昨日、2ヶ月にわたるクラウドファンディングへの挑戦が終わりました。たくさんのご支援とご協力、ありがとうございました。支援をいただいた皆様は勿論ですが、シェアやツイート、励ましの言葉なども多くいただきましたことに、この場を借りて厚く御礼申し上げます。残念ながら今回のクラウドファンディングは、サクセスならずという結果に終わりました。今後、支援金は返金され、ショートムービー制作計画は白紙となります。これは、私たち映画プロジェクトが、幕末の秋田映像化の意義や魅力を十分に伝えることが出来なかったことの現れであり、責任の全ては統括した私、檜山敬輔にあります。たくさんの支援をいただいたにもかかわらず、期待に応えることが出来ないことを、本当に申し訳なく思っております。ですが、ここで諦めるような我々「映画プロジェクト」ではありません!応援してくれる沢山の方々のためにも、この結果を真摯に受け止め、目標の「幕末の秋田をスクリーンへ」実現を目指し、努力を続ける所存です。未熟者ではありますが、これからも当プロジェクトに変わらぬご理解とご協力をいただけたら幸いと思います。令和4年2月28日 秋田口戊辰戦争映像プロジェクト 代表 檜山敬輔
同盟離脱 の付いた活動報告
支援者の皆様、この度は多大なるご支援と激励のお言葉、本当にありがとうございます!(^-^)今回は、パイロットムービーの脚本の内容を非常に大雑把ですが、かいつまんでご紹介いたします。慶応4年1月(明治元年、1868年) 鳥羽伏見で勝利した薩長新政府は、反政府因子一掃のため、全国の諸侯(大名)に徳川慶喜を命じました。画像の書面は、その時秋田に届いたもので、徳川慶喜追討となっています。∑(゚Д゚) ですがこの時、秋田側の文書には、薩長vs幕府の戦いだろうという雰囲気の、対岸の火事のような文書が多数残っています。危機意識が少ないようです(*_*)このあと、岩倉具視から会津追討を追加した内勅があり(^◇^;)、東北全体が困惑する事態に… 3月に奥羽鎮撫総督が到着すると、何故か庄内藩を征討せよ!と秋田は命じられてしまいます。え〜!なんで急に〜!おかしくない?( ;∀;)ですが、なぜ庄内藩を?薩長は信用出来ない!(● ˃̶͈̀ロ˂̶͈́)੭ꠥ⁾⁾ いやいや、ここで従わないと秋田が征討されるのでは…(◞‸◟)やばい…と秋田首脳部は迷い、藩内でも対立が…そして、7月仙台藩士襲撃事件という秋田の運命を決める凄惨な事件が発生してしまいます。その事件で、これまでの研究では首謀者の最重要人物とされてきた秋田藩士「豊間源之進」今回は、彼にスポットを当てながら物語は展開され、通説を覆すような新事実も…そんな謎めいた裏側を細かく描きます。 しばし敵味方の立場を忘れて見ていただけたら幸いです。(*⁰▿⁰*)