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広島観音ねぎ、瀬戸内のレモンとちりめん!広島にこだわった担々麺を食べて頂きたい!

ITの会社を脱サラした東京生まれ東京育ちの私が、瀬戸内海のちりめんじゃこ、広島観音ねぎ、そして瀬戸内広島レモンなど広島食材があふれる本格四川料理の汁なし担々麺を食べて頂きたいのには理由があります。

現在の支援総額

221,000

55%

目標金額は400,000円

支援者数

14

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2021/07/30に募集を開始し、 14人の支援により 221,000円の資金を集め、 2021/08/31に募集を終了しました

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現在の支援総額

221,000

55%達成

終了

目標金額400,000

支援者数14

このプロジェクトは、2021/07/30に募集を開始し、 14人の支援により 221,000円の資金を集め、 2021/08/31に募集を終了しました

ITの会社を脱サラした東京生まれ東京育ちの私が、瀬戸内海のちりめんじゃこ、広島観音ねぎ、そして瀬戸内広島レモンなど広島食材があふれる本格四川料理の汁なし担々麺を食べて頂きたいのには理由があります。

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汁なし担々麺専門店『広島担々麺JiN』をオープンすることになりました中里仁(なかざとじん)と申します。コロナウイルスの影響が尾を引いていることもあり、現在の勤め先でのお仕事を続けながら、まずは日曜日限定営業をシェアキッチンでスタートすることになりました。

東京生まれ東京育ちの私が、なぜ広島にこだわった汁なし担々麺を食べて頂きたいのか説明するには、ここに至るまでの経緯を紹介しなければいけません。少々長くなりますが是非ご一読ください。

私は大学卒業後、2000年にインターネット関連の小さな会社を作りました。2008年にはビジネスモデルを注目していただき、テレビ東京の有名ビジネス番組で密着特集されるなど当時話題となりましたが、ビジネスモデルを上手くマネタイズすることができず事業を2010年に終了することになりました。

その後サラリーマンとなった私は、やはりインターネット関連の会社などでお仕事をさせていただきましたが、10年間燃やし続けた情熱を取り戻すことが出来ず、悶々とした日々を過ごしていました。

広島県宮島の弥山にて

2014年、仕事の都合で単身広島市内に約1年間生活した私は、広島の地でたくさんの貴重な出会いがありました。仕事がなかなか上手くいかず困っていた私を物心両面で助けてくれた広島の方たちへの感謝は一生忘れることが出来ません。と同時に、お好み焼きをはじめとする広島ソウルフードとの出会いは私にとってとても貴重な出会いでした。
広島市内のいたるところで見かける飲食店はどこも熱気で溢れていました。
店内は市内の人だけではなく世界各国からの観光客たちで賑わい、人々は広島の独特な文化に惹かれ感動していました。

そして私が何よりも惹かれたのは、広島の料理人の姿でした。
彼らは世界中のどんなお客様が来店しても、決して飾ることなく、そして少しも臆することなく胸を張って仕事をしていました。自分たちのソウルフードと、自分たちの仕事に対する自信と誇りに満ちた姿が最高にカッコいいと思いました。そしてその自信と誇りは情熱という炎で燃え上がり、店内は熱気であふれていました。その光景は私が東京の飲食店では感じたことがないものでした。
私がかつて自分の全てをかけていた私の仕事には、自信と誇りがありました。
私が取り戻さなければいけなかったものは情熱ではなく、自信と誇りだったのだということを広島の料理人たちの姿から学ぶことが出来ました。

東京に戻った私は、お世話になった会社に退職届を提出し、その足で広島お好み焼きの人気店「倉はし」の面接を受けました。私は面接時に「いつか広島の彼らのように自信と誇りに満ちたお店を海外に持ちたいので修行させてください。」とお願いしました。広島県呉市倉橋島出身の月光フーズ宮本社長は大きく頷きながら私の夢に共感してくれました。
年齢は40歳を超え、長男は中学校に入学していた年に、包丁の握り方も知らない男の修行が始まりました。

広島お好み焼き修行時代

お店は連日たくさんのお客様で賑わう繁盛店で、デスクに座りパソコンを見つめる仕事ばかりしていた私にとって慣れない立ち仕事は非常にきつく、1日が終わる頃にはいつも倒れそうなくらいに疲れ切っていました。仕事を始めて半年が経った夏の日、お店の片づけ作業をして疲れ切っていた私は180℃の油を顔や右半身に浴びる大事故に遭ってしまいました。右手の火傷は特に酷く、5時間にも及ぶ皮膚移植手術を受けることになりました。

しかしこの試練を越えた先に、必ず希望は見えるはずと信じ、痛みと熱さ、地獄のようなリハビリも乗り越え、私の右手はまた元気に動くようになり料理の仕事を再開することができました。

現場復帰し間もないある日、新たな業態での新店オープン計画を社長より聞かされ、その店舗のオープン準備にも携わるようになりました。新店の地は新橋。業態は広島の新たなソウルフードとして注目され始めていた汁なし担々麺の専門店でした。

担々麺は中国四川の麺料理が発祥で、天秤棒で『担いで』売り歩いたことからこの名前がついたと言われています。 中国ではスープが入らず混ぜて食べる「汁無し」の麺料理でしたが、赤坂四川飯店の創業者である陳建民氏の手によって日本式に「汁あり」にアレンジされ人気料理となりました。

本場四川料理の汁無し担々麺

オリジナルにさらなるアイディアを加え進化させ、新たな文化を創出するのは日本のお家芸であり、担々麺が日本で独自の進化を遂げたのも、ある意味自然な流れとも言えるでしょう。 千葉の勝浦タンタンメンや、川崎のニュータンタンメンなど、日本各地の食文化に溶け込むように「ご当地担々麺」が次々と生まれたのも日本食の特徴です。

そんな日本式担々麺に変化が起きました。

汁ありの食べ物として長く親しまれてきた担々麺が本来の汁なし料理として日本国内でブームが始まったのです。その火付け役となったのが広島でした。1999年に開業した広島市のラーメン店「きさく」は、知り合いの中国人留学生に「お世話になっている市内の料理教室で、私の故郷(四川省)の味を振る舞いたいので麺を譲ってもらえないか」と頼まれたそうです。それを店主の方が食べさせてもらったところその美味しさに驚き、店主は四川省に飛び本場の味を研究し独自の改良を加えて2001年に新メニュー「汁なし担々麺」が誕生したのです。

【出処】広島市汁無し担々麺マップ編集部

私たち、月光フーズの汁なし担々麺は、当時の上司であり四川料理歴30年のTさんが開発担当しました。妥協を許さないTさんは、オープンに向け約1年もの間マーケティングと研究を重ねレシピを完成させました。スパイスを削るミルでさえ、何種類試したかわからないほどのこだわりでした。Tさんから生み出されたその汁なし担々麺を初めて口にした時の衝撃を今もはっきり覚えています。

深みある旨みが溢れる挽き肉、そして何よりも口のなかで華やかに香り広がる花椒(ホワジャオ)のシビれる衝撃は脳の奥深いところに記憶され、明日も明後日も食べたくなる初めての料理でした。
お店はオープンしてすぐにたくさんのお客様にご来店いただきました。初めて味わうシビれる香りと刺激がヤミツキになり、毎日通われるお客様もたくさんいらっしゃいました。

しかし我々のお店は、4年に1度のスポーツイベント開催に伴う新橋駅周辺のビル建設に伴う立ち退き請求をうけ、熱狂的なファンたちに惜しまれながらわずか3年の営業で閉店を余儀なくされました。すっかり汁なし担々麺の虜になっていた私は、それ以来都内の汁なし担々麺のお店を食べ歩いていますが、あの感動にまだ出会うことはできずにいます。何よりも花椒(ホワジャオ)の香り方がまったくちがうのです。

その後の私は、お世話になった月光フーズを退社し、丸の内や銀座のレストランでフレンチの基礎まで学ばせていただき、お客様の目の前でステーキやシーフードを調理する料理人となりました。

広東省深セン市にて中国の仲間たちと

2019年夏には中国広東省深セン市にオープンした大規模日本食レストラン街プロジェクトの立ち上げメンバーに選ばれ3ヶ月間中国でお仕事させていただき、その時のご縁で念願でもあった自分のレストランを2020年秋に東南アジアでオープンするという計画が進むことになり、お世話になった勤め先を退社し開業準備を開始しました。そんな矢先に新型コロナウイルスの感染拡大が始まり、計画は全て白紙となりました。

目の前に見えていた目標が突然消滅し、色んなものを失った私はこの先どのようなモチベーションを維持し、次の一手を選べば良いのかわからなくなり、もう飲食の仕事を辞めて他の仕事をした方が良いのではないかと思い悩みました。

しかし、辛く苦しいことをいくつも乗り越えてきたこの飲食業界から簡単に身を引くのはあまりにも悔しいという感情は収まらず、コロナ禍でも元気に営業し求人募集している飲食店を探し歩き、なんとか今日まで働かせていただいています。

現在の職場にて

飲食のお仕事は続けているものの、新型コロナウイルスにより出店計画も頓挫し、個人的にも経済的な打撃をうけました。この状況から再び自分のお店を持つための挑戦をすることはさすがに難しいだろうと感じ始めています。

しかし、コロナウイルスは飲食業界に打撃を与えただけではなく、それと同時に飲食店の新しいカタチが広がるきっかけも作りました。キッチンカーによる移動販売はもちろん、デリバリーに特化したゴーストレストラン、一つのキッチンを複数店舗で共有するシェアキッチンなどのサービスが広がり、時間や場所を自由に選択し、飲食業を始められる時代となりました。

そしてそれは私の中で眠るある想いが目覚め始めるきっかけにもなりました。

私は自分のお店を持つために修行し、開業するために準備をしてきました。しかし、その目標は自分のお店を持つということではありません。自信と誇りに満ちた料理でお客様に感動を与えるということが目標なのです。

都内のシェアキッチンの様子

たとえ月に数回のシェアキッチンでの営業であったとしてもコツコツ心を込めて続けることで、それは必ず次の一歩に繋がるにちがいないと思うのです。

そして私は、今の自分がどんな料理であれば心からの自信と誇りをもってお客様に感動を与えられるか、これまでの道のりを振り返って私が作るべき料理はなんなのかを考えました。それは、仙台牛でもオマール海老でも、手作りコンソメのジュレでもなく、私がいままでの人生で明日も明後日も食べたいと思えた唯一の料理、たくさんのこだわりが詰まったあの汁なし担々麺しかないと思ったのです。

花椒(ホワジャオ)と辣油により辛さと痺れの両方を味わえる本格四川料理の汁なし担々麺に、広島文化への感謝を込めて広島食材をふんだんに使うことが私の汁なし担々麺の特徴です。

当店の汁なし担々麺の一番大事な核となる花椒(ホワジャオ)。もちろん詳しくは書けませんが、どこにもないこだわりの方法で花椒(ホワジャオ)の香りを引き出します。一口食べた瞬間に華やかに広がる花椒(ホワジャオ)の香りはきっと『ヤミツキになる』という感覚を感じていただけると思います。

いくつものスパイスを配合した手作り辣油はとても香ばしく深みがあります。辣油はTさんのレシピからさらに独自の改良を加えています。

こちらも詳しくは書けませんが、非常に独特な中華食材をいくつもブレンドさせて旨みを凝縮させています。

瀬戸内海のちりめんじゃこは、私がお世話になった月光フーズ宮本社長のご実家が営む呉市倉橋島の会社様から直送されます。四川料理の汁なし担々麺は、ナッツなどを入れて食感を加えますが、私たちの汁なし担々麺はちりめんじゃこを加えることで、醍醐味のひとつでもある『坦担ライス※』が一層美味しくなります。

※広島の汁なし担々麺は、食べ終わり頃に残った具材にライスを投入し混ぜて食べる担担ライスがお決まりとなっています。

太田川の恵み・きめ細かな砂地で栽培される青ネギ「観音ねぎ」は、明治時代の初めに京都から九条ネギの種を広島に持ち帰り、広島市西区観音地区で栽培され、現在、太田川の三角洲の肥沃な砂質土壌と、独自の方法で栽培されています。このネギは東京ではなかなか味わえません。

※ちなみに私は美しい太田川沿いのアパートで暮らし、毎日太田川沿いをランニングしたり美しい景色を目に焼き付けていました。

瀬戸内の温暖な気候に育まれ、黄金色に輝く「広島レモン」。生産量は全国一を誇ります。そんな「広島レモン」の特徴は、防腐剤を一切使用しないことです。まろやかな酸味を味変アイテムとしてお楽しみいただけます。

私たちの汁なし担々麺

今回シェアキッチンでのオープンに際して月光フーズ宮本社長に「あの汁なし担々麺のレシピを使わせてください。」と許可をいただきに伺いました。
宮本社長は退社し何年も経っていた私に2つ返事で「困ったことがあったらなんでも言ってこい。」と快諾してくれました。

そしてその際、この汁なし担々麺の生みの親である四川料理歴30年のTさんが、筋肉が動かなくなるとても難しい病気に侵されてしまい、話すことも出来なくなってしまったことを宮本社長に教えていただきました。
ですのでこの汁なし担々麺は、Tさんが四川料理人として何十年も努力されて最後に残したとても貴重なレシピでもあるのです。私はこの貴重なレシピを継がせていただいたというプライドを胸に一生懸命に努力することを心に決めています。

10年間情熱を燃やした事業が廃業し、もうどこにも心を燃やすことが出来なくなり苦しい日々を過ごしていた私に、再び燃えるような情熱を蘇らせてくれた広島の文化、そして広島の地で私に大切なことを学ばせてくれて、そして助けてくれたすべての人たちへの感謝を込めて広島の食材を大切に使い、受け継がれた汁なし担々麺の美味しさをたくさんの方に味わっていただきたいです。

そしていつの日か、東京で生まれたこの小さなお店を広島に、そして担々麺の故郷である中国に出店させてみたいです。

広島で暮らしていたアパートから見えた太田川の美しい景色

私は人より少々波乱が多い人生を歩んでいます。なぜ波乱があるのか、それは一度きりの人生を後悔せず生きるため、チャレンジを繰り返しているからだと自分に言い聞かせています。

チャレンジの数だけ学びがあり、ドラマがあり、出会いがあります。無駄なことなど何一つなく、その全てがスパイスとなり、最高の料理が出来上がると信じています。

まだまだ不安定な世の中です。しかし、やまない雨はないということを信じ、いつかきっと来るであろう晴れの日に羽ばたけるため、今できることを一生懸命探して、少しずつ1歩ずつ進んでいこうと思います。

ご支援、どうぞよろしくお願いいたします。



保証金や大きな設備投資などはありませんが、下記のようなものに使わせていただこうと思っています。
なお、お借りするシェアキッチンは板橋区の大山商店街(ハッピーロード)内にあるかめやキッチンさんを予定しています。まずは日曜日のみ月2回の開業となります。

・調理器具
・備品購入費
・設備利用料
・看板などの販促費
・CAMPFIRE手数料(コロナサポートプログラム対象外)

なお、スケジュールは以下の通りです。

2021年8月31日 クラウドファンディング終了

2021月9月中旬 シェアキッチンにてオープン

2021年10月中旬から順次 リターン発送

※スケジュールの追加や変更はこちらで随時更新させていただきます。

1,000円
【公式ブログに支援者様のお名前&メッセージ掲載】

3,000円 
【広島ネギ大盛】1年間回数無制限+感謝メール

5,000円
【オリジナルTシャツ+感謝メール】

7,000円
【オリジナルTシャツ+オリジナル花椒油+感謝メール】

10,000円
【お食事券11,000円分】+感謝メール

30,000円
【お食事券33,000円分】+感謝メール

50,000円
【出張汁なし担々麺】

※面会が必要な際は公共の場で面会させていただきます。


<募集方式について>

本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

最新の活動報告

もっと見る
  • 立て看板デザインと試食会

    2021/09/23 23:48

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • プロジェクト終了

    2021/09/01 23:55

    こちらの活動報告は支援者限定の公開です。

  • 広島担々麺JiNの中里です。オープンの予定が当初の9月中旬から10月10日に変更となりました。諸々の準備は順調ですので皆様のご期待に応えるべく一生懸命頑張ります。クラウドファンディングが残り2日となりました。今日の時点で達成率は52%なのでプロジェクトの『成功』は少々難しい状況ではありますが、支援者の皆様からの温かいお気持ちとご期待に心から感謝し、必ずお客様に喜んでいたただける良いお店を作るという想いで溢れています。つきましては、残り2日ですが、もしよろしければ今プロジェクトのリンクをシェアなどしていただけたら幸いです。引き続きよろしくお願いいたします。 もっと見る

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