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「大丈夫。治ります」と私を救った100歳現役医師のドキュメンタリーを作りたい!

私が死に至る病に苦しんでいる時に「大丈夫ですよ。治りますから」と私を支えてくれた医師・駿河敬次郎先生(100歳現役)に出会えた感謝をドキュメンタリーで伝えます。メイキング映像では、私が病気で苦しむ葛藤から駿河先生との交流で癒やされていく過程を記録します。

現在の支援総額

2,327,110

232%

目標金額は1,000,000円

支援者数

229

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/02/28に募集を開始し、 229人の支援により 2,327,110円の資金を集め、 2022/04/09に募集を終了しました

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「大丈夫。治ります」と私を救った100歳現役医師のドキュメンタリーを作りたい!

現在の支援総額

2,327,110

232%達成

終了

目標金額1,000,000

支援者数229

このプロジェクトは、2022/02/28に募集を開始し、 229人の支援により 2,327,110円の資金を集め、 2022/04/09に募集を終了しました

私が死に至る病に苦しんでいる時に「大丈夫ですよ。治りますから」と私を支えてくれた医師・駿河敬次郎先生(100歳現役)に出会えた感謝をドキュメンタリーで伝えます。メイキング映像では、私が病気で苦しむ葛藤から駿河先生との交流で癒やされていく過程を記録します。

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お陰様で、クラウドファンディング開始5日目に目標金額を達成することができました。お一人お一人に心より感謝申し上げます。駿河敬次郎先生は先日奥様を亡くされ、大変落ち込んでおられます。気力体力の低下をご自身でもおっしゃっていました。なんとか先生がお元気なうちに作品を完成させたく私も製作に集中していきます。今後も不定期で、活動報告で進捗をお送りします。取り急ぎ、お礼のご連絡まで。このプロジェクトにご参加くださり、本当にありがとうございます。関智征


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駿河敬次郎先生が大好きで口ずさむ曲・唱歌「ふるさと」を本編のテーマ曲にと考えています。多くの日本人に親しまれている「ふるさと」。この歌を歌っている駿河敬次郎先生の姿をみて、作品のテーマが決まりました。日本人の郷愁の念と先生の人生の旅路、です。私は、遠藤周作や内村鑑三の影響を受け、欧米のキリスト教と違う日本人に馴染むキリスト教のプレゼンテーションはできないのか、という問題意識を持っています。猪瀬直樹著『唱歌誕生』唱歌ふるさと×キリスト教。この一見、矛盾した2つのものを駿河敬次郎先生を媒介として統合させることができないか、というのが本作品の私の挑戦です。お一人お一人のご支援に心から感謝しております。関智征


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駿河敬次郎先生が長寿であることは、食生活、生まれながらのDNA(お父様も100歳まで生きた)…、など、いろんな要因があると思います。その中でも、先生の意識して「怒らない」ことが長寿と関係しているようです。100歳・駿河敬次郎先生の医師の同僚で早死した方が、いつも怒っていたそうです。駿河敬次郎先生は、その人のよさゆえか、人に騙されたり裏切られたりもしました。病院スタッフの不正の不始末をご自分が負うこともありました。でも、先生は悪いことをした人を責めたり罰したりしませんでした。私が「先生、怒ったり告発したりしないのですか?」と聞くと「いやいや、別に…」と飄々とされていました。赦しということばのリアリティを見た思いでした。なぜ、私が駿河敬次郎先生の人生を知りたいと思ったか。私自身が駿河先生の「赦し」の実践や淡々とした生き方に憧れているから、かもしれません。私を死に至る大病に陥れ不正をしながらも盗人猛猛しい人物への葛藤、沈黙を貫く中での言葉にならないうめき…。それらが、私を作品作りへと駆り立てています。関智征


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お陰様でクラウドファンディング3日目を迎えることができました。駿河敬次郎先生は、世界中から先生の手術を求めて病気の方が来日するような実力派の医師でした。その駿河先生の座右の銘が上記「一に敵なし…」です。患者思いで実力が抜きん出ていた駿河先生が「五に実力」と言っていることが私には面白かったです。駿河先生ほど手術の実力のある方なら、ドラマドクターXみたいに一匹狼でも大学病院で生きていけたのかもしれません。また駿河先生は医学部内の政治的なことよりも、いかに患者を治すかにはるかに関心のある方だったと聞いています。しかし、その駿河先生から「一に敵なし、二に政治」ということばが出てくることに、私は最初は驚き、後に納得しました。実際に駿河先生は、医師としての技術、実力が秀でていたのに、嫉妬されたり人間関係で失敗して失脚していった方を多くみてきたそうです。大変、示唆に富む話です。「できることなら。あなたかだの力の及ぶ限り、すべての人と平和に暮らしなさい。愛する皆さん。自分で復讐せず神の怒りに任せなさい」(聖書)関 智征


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100歳でも働く駿河敬次郎先生の情熱の原点はどこにあるのか。私は、戦中の体験も影響しているのではないかと推測しています。先生の同世代の多くが戦争で亡くなりました。駿河先生は、神宮での出陣学徒壮行会にも出席しています。「東条英機のスピーチは迫力があった」と先生は言っていました。先生の寮や大学の友人も戦死しています。昭和19年に医学部を卒業した後、駿河先生は軍医(陸軍中尉)となります。昭和20年冒頭、先生がインフルエンザになり軍隊に出勤できなくなり2週間後に復帰したところ、同期の医師たちは外地に招集されていました。同世代の多くが亡くなった中、ご自分が生き残ったことは、どんな気持ちだったのでしょうか。関智征冒頭のツイッター写真リンク先