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元祖 鯱もなか本店です。
クラウドファンディング終了まであと9日。
目標金額達成まであと38%です。
残す金額も大きい中でカウントダウンが始まりました!
そんな中ですが、ここで私たち4代目夫婦がお店を継ぐことになるまでのストーリーについてご紹介させてください。
当店は昨年の9月から様々なメディアに取り上げられ、多くの方に知っていただくことができました。
ですが、ここに到るまでに私たちが出会ってから18年の歳月がありました。
当店の4代目の社長は先代の娘、この文章を書いている私は一緒に会社を切り盛りする夫です。
廃業寸前だった老舗菓子店を継ぎ、オンライン販売の強化でV字回復!と、確かにそこだけ見ればシンデレラストーリーに見えるかもしれません。
ですが、実際にはそんな綺麗なものではなく、良き日も艱難辛苦(かんなんしんく)も共にしながら泥臭く年を重ねて今があります。
妻と出会ったのは名古屋の大須商店街にあった「モンキーズカフェ」という漫画喫茶です。
バイトで入ったそのお店の先輩が今の妻です。
私は大学2年生で妻が大学3年生の時でした。
お互いの第一印象は、私は妻を「面白おかしい」と思い、妻は私を「変な髪形」と思っていました。
妻は一見クールに見られがちですが口を開けば冗談を言うひょうきんな人。私はと言えば黒と金のまだら模様で左だけ首まで伸ばした奇抜な髪形だったのです。
この二人には珍しい共通点がありました。
それは「ロックが好き」ということ。
しかもかなりマニアックな。
私はアンダーグラウンドなパンクをこよなく愛していました。
幼いころから人見知りが酷かった私は人間関係がうまくいかないフラストレーションを激しいサウンドや過激なパフォーマンスに求めて発散していました。
妻はドレスアップしたモッズスタイルのロックや、革ジャンにリーゼントのガレージロックに傾倒していました。
芸大生で当時から美意識が高く、様式美にこだわる音楽を好んでいるようでした。
細かく言えば少し違うけれども趣味の近いロックの話題で盛り上がり、それがきっかけでいつしか共に歩むことになっていたのです。
そして月日がたちお互い社会へ出ることになります。
一歳上で先に大学を卒業した妻が選んだ道はアパレル業界でした。
ゆったりした時間が流れる大須の裏路地にあるセンスのいいショップで販売スタッフになったのです。
そして一年後に私が選んだ道はといえば「パンクロッカー」でした。
バンド活動していた私は、大学4年生の時に有名なパンクの大御所プロデュースでCDアルバムを出し、バンドマンとして生きていくと決めました。
発売時にタワーレコードのインディーズランキングで2位までいけたことは今でも自慢です。
その時の1位はなんとAKB48でした。メジャーデビュー前のAKBが立ちふさがり1位を取ることはできませんでした。
ですが発売時の販促用ポスターには、日本のロック史で最重要バンドの一つBのドラムKさん、愛知出身の人気お笑いコンビSのOさん、学ランがトレードマークのグループKのAさんといったすごい方たちから推薦コメントをいただくことができ、一生の宝物になりました。
その時の収入源は中古レコードショップのバイト代でした。
フリーターをしながらそのバンドで音楽活動を続けていましたが、しばらくすると解散してしまいます。
パンクとは刹那的で強力なエネルギーが魅力の音楽のため、どうしても長続きしにくいことは否めません。
バンドを解散した私は次のバンドメンバーを探しましたが中々見つかりません。
そこで声をかけたのが妻です。2人でバンドを組むことにしたのです。
作詞作曲して小さなライブハウスでライブをしていました。
当時の様子がこちらです。
バンド活動を順調に再開し順風満帆かと思いきや、ある日転機が訪れます。
なんと妻にお見合いの話が舞い込んできたのです。
それは「フリーターのパンクロッカーなどとは縁を切って、しっかりした人と結婚しなさい」というご両親のメッセージでした。
この絶体絶命のピンチをどのように乗り切ったのか、それはまた明日お届けしますのでお楽しみに!
次回「出会って跡を継ぐまでの18年 ~ブラック企業に就職、そして大手商社へ 編~」
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