレスとなり寿命を早めてしまうことにならないか、と母と何度か話し合いました。また、私はオチャーが生まれた時からずっとオチャーをお世話をしていたのでなんとか大阪に連れてきて介護ができないものかと母に相談していました。オチャーはとても温厚な男の子で面倒見もよく、近所で彷徨っていた子猫を家に連れて帰ってきてしまうほど母性の強い子でした。私の娘やその他の動物にも怒ったことがなく、今思えばオチャーの威嚇姿を見たことはありません。野生の本能や危機感は皆無な様子(笑)娘に歌を聞かされながら歌い終わるのを待っているオチャー、、。そんなオチャーだからこそ、オムライスやメロンパンとも仲良くできるのでは?と感じたこと、外で何があるかわからない環境より、家の中で側で常に見ていてあげられる環境の方が安全なのでは?と色々な想定を思い巡らせ何度も何度も実家の母と父と相談を重ね、結局実家で様子を見ることに決めました。理由は生まれ育った場所でのんびり老後を過ごせることが、オチャーにとっては1番望む環境なのではないかと判断したからです。ですが認知症が入ってしまった猫の介護は思った以上に難しく、1週間帰って来れないことが何度か続いてしまい結局苦渋の決断でゲージ内で介護をすることになり、私はその都度様子を見に実家に帰るという決断になりました。今まで自由に外を歩き回っていたオチャーにとって狭いゲージでの生活がストレスだったのはいうまでもなく、それからすぐ体調を崩してしまい病院へ行ったところ、すでに加齢が進んでいるのはもちろんのこと、膵臓が弱っているためもう長くは生きられないとの診断を受けました。今年でオチャーは14歳。今からできる手術などはなく、結局薬を飲みながら膵臓の悪化を遅らせることしかできず、今オチャーのためにできることはできるだけ一緒にいてあげること、一緒にお散歩をしてあげることくらいでした。大阪へ移動できる体力がオチャーにはなく、負担になってしまうのではという想定から大阪で介護することもできず、結局オチャーの介護は全面的に実家の家族に任せる判断となりました。そして今年の8月31日、オチャーは眠るように静かに息を引き取ったとの連絡を母から受けました。その日オチャーはとても体調が良さそうで、父はいつもより長めにオチャーと散歩していると電話で話しており、電話の最中も「天気もいいし気持ちよさそうにしてるからもう少し散歩してから家に戻る」と父も話していたので、私もホッとして「そのまま回復に向かったら迎えに行くね」と約束を交わしたところでした。大好きな散歩が終わってしばらくしてから容体が急変し、父が急いで病院へ駆け込んだのですが獣医さんに今日が峠かもしれないと言われ、このまま家で看取るのか、奇跡にかけて治療してもらうのか迷ったところ、1ミリの可能性でも諦めることができず、病院へ治療のお願いをしました。今思えばオチャーの最後の気力で、少しでも長く散歩をしたかったのかもしれません。そのまま朝方静かに息を引き取ったオチャーは全く苦しむこともなく最後の瞬間を終えたそうです。私は今日までこの報告をできずにいました。本来ならもっと早く、この活動報告にオチャーの懸命に生きる姿や、動物の老後、介護のリアルな現実を支援してくださった皆様や応援してくださっている方々に報告するべきだということは重々わかってはいたのですが実家のオチャーに何度か会いに帰り、ゲージの中で寂しそうにするオチャーは「外に出たい」「一緒にいたい」「自由に走り回りたい」「寂しい」といっているようで私は何度もカメラを向けたのにシャッターを押すことができませんでした。頑張って生きるオチャーの姿に感化され励まされ、SNSを通して他の方達に支援が広がり伝えられることも多いのではと、理解はできるのですが、それでも私は写真ではなく目に焼き付けていたいと感じました。今を懸命に生きてるオチャーを、今一緒にいる私が感じてあげたいと。カメラを回す時間がとても惜しくて、1分でも長く同じ景色を見て、少しでも長く抱きしめてあげたかったです。保護猫活動を拡散しネットやSNSで配信していくということの意味がようやくわかったような気がいたしました。私はジャーナリストのようにリアルタイムで配信や実況を行う強さがありませんでした。ドキュメンタリー番組のように、リアルなツイート、配信を行うことで現実感が増し身近に感じられ、きっと支援してくれる、応援してくれる方々が増えるのだと、そうは思うのですが、命が消えていく瞬間を私は何度経験しても割り切ることができませんでした。私の弱さだとも感じました。最後の瞬間にそばにいてあげられなかったこと、最後までオチャーの望むことをしてあげられていたのか、何度も悔やみ、考えてしまします。保護猫を事業に交えることの意味を改めて考えさせられた期間でした。きっと良い面しか見えていなかったのだと思います。辛く悲しい面に直撃したことは何度もあっても、それを誰かに報告、公開したことが経験になく、今になってその現実に向き合っています。この経験を得て私は保護猫活動を何があっても“ビジネス“にはしないことに決めました。事業として運営するにはあまりにも私自身が未熟であると感じたのと共に、利益や生産性ではなく、どこまでも行っても猫自身の気持ちに心身ともに寄り添いたいなと感じました。保護猫活動は今後も続け、自身の活動と共に猫のいる暮らしが皆さんにお届けできればと思いますが、「リアルさ」だけを追求した配信は今後も行わない方針で活動していくことと致します。もしかすると「ねこのアトリエ」としての保護猫活動は今後大きく飛躍することはないのかもしれません。それでも猫と人とが一瞬一瞬を寄り添いながら過ごせる施設づくりを目指し、今後も慎ましく活動していければと思います。プロジェクト立ち上げからの今日まで、あまりにも学ぶことや感じることが多く、私の中でまだ整理しきれていない部分もありますが辛く悲しい部分とも向き合いながら今後自分がどうあるべきなのかを常に考え、これからも助けられる命に寄り添うこと、できることを模索しながら日々精進いたします。以上をもちまして本投稿を最後にクラウドファンディングでの活動報告を終えたいと思います。いづれどこかのSNSなどで「ねこのアトリエ」を運よく見かけられた際はお声がけいただけると嬉しいです*今日まで暖かく見守ってくださった皆様、誠にありがとうございました。優しいオチャー、いつもありがとうね。オチャーの優しさに怒りっぽい家族もみんな助けられてたよ。天国でたくさん食べてたくさんお散歩して頑張った分幸せに過ごしてね。生まれ変わったらもっともっと幸せにしてあげるからまた会いにきてね。ねこのアトリエプロジェクトオーナー/大月