いつも応援ありがとうございます。
今回は、本文に掲載予定だったものの、都合により掲載できなかった谷監督の思いや、手話映画を作るようになったきっかけ、仕事のことなどを掲載いたします。
<谷監督からのメッセージ>
監督の谷進一です。みなさま、映画「ヒゲの校長」をご支援いただき、心から感謝いたします。
本文に書いたように、元々、私は演劇にのめりこみ、役者を志していました。
そして、聴者とろう者が出演する舞台で役者が足りないとなり、声がかかったことをきっかけに手話を使う舞台に出演しました。20年くらい前の話です。最初は、手話を使わない聴者の役で。その後、少しずつ手話を使う役を演じるようになりましたが、ある時、手話が下手だと言われたのです。
手話は、聴者にとっての話し言葉と同じです。手話が下手ということは、役者として、表現ができてないと言われたも同然。それはもう悔しかった。その悔しさをバネに必死で手話を覚えました。
その頃、演じていたのが、前作「卒業」のベースとなった『あしたを拓く』という3・3声明をテーマにした演劇です。
「卒業」は、約50年前に京都のろう学校で実際に起こった授業拒否事件を題材にしています。それは、教師の生徒に対する不誠意、無責任な差別的態度により、生徒と先生が対立したものです。
『あしたを拓く』 の舞台を続けるうちに、これをなんとか映画化できないかと考え、苦労の末、完成したのが前作「卒業~スタートライン~」でした。
現在、本業は看護師です。実は、役者を続けるために選んだのが今の職業です。このため、看護師資格をとったののも29歳になってから。役者の仕事は平日に動く必要があるため、平日休むことができ、休暇の希望を出しやすいということで看護師になりました。
最初は、総合病院の病棟勤務から始まり、系列の老人保健施設に異動、その後、訪問看護師となりました。 現在も訪問看護師として多くの患者さんの家を訪れていますが、中にはろう者もいて、思わぬところで手話が大いに役立ちます。手話を使うことで信頼関係を築け、患者さんと仲良くなることも多々あります。人生は、何が活きるか分からないものです。
さて、私は悔しさをバネに手話を覚えたのですが、今回の映画を作るにあたり、手話の魅力とは何だろうと考えました。
手話は、視覚に訴える言語で、とても根源的です。そして、顔と顔を合わせて、表情と手を見せて向き合わないと通じにくいものです。これは、コミュニケーションの原点ではないかと思うのです。
また、手話を使うと相手と対等な感じがします。地位がある人もそうでない人も、大人も子どもも、みな、対等に思えます。なんとなく英語に近い感覚です。このため、すぐに打ち解けることができます。
みなさんは、手話をテレビで見たことがありますか?多くの方と同じように私も見たことがありました。でも不思議なことに、テレビで見ても手話を魅力的だとは思わなかったのです。
しかし、ナマの舞台で手話を見たとき、全身を使って表現するその姿に魅了されました。役者として、いかに声に頼った演技をしていたかが分かったのです。
手話ができるようになると世界が広がります。簡単な挨拶ができるだけでも、ろう者の方から喜ばれます。
一方で手話を扱う映画は少なく、また、手話にまつわる歴史についても知られていません。以前から、髙橋潔先生の業績は存じており、いつか映画化して、多くの方にに知ってほしいと思いました。
パラリンピックで手話通訳が行われ、多様性の重要さが叫ばれる今、手話が少しずつ広がっています。今こそ、手話の歴史や指文字の誕生、ろう文化について知ってほしいと思うのです。
社会に手話が浸透することで、多様性を認めつつ、聞こえる人も手話の恩恵を得られると思います。声ではない言葉だと話ができる自閉症の人や吃音の人、声ではうまく言えない人が手話なら伝えられるケースがあります。また、コロナ禍において、マスクをすることが当たり前になり、表情や口形が見えなくなり、言葉や気持ちが伝わりにくくなっています。
こういったことから、手話やろう文化について広めることは、みんなが思いやりを持ち、心のバリアフリーを体感できる社会への第一歩になると信じています。
引き続き、ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
聾宝手話映画 谷 進一