受験中に起きたクーデタークーデター当日、僕はミャンマーからドイツの大学に出願をする予定でした。ネットが遮断されると聞き、困惑しました。アウンサンスーチーさんが早朝に拘束されたと聞いて、何が起こったのか、最初はよくわかりませんでした。その日はなんとか出願ができたものの、度重なる通信遮断により授業や試験に支障が出て、米英の先生方の多くが帰国を始め、厳しい時差の中でオンライン授業をすることになりました。一緒にドイツ語を学んでいたミャンマーの友達が「ネットが繋がらず参加できない」「デモに行ってくるから、授業を休みます」と言うことが、次第に増えていきました。そして3月の末、後ろ髪を引かれる思いと、どんどん深刻になるヤンゴンの状況に不安を感じながら、卒業を待たず、日本に帰国しました。シャン州の子どもたちとあやとりをする僕とにかく生きるための支援当時、コロナで疲弊した経済状況の中過ごしてきた人々が、抗議活動によってますます貧困化していきました。ヤンゴンなどの都市部では野菜が高騰し、地方では作物の価格は大暴落しました。それでも彼らは抗議活動をやめようとはしませんでした。それは未来を、希望を、失うことだからです。日本でもクラウドファンディングによる資金調達があり、貧困世帯への食料支援が始まっていま した。とにかく生きる。そのためには食べなくてはいけない。だから食糧支援はもっとも大切だと思います。でも、僕には気になることがありました。僕は学習障害があり、公教育、高校受験、さまざまな状況下で、普通の生徒と同じように学び進学することができませんでした。いつ自分の学びが閉ざされてしまうのか、と常に不安を感じていました。だから、ミャンマーの子どもたちの学びが奪われていることに対して、危機感を感じていました。ミャンマーを発つ前、ミャンマー人の先生に、勉強道具、洋服、日本語の教科書など、さまざまな物資をお渡ししました。子どもたちに少しでも日常に楽しさを感じて欲しくて、ピアニカ、リコーダー、ぬいぐるみなども渡しました。そして僕は一番気になっていたことを聞いてみました。「ヤンゴンの子どもたちの学校は始まりましたか?コロナでずっと休校や、オンラインの授業が 続いていて、学びが止まっていますよね」すると先生は言いました。「軍はもうすぐ学校を再開すると言っていますが、親たちは子どもを学校に通わせないと言っています。軍政下で、親は子どもを学ばせたくない」子どもたちに学びの継続をそれを聞いてハッとしました。確かに、軍事政権下での学びは、偏向教育の可能性が否めない。子どもを人質に取られる危険性もある。先生はクーデター以前から、過去のミャンマーの教育(極端な暗記教育、自らの考えを育てない教育など)を問題視していました。逆に学校に通うことで、CDM(市民的不服従運動)に参加する人々から非難される場合もあると聞きました。都市部のヤンゴンでは、進学率も上がってきましたが、まだ児童労働の問題があり、高校を卒業できる子どもの割合も低く、職業の多様性もありません。先進医療や高度な科学を勉強するためには、英語を学ぶ必要もあります。近年、日本のJICAの協力を得て、教科書が変わり、ネットの普及で世界を知るようになり、ミャンマーの若者の意識は大きく変わりつつありました。僕たちがヤンゴンに住んでいる間、ショッピングセンターが続々と建設され、スーパーマーケッ トで売られる商品の品質が改善され、お洒落なカフェやレストランがどんどん増えていました。環状線の古い線路は新しく張り替えられ、近い将来、日本の鉄道が走る準備が始まっていました。かるたの写真を撮っていた2019~2020年頃の様子新型コロナの厳しい自粛政策の下、感染者数が減り、経済活動と学校の再開を心待ちにしていた矢先、クーデターが起きたのです。僕は日本人です。ミャンマーに住んでいても、病気になれば日本で先進医療を受けることができます。ミャンマーでクーデターが起きれば、日本に帰国して、日本の教育を受けることができます。僕は学習障害があっても、インター卒業後、オランダの大学に進学しました。僕たちと同世代の若者は、もしかしたら海外進学が決まっていたかもしれない。夢の実現のために、勉強したいことがあったかもしれない。クーデターによって起きた経済的な問題、ビザの取得問題、学校の長い休校や親の考えによる不登校。それらは、子どもたちから未来を奪っているのではないか。そう考えた時、何かしなくてはいけないと思ったのです。政変によって奪われるのは、目の前の命だけではありません。子どもたちの学びを奪うことは、個人と国の未来を奪うことです。(野中宏太郎)8/18のFBの記事
障害 の付いた活動報告
応援ありがとうございます12月1日に開始したクラウドファンディング。2日間で50%を超えるご支援を頂きました。応援メッセージを見て胸が熱くなり、勇気を頂いています。これまで、たくさんの方にご相談をしたのですが、「やってごらん」「応援するよ!」と、いつも背中を押していただきました。たくさんの方に見守って頂いているからこそ、怖いもの知らずに挑戦できました。今は少し責任を感じて、恐ろしくなってきましたが、失敗も成功も考えずに、ただ突っ走ろうと思います。行動力を評価してくださるコメントを見ると、とても恥ずかしいです。私は決して先頭に立つタイプではありません。「何かを変えたいなら、まず自分が変わる」小さい頃から、ずっと兄に言われ続けている言葉です。今回のプロジェクトも、最初は兄が先導してくれました。彼は障害があり、いつも学校での学びに苦労していました。兄は障害のために、日本の高校進学が難しい状況にありました。自分の学びはいつ途絶えてしまうのか、それを常に意識していました。私は兄を通してたくさんのことに気付きました。どんなに苦労していても、黙っていては理解されないこと。感情をぶつければ反発されること。でもわかりやすく説明し、辛抱強く対話を続ければ、理解し支えてくれる人に出会えることも知りました。だから、私たち兄弟は「わかりやすく伝える」方法や、「見える化」する工夫を、いつも面白がって話し合っていました。学びにも遊びが必要だから「かるた」という方法を選んだのかもしれません。自分の将来を選べること兄は9月からオランダの大学に進学して物理学を勉強しています。コロナ禍の一人暮らしは不安だし、勉強も相当大変そうです。(広報してくれるはずだったのに、音信不通です。)でも、どんなに大変でも大丈夫です。だって兄は自分の好きな道を選択したんだから。それがどれほど大切なことなのか、いま、すごくわかります。いま、ミャンマーの若い人々の学びが政変によって奪われていることに、何より危機感を感じています。ミャンマーの若者が、自分の将来を自由に選択できる時代がくることを願って、私たちは活動を続けていきます。(野中優那)