はじめに・ご挨拶
私たちのプロジェクトを開いてくださりありがとうございます。10年前の、東日本大震災の後に、この会を立ち上げました。「八戸藩 御家流 加賀美流 正伝 流鏑馬 再興会」と申します。長い名前ですが、会の目的がすぐにわかってもらえるように考えての命名です。
三陸国立公園が、震災後に八戸市の自慢である、名勝・種差海岸を編入して、「復興」の冠をのせて「三陸復興国立公園」として、再生しました。この自然遺産に対して、復興しなければならない歴史的民俗文化遺産がありました。版籍奉還、廃藩置県により消滅しておりました、八戸藩加賀美流流鏑馬です。 先人の遺された無形文化財を再興することを、後半生の生きる目標に据えました。
大地震の時、種差海岸の芝生地で流鏑馬の稽古をしていました。愛馬は、大揺れの後も稽古を続けようとした私の指示に反して、小高い丘の方へ走り出しました。これまでなかったように反抗的でした。間もなく、所管の屯所から出動した消防車が、けたたましくサイレンを鳴らし、津波が来るから高台に避難せよと!そっかぁ、お前にはわかってたんだ!それで、私を乗せて一緒に逃げてくれたんだ!馬齢ならとう白寿翁で、流鏑馬と騎馬打毬の二刀流の名馬です。愛馬に命を救われて、改めて愛おしさがこみあげてきました。馬主の柏木さんと馬運車の山内さんは、私たちの会の趣旨に賛同され、ずーっと無料で便宜を図ってくださいました。
私、黄綿昶行は珍名さんに出てもいいくらいの希少な姓です。ネットで検索すれば、30数軒ありますが、実際は3軒です。弟と愚息です。絶滅危惧種の姓です。
現役時代は公立高校の教員で、還暦迄務めました。大学では哲学を専攻し、教員免許は社会科。哲学教室の亀尾教授が、ひとりぼっちの受講生を、それじゃいいとこで哲学しょう!と「樽満」という焼き鳥の旨い居酒屋に教室を移されました。
奇縁でした。父は教授とは飲み友で、焼き鳥屋で焼酎を飲んでいるのを、母の走り使いで、家で飲むよう連れて帰る役目でした。父は教授を連れて帰りました。その時の子どもが大きくなり、大学で再会したのでした。休講の穴埋めだとおっしゃって、御宅に招かれ、ピーナッツを肴に水割りをいただきました。
高校では、担当科目は「倫理社会」を、分掌は「教育相談」を、部活はサッカー部を楽しみました。
30歳の時に男の子が授かりました。この子に伝える日本人らしさが何かあるのかな、と振り返ったとき、哲学もサッカーもー西洋カブレなことに気付きました。日本人の遺伝子を持っていませんでした。
日本人を取り戻すべく、『菊と刀』になぞらえて、文には「和歌」と、武には「流鏑馬」と邂逅しました。私の和風文武両道です。この転機に幸福と誇りを感じてます。
【目 的】このプロジェクトで実現したいこと
や)目的の一は、152年ぶりに再興した「八戸藩御家流加賀美流正伝流鏑馬」を、伝承する段階へ進め、その端緒となる第2回目を実施することです。
ふるさと・八戸市は、八戸藩のあった城下町でした。2万石の大名ならぬ小名?でした。でも、駿馬の代名詞ー「南部馬」を産する九つの牧場の中心地でした。藩のふところはいつも赤字で、ヤマセという冷たい風に、米も実らず、飢えにひもじい思いをしておりました。
ようやく上杉鷹山とそっくりの大改革を進めて、貯えができる程になりました。そのハレのお祝いを領民とともに祝おうと始めたのが流鏑馬でした。
それまでの習わしだと、武士と大店(おおだな)だけが、幕の内側で観ていましたが、領民すべてに開放したのです。しかも、3代藩主・南部通信公以降の藩主は、御家流(おいえりゅう)の馬術の最高師範(道統・どうとう)の免許を受け継ぐ伝統がありました。
すぐらりゅう(徒鞍流)を御家流に定めたほか、8代藩主南部信真公が宗家となり、「加賀美流(かがみりゅう)」弓馬術を拓かれ、そのお披露目に、同流附伝騎馬打毬や正伝流鏑馬を始めました。
私は、再興伝承の初代師範で 、版籍奉還後の消滅期間150有余年の空白幾星霜の不確かさを抱えますが、一系道統の13代になりましょうか。※「不確かさ」とは、幕末動乱期から新政府草創の混乱期に、旧藩士の有志により、家伝の武術奥義書類を、旧八戸藩の歴史的民俗文化財を護るため、実技面の免許取得を割愛して、書面免状のみを書写し保存伝承する事で、滅失を免れ今日に遺された御仁がおられます。
元八戸町長・北村益、柏木善太郎、音喜多富寿(号・古剣)等の功績の賜物です。八戸市立博物館や同図書館に収蔵されている「八戸南部家文書」で、館内閲覧できるのもこれ等先人のおかげです。
ぶ)八戸市並びに青森県の無形文化財として、指定登録されるよう書類申請します。同流の附伝騎馬打毬は、既にユネスコ文化遺産に登録済みです。三社大祭と一括りにされ山車文化の一部として評価をいただいたゆえです。
これに、正伝流鏑馬を再興することで、八戸藩独自の加賀美流弓馬術が、片肺飛行から両翼飛行に復元されます。八戸藩の流鏑馬を再興した後は、同様の歴史を持つ南部町、三戸町、七戸町など故実のある流鏑馬を再興する事業を拡大していきます。八戸藩の流鏑馬再興事業は、そのさきがけとなるものです。
【流鏑馬興しは地域づくりの資源】流鏑馬という埋蔵文化財を、地域興しの資源として、その発掘と活用に貢献していきます。『南部町史』の資料編は、華厳院(けごんいん)文書が大半を占め、流鏑馬の詳細が記録されています。その原本の全部が、マイクロフィルムに保存されています。武家政権草創の時代に、政の華であった、神事流鏑馬の詳細を研究するうえで、貴重な古文書です。これを基に、旧南部領の自治体が連携する「南部サミット」の、記念イベントとして、往時のように全自治体の射手衆が、技を競う故実を復元したいです。
歴史的創始からすれば、現在の行政上の県境の岩手側の盛岡と遠野が戦後の昭和25年、同28年にそれぞれ再興され、今日に続いて盛況ですが、わが青森県には、櫛引八幡宮に遺るのみです。
しかし、この南部惣領一之宮は、盛岡藩の鎮守の社なのです。また、秋の例大祭で流鏑馬を奉納する役者(射手衆)は、根城から村替えさせられた遠野郷の保存会によって執行される習わしでした。
故に、今日私どもの流鏑馬再興会が、歴史学的な時代考証からも、青森県内各所の神事流鏑馬の政を、歴史民俗的無形文化財として掘り起こし、地域の再生のための資源として活用すべきだと信じます。
さ)【八戸人には誇りがあります。小さい藩でも、独立精神に満ち、盛岡藩の覇権主義に毅然と対峙した気概が、後世の私どもにも不断の誇りと勇気を伝えてくれました】ー盛岡藩の覇権政策に真っ向拒否の構えを毅然と示したのが、宗家・加賀美流弓馬術の旗揚げでした。
なぜなら、加賀美流の名は、加賀美遠光(かがみとおみつ)に発するものでした。源実朝が鎌倉に幕府を開き、鶴岡八幡宮を創建し、流鏑馬を奉納した最初の射手衆12人の一人で、虎の威を借りたのです。
め)【上皇様と上皇后さまに、八戸市の三社大祭中日の加賀美流附伝騎馬打毬をご覧いただきたく、宮内庁を通してお願い申し上げます】ー大好きなTVの番組に、青森放送テレビの日曜日17時15分から、神社庁青森県支部がスポンサーの『皇室ご一家』があります。令和2年のある回(当時のTV番組名は「皇室日記」)に、ご成婚間もないころか、白のポロシャツにポロのいでたちのお姿が目に入りました。平成天皇陛下のご在位中のフィルムでした。御揃いでのテニスウェアー姿は何度も拝見しておりましたが、美智子さまの乗馬姿を初めて拝見しました。しかも並歩(なみあし)よりも速い速歩(はやし)でした。ポロは宮内庁の恒例の行事の一つであり、陛下が学習院大学在学中は、馬術部のキャップテンを務められ、関東学生馬術大会で優勝されたこともおありの乗馬の名手でした。でも、美智子皇后さまの乗馬のお姿は~。八戸市自慢のユネスコ文化遺産登録の「加賀美流附伝騎馬打毬」は、宮内庁と山形市と国内は3か所だけの希少な歴史的無形文化財です。
なかでも、八戸市の加賀美流騎馬打毬は、日本的に進化した武術的形式を特徴としています。宮内庁の騎馬打球は「球」であり、丈も本場と同じ短いものです。八戸の加賀美流は、「毬」であり、打つというよりは槍と同じ長さの杖の先に毬を掬う網を付けて、掬ってゴールに投げ入れる形式を保っています。
ポロシャツではなく、馬乗り袴に着物に襷(たすき)を掛け、毬を奪い合う攻防の激しさで、馬場には土煙が舞い上がるほど緊張感がみなぎります。先取点を取れば、杖で相手と馬を突いても叩いても良いので、落馬や馬具が壊れて、競技はいったん停止のドラが鳴る事たびたびです。
英国に本部がある国際ポロ協会より、「珍しいポロ」の評価で1週間も続くフエスティバルに招待され、2018年に渡仏し、絶賛を博してまいりました。山内卓幹事長、板橋騎士、前田騎士の3名が八戸から遠征しました。展示用には、元七戸藩主の乗られた螺鈿入り漆塗りの鞍や、和鐙、実戦用の武具2組とを、空輸に耐えるよう、新規に和鞍・和鐙櫃用の木箱を創りました。
私たちの地域のご紹介
・八戸市は「はちのへ・し」と読みます。「はっと」ではありません。工業と漁業の盛んな街です。新産業都市計画により北東北の工業の中心的役割を果たしてきました。漁業は、かつて漁獲量、金額双方で10指に入る漁港として自慢の一つでした。近年は、イカやイワシ、鮭など主な魚種の不漁が続いています。
・地球の温暖化により、海流が変わってしまいました。潮目は遥か沖へ遠のき、鳥柱も見ることがなくなりました。この喪失感の八戸漁民を励ますため、加賀美流蟇目鳴鏑矢(かがみりゅうひきめなりかぶらや)という厄除けの儀式を奉仕したいと考えています。
・自然に恵まれた美しい街です。太平洋に面し、三陸復興国立公園内の名勝地・種差海岸の芝生地や、鳴り砂の砂浜・大須賀海岸、ウミネコの繁殖地・蕪島など、海岸美を堪能できます。
・館鼻(たてはな)岸壁の日曜朝市は、魚の水揚げが定休日となる日曜日の漁港を利用して、百科商店が並びます。漁船は給油、食糧補給、乗組員の休業などで港に係留され、荒海でもまれた漁船が休みます。
・二本の1級河川が海に出る臨海地区には、工場群が林立します。回遊するイワシなどを釣っています。八戸市民は、海釣り、花火大会、凧揚げ大会、水族館、海浜トレッキング、それに私たち会員の渚を駆ける乗馬トレッキングなど、海を楽しむことが大好きな市民です。
・市民の森不習岳、青葉湖、階上岳、名久井岳、遠く八甲田連峰を望める、山並みと海に抱えられた、自然の宝庫です。他に、奥入瀬渓流と十和田湖、八甲田山、下北ジオパーク、小川原湖等、八戸から近い観光名所が盛りだくさん。下北半島の東端・尻屋崎には天然記念物の寒立馬(かんだちめー私はそのガイドクラブの代表です)が草を食み、通年放牧ゆえ、厳寒の吹雪に耐え、氷を蹄で叩き割り枯芝を食み、吹雪けば母馬が仔馬を囲み防風馬林になります。尻屋崎へ向かう三沢から六ケ所の辺りは、藩牧・木崎之牧と、幻の駿馬・尾駮の駒(をぶちのこま)の生息地帯です。農作には不毛の地でしたが、ミネラルを豊富に含む潮風ヤマセこそ、強靭な体をもつ馬体を育む秘密のカギでした。
・八戸と馬の関係でご紹介したい自慢話は、3歳馬日本一を決める、ダービーライダー前田長吉です。最年少記録はいまも破られておりません。シベリアに抑留中、病死しましたが、DNA鑑定で判明した遺骨が、ふるさとの甥っこさんに当たる前田貞直さんの元に還ってきました。馬ライター・嶋田明宏さんが八戸に足を運び書いた本があります。
・ダービーといえば、私の母の実家が七戸の浜幾(はまいく)。昭和37年5月のダービーで優勝しました。名前は「フェアーウイン」。道の駅七戸に隣接するT美術館前に銅像が建てられました。
明治天皇に献上した、南部馬・墨染(すみそめ)は、日本最初の洋式競馬で、根岸や不忍池廻りの特設競馬場で、横浜の外国商社がオーナーの外国馬を尻目に勝ち切ったのは一番小さな南部馬でした。でも、馬主のお名前は明治天皇陛下ですとは明かせず、時の主馬寮(しゅめりょう)の長官名でした。ネットで検索すれば「墨染」に逢えますよ!
・【赤字の無名・八戸藩を救ったのは、藩の広告塔・お抱え力士、大関四賀峰東吉、6尺35貫!】江戸で相撲が流行った時のこと、慢性赤字の藩財政脱却の特産品、味噌醤油の原料の大豆、肥料にするイワシの〆粕、刀や釘の原料になる鉄の取引が盛んになるよう、無名の「八戸」を知ってもらうため、大関・四賀峰関と「お抱え角力(すもう)」の契約をしました。八戸藩の広告塔として勇名をはせました。藩財政はやがてうるおい、ついに悲願の黒字へ脱出できました。
〇【プロジェクトを立ち上げた背景や経緯】
【歴史的民俗文化財の資質を持ちながら、150有余年の長い星霜を眠りについていた流鏑馬を、今こそ再興伝承すべき好機です!】
藩政時代の神事流鏑馬は、八戸藩領の平穏無事を祈る政の華でした。廃藩置県と敗戦という2大政変により、消滅したり禁止されていた流鏑馬を再興・伝承すれば、元気な八戸づくりに寄与できると、この事業を起こしました。
しかし最大の構造的課題は、莫大な事業資金を継続的に確保するには何が必要か?ということでした。当市の市民による自主的地域興しの事業に、助成金制度がありますが、同一団体は一回に限定されています。事業は隔年開催で伝承する催事なので、他の助成制度や、ふるさと納税や赤い羽根共同募金使途指定式の採用に立候補する等、方策はいくつかありますが、皆未知数です。一番の頼りはCAMPFIREのクラウドファンディングです。
・先祖は、元盛岡藩の藩士で、金田一を開拓したⅠ家で、分かれて野辺地に移り味噌醤油の醸造を生業に財を成したN家でした。盛岡競馬に2頭の馬を出していました。ポインターという猟犬を左右に従え、鉄砲を立てて持つ写真が格好いいです。棟方志功、松木満史、古藤正雄の青森県が生んだ3大芸術家が、無名の修業時代に、書生として3年間、食事と住居と絵具や画布を放題提供したそうです。別荘は、野辺地町を全部見渡せる愛宕山の御前水の湧く近くでした。戦後の食糧不足の時代に、ヤマセによる冷害常襲地帯を、国策に乗り開拓し、農地を持たない農民に地主になれるよう懸けました。開墾し初苗を植えた満月の夜、カモが苗を食べつくしている光景を目にしました。国土地理院の地図に長く載っていた屋号が、いつの間にか消えてなくなっていました。
・そこには、原燃の施設や石油備蓄基地や風力発電の巨大風車のプロペラが並び立つ変貌に、幻の開拓農地は夢のように消えてなくなりました。消えゆく者に対して、異常なまでに哀惜の情を募らせ、護ろうとする心根が強いのは、Kおじいちゃんの無念をかわいそうに感じた子供のころから、漬物石のように重く変わることがありません。眠っていた流鏑馬を再興しようと発奮したのは、残世の燈明です。
これまでの活動
〇【プロジェクトにつながる過去の活動や体験のエピソード】
(1)【消滅していた流鏑馬を再興しました。第二回目の今年は伝承の端緒です。】
・版籍奉還、廃藩置県により、政の象徴であった神事流鏑馬が消滅してから、152年ぶりの令和元年、八戸市制90周年の記念すべき良き年に、標記の会発足10周年の節目に、とうとう再興の目標を果たしましたよ!これが活動の中で1番うれしかったことです。私がほら吹きではなく、有言実行する志士の一人だと自分に誇りを持てる流鏑馬翁になれました。隔年実施の藩日記の記録に従えば、今年が伝承段階に進み、端緒となる第2回目に当たります。有能な同志がが今年3月、八戸に転入し八戸在住になりました。
(2)【大震災後の八戸市の復興を目指し、三陸復興国立公園に編入された、種差海岸芝生地・大須賀海岸の稽古に親しんできた名勝地の前途を祝い「種差海岸乗馬体験」を提案し、現在は乗馬クラブが継承】
・プレゼンテーションデモには、市観光課長のZさんと、種差海岸観光協会会長のYさん、メディアを代表して地域新聞「デーリー東北新聞社」報道写真部のOさんを現地にお招きし、渚や芝生地を駆けたり引き馬に乗ってもらいました。関取クラスの体格のOさんは、馬がかわいそうと固辞されましたが、馬上のカメラアイは新たな視角と無理やり乗ってもらいました。
・翌朝の1面トップの半ページ以上の雄大な渚の騎乗姿が載りました。乗馬体験の提案が即採用になり、7~9月の3か月間、各州の週末乗馬を延べ20回分、補助金など予算をいただきました。地元八戸短大の幼児教育学科の学生さんに、ヘルメットやライフジャケットを装着してもらうスタッフとしてボランティアを要請しました。将来幼児教育の場で、馬と触れ合う教育を実践されるよう、未来のビジョンから指名したのでした。勿論学生さんたちにも乗ってもらい、岩場に咲くニッコウキスゲやスカシユリに、潮風に、波音に、ウミネコの鳴く声に、感嘆していました。並歩(なみあし)の揺れを怖がって緊張していたのに、一回りすると、馬とダンスを踊るように一体になって、揺れに合わせてのっていました。
(3)【四人のお師匠さんに恵まれて、乗馬と流鏑馬を教わりました】
自らの技術を磨き修練を積むため、4人の先生に教えを乞いしました。[一のお師匠さんー鎌倉の芸州武田流司家・K.I先生]の門を叩きました。教場は、三浦市のM乗馬クラブで、毎月第1日曜日で、正月のその年の稽古始めに参りました。
[二のお師匠さんー月一の稽古では不足なので、数多く和鞍に乗るため、乗り放題の山梨県鳴沢村の紅葉台K牧場に寝泊まりして、甲州流宗家流鏑馬をK先生とU師範]に習いました。和式馬術の元全日本やぶさめ競技連盟を立ち上げる草創期に参画しました。
[三のお師匠さんー和式馬術の本流である大坪流の師範であられた、相馬市中村のT甲冑工房のT先生]に、野馬追に出陣される前にお宅での儀式を見学し、馬装や馬周りの手伝いをしました。工房の木馬や、修理中の国宝級甲冑など珍しいものばかりでした。観世流の仕舞もなさいます。I高校の馬術部のサラブレットの葦毛の馬に騎乗されました。
[四のお師匠さんー乗馬教育と日光東照宮の流鏑馬の英語解説専属のS.K先生]Kホースパークの馬場でクォ—ターホースに乗せてもらいました。とちのは国体の総合馬術個人、団体共に優勝されました。
多彩な師匠に教わりました。流鏑馬を普及させるため、やぶさめ競技連盟を立ち上げ初代理事を務めました。北海道芽室で第1回大会を開催しました。その翌平成13年に、十和田市で第2回大会を開き、以後毎年開催しました。平成16年4月に女性限定の桜やぶさめを始めました。私が総括と審判長を務めました。木馬騎射を競技として確立しました。十和田市の馬事振興協議会設立に当たり、流鏑馬指導と普及のため、特任理事の役目をいただきました。平成17年に」十和田市の駒っこ牧場がオープンしました。初代理事として管理運営に当たるNPO法人・馬主協会の理事として、調教ややぶさめ指導、ジュニア乗馬クラブの指導などを務め、アクロバティックライディングを指導しました。
・武芸やぶさめ、神事流鏑馬再興普及のため、武具や馬具、衣装、人材(神事奉納の射手として)などの多様なニーズに応じてきました。徳川時代の故実の富士市の浅間(せんげん)神社復活新春流鏑馬奉納、帯広神社初奉納に捨て鞭扇の儀を披露、札幌市の北海道大神宮100年祭奉納に諸役として参加させていただいたり、諸役や着付けの手伝い、馬廻りの馬具装着を介添えして、斯道の普及に奉仕してきました。
(4)一門の研修のため、盛岡八幡宮や遠野郷八幡宮へ実地研修に遠征しました。
(5)地元の櫛引八幡宮の秋の例大祭の流鏑馬に、諸役で出演する八戸市立M小学校の児童に対して、事前の歴史学習、木馬騎射の実技体験、生き馬に乗る乗馬体験などを奉仕してきました。その体験学習の成果か、本会の会員が、入会した動機にこの体験を挙げております。
(6)八戸市にあります国史跡「根城」の記念祭(中世のお城を築いた南部師行公(もろゆきこう)の慰霊祭)に「天長地久の式(戦陣必勝祈願の式)」、「蟇目(ひきめ)の式=悪疫祓い」などを奉仕。
(7)秋の「根城まつり」には、本丸跡で木馬騎射の示範演武と体験騎射を例年奉仕してきました。
(8)三社大祭中日の加賀美流騎馬打毬の興行には、加賀美流弓馬術の専門解説者として、観光客や研究者に、事前の馬具組み立てから、実践上のルールや妙義の解説をして、観光水準にとどまらず、歴史的民俗文化財としての学術的レベルで、加賀美流馬術の粋をわかりやすくひもとく解説を奉仕してきました。
(9)小学校や中学校が夏休み、冬休みに入った時期に、1週間の集中稽古を長者山新羅神社と櫛引八幡宮の馬場で木馬騎射の演武を披露して、体験の機会を設け、後継者の募集と普及に努めてきました。
(10)特別支援学校の乗馬体験に出張奉仕したり、青森県指定の天然記念物「寒立馬(かんだちめ)」の現地ガイド、目の不自由な児童生徒の特別ブラッシングや餌やりなどに、介添え奉仕してきました。
(11)藩日記など南部家文書などを解読し、八戸歴史研究会の機関誌『八戸地域史』に、論文「奥州南部流鏑馬史」を5回にわたり発表しました。青森県の無形文化財として指定登録を申請し、地域の遺産を保存する為に寄与したい。
(12) 八戸市立小・中学校に、武道のカリキュラムに、流鏑馬や騎馬打毬の無形文化財を継承する人材育成のためと、青少年の健全育成に資するため、関係するクラブを設けるよう働きかけたい。
今年から辞令を交付され着任した、公募委員の八戸市青少年問題協議会と、青少年相談センター協議会の委員としても、関係機関に働きかけていきたい。
(13)直近の活動ー青森県民文化祭(主要市を持ち回り開催する)に、令和2年の第30回と令和3年の31回大会伝統文化部門ー藩政時代の古武道を演武する会ーを旗揚げし、その中心になって、八戸、弘前の大会を成功させた。本会の木馬騎射、蟇目の式等演武、居合道、篠笛演奏の三部構成のプログラムで実施。密を避け、公園などの屋外の風通しの良い環境で実施しました。いずれも晴天に恵まれました。
【資金の使い道と内訳】
1)馬匹3匹のレンタル料-2日間(函館の牧場と会場・八戸間の輸送に各1日) 90万円
2)柾目的板(本義@3的×3回=9枚)×6射手=54枚(予備含め60枚) 18万円
3)衣装類の夏鹿毛行縢(なつかげむかばき)ー2匹分で射手一人分。@10万×2枚、 20万円
4)招待射手交通費、宿泊費、謝礼食事お土産いっさいの経費。 15万円
5)傷害保険料 3万円 6)ボランティアスタッフー弁当・お茶、飲料水 4万円
7)騎乗舞の巫女上衣と赤色の馬乗り袴、髪飾り一式 15万円
8)的裏の流れ矢止め幕3張、馬出し・馬止め用幕 @8万円×3張+2張=40万円 40万円
9)家紋付き幟旗10枚 @¥3,500×10=30,000円 3万円
10)諸役衣装(裃、襦袢、笠、大小刀、白緒草履、素襖袴他)次回に少しずつ揃えたい。
※予算が確保できるまでは、隣町の南部町より借用します。但しクリーニングして返す条件。
〇見積り(「Kクリーニング」)で@(1セットは、裃、襦袢、小袖、帯、足袋) 但し、白足袋と白緒の草履は、汚れたものは引き取り新品を以って返すいらず。白緒草履@¥2,800
5点セット(裃、襦袢、小袖、足袋、帯)@\10,000×10人、 10万円
11)キャンプファイヤー手数料 17%(1500,000×0.17)=255,000 25.5万円
【実施スケジュール】※荒天の場合は中止しますが、小雨の場合は決行しますが、
日程を繰り上げたり、変更する場合があります。
〈事前準備〉①仮設馬場の草刈り、厩舎の清掃整備(南部町柏木牧場厩舎)
②衣装虫干し ③馬具、武具、衣装の点検と営繕 ③衣装合わせと着付けリハーサル(一人 で着れるように) ④諸役リハーサル(太鼓打ち方、射手の呼び出し、馬止めと馬出し、扇の合図、的奉行の当たり外れの判定リハーサル、当たりは床几から立ち上がり、頭上に御幣を上げて左右に2回振り、着席します。外れの場合は、腰かけたまま、御幣を地面を摺るように、左右に2階振ります。外れ的立て=的換えリハーサル、神事では的に損傷が無くても、射手ごとに新しい的に変えます。割れたり砕け散った的を素早く拾い集めて収納袋に入れます。矢を拾い、射手が並歩(なみあし)で馬場元に変える時、埒に寄り手渡します。鏑の方を持ち、羽の方を射手に向けて差し出します)※主役の射手に限らず、諸役の仕草一つに、「さすが!」と感心していただけるよう、➡古来からの正しい礼法に則った所作をします。
〈前日参拝・長者山新羅神社の拝殿前〉14:00~15:00 ※馬匹は鳥居の内に入らず、馬場の馬出し(馬場の東側馬留まりに待機する。)、宮司の祝詞奏上、総奉行の口上、弓矢のお祓い、射手初役の安全祈願(神官によるお祓い、玉串奉てん、御神酒拝戴)➡馬匹を南部町の厩舎へ輸送し、ブラッシング後夕飼。➡16:00
◆〈前日設営〉④馬場拵え:9:00~12:00、仮設トイレ設置 ⑤テント設営:テント搬入、組み立て,机パイプ椅子搬入、設置 同時間帯 ⑥馬の馬場慣らし、試走 10:00~12:00 ⑦長者山新羅神社へ移動 13:00~14:00 ⑧神前祈願祭 14:00~15:00 ⑨馬匹を厩舎へ輸送し、入厩。15:00~16:00⑩役員、馬主の明日の日程確認と打ち合わせ 16:00~16:30 ⑪招待射手衆と本会射手衆、諸役代表の会食、交流会 17:30~19:00 解散
◆〈当日会場〉9:00~15:00 〇7:00~8:00 1)南部町厩舎より馬を会場へ輸送 2)会場現場設営 3)会場の安全点検ー総奉行:黄綿昶行、設営部長:前田政広、テントの足立て、テーブル・パイプ椅子整列 4)行列行進の整列 5)行列行進・開始式(総奉行の口上と蟇目鳴鏑矢の式 6)行列・馬場を往復、出発は馬場西側の馬出しより(16代当主南部光隆様騎乗先頭、太鼓、幟旗、射手衆、諸役)天長地久の式) 7)試技・立透かし乗り披露(加賀美流以下※の着いた事項はア同様。弓を持たない)8)総奉行による口上(こうじょう:行事の趣旨と概要を観客とご来賓に説明します) 9)弓矢をもって試技1本 10)本義1本目(板的)、先陣:招待の函館組 11)後陣:地元八戸の加賀美流・遠光(とおみつ)組、一番射手(太郎射手・捨て鞭扇の式)、二の射手(女性射手、神事流鏑馬史上貴重な役割。女人禁制の世界からの解放を八戸から発信仕り候)、三の射手(関の射手) 12)篠笛演奏、民謡 13)居合道 14)本義二本目(日の丸扇的)先陣:加賀美流遠光組三騎、後陣:函館五陵郭組、15)篠笛演奏、民謡 16)居合道演武 17)本義3本目(最終回、板的)先陣:函館・五陵郭組、後陣オオトリ:加賀美流遠光組 18) 行列行進、19)閉会式 20)ご来場者へのサービス:体験騎射(射手衆が一対一で介添え)本番に用いた和式馬具に試乗できます。女性や高齢者、からだの不自由な方でも介添えしますよ!
リターンのご紹介
【リターン】すべての支援者に、お礼状、プログラムと実施記録DVD(使用する権利、音源を使用する原盤権は、支援者のものとなります。斯道普及のためご活用ください)、記念手拭い(34㎝×90㎝、中央に八戸藩の「丸に向かい鶴」紋、左右に流鏑馬射手の写真等をデザイン)をお届けします。
※コロナ禍の拡大による再三の延期により、当初予算になかった追加出費が派生し、発注が遅延しました。したがって、手拭い等の納品が遅延しており、写真を載せてご案内できません。ご理解ください。
プリント直前の最終校正の原板コピーを、追加掲載します。
最後に【熱いメッセージ】◆招待射手は、武道流鏑馬の国際大会で優勝ないし上位入賞経験のある凄腕ばかり。飛ぶように疾駆する北海道和種馬と、手綱を持たない弓の妙技を堪能できます!神事流鏑馬の弓矢の安全と、射手と諸役と皆さまの幸せを祈願して、奉納の前日、長者山新羅神社において安全を祈願しました。馬という字のつく馬淵川の特設馬場で、第2回目の伝承の端緒の舞台に、お集まりいただき誠にありがとうございます!と、開始式で口上を高らかに読み上げます。晴れますよう皆さんも祈ってください!
「天気よし 馬場よし馬よし 気合いよし 悪疫祓う 的ぞ中(あ)てなむ 」 宙 飛
(頼朝に請われて流鏑馬の全てを教えた、流鏑馬の名手・佐藤義清は、皇后の御寝所を警護する北面の武士でした。出家して和歌を詠み、雅号を西行と申しました。これに倣い、愚翁も、上記の和歌を一葉、宙飛の号で詠みました。支援者の皆様へ奉げます。
◆代表者または通信販売に関する業務の責任者の氏名:黄綿 昶行(きわた のぶゆき)
「請求があり次第提供致しますので、必要な方はメッセージ機能にてご連絡ください。
◆〈事業者の住所/所在地〉 〒039-1104青森県八戸市大字田面木字外久保46の3
◆事業者の電話番号:Tel: 090-2369-0590
◆送料:送料込み(離島価格など例外がある場合には記載)
◆対価以外に必要な費用:プロジェクトページ、リターンに記載のとおり。
◆<募集方式について> ●本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る八戸藩御家流加賀美流正伝流鏑馬再興伝承事業
2022/01/07 14:03 ご支援ありがとうございました。プロジェクトの「八戸藩御家流加賀美流正伝流鏑馬再興伝承事業」の第2回を決行しました。当初予定の9月下旬は、八戸市でコロナウィルス感染のクラスターが発生したため、11月7日に延期、縮小しました。 小春日和の流鏑馬日和でした。和種馬の保存活用にも留意して、第1回目の木曽馬に続き、今回は北海道和種(どさんこ)に活躍してもらいました。事故もなく、的中率7割以上で、河川敷の特設馬場でしたが、高度な射手役の妙技により、観客の皆様には、感動していただけたものと思います。ご支援いただきました浄財は、大切に使わせていただきました。当地にお越しの節は声をかけてください。 なお、ご支援頂きました方には、記録写真抄と八戸名物のせんべい汁セットと記念手拭いを宅配便にて送りましたのでお納めください。 もっと見る
6)出馬の厩舎にワラを敷き、外の草刈りをしてきました。
2021/10/28 23:00・河川敷の特設馬場に移動して、馬出し(出走ライン)、一の的、二の的、三の的、馬止め 等要所に目印を打ち込み、6日の馬場拵え(こしらえ)の「下ごしらえ」をしてまいりまし た。 ・締切直前に、お二人目のご支援をいただきありがとうございました。 ・最後まであきらめるものではありませんね。大切なことを教えていただきました。 もっと見る
05) ご支援ありがとうございます。
2021/10/27 10:30こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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