【目標支援金額の達成!!】
2021年12月10日に公開いたしました当プロジェクトですが、目標金額を達成いたしました!
支援者していただいた皆様、本当にありがとうございます!!!
2021年12月27日現在、支援者は43名です。
より多くの方に、このコーヒーを手に取っていただきたい!
味わっていただきたいです!!!!
【メディア掲載】
12月27日 新潟日報
▼ それでは、商品開発の物語をご覧ください!
『ま、やってみいや』
新潟で創業58年を誇るコーヒー豆卸問屋”鈴木コーヒー”社長の一言から全ては始まった。
当プロジェクトページをご覧いただきありがとうございます!
プロジェクトオーナーの佐藤俊彦です。
2021年 未曽有の東日本大震災より10年が経ちました。
震災当時、僕は20歳。なにもできずただ現実と向き合う日々でした。
それから時は経ち、現在31歳。
『地元・福島を盛り上げたい』
そんな僕が2021年、福島から約200キロ離れた”新潟で”そして”コーヒーで”奔走した物語を御紹介します。
まず商品の概要を説明いたします。
そして出来た商品がコチラです!
果たしてどんな想いで、どのように出来たのか…?
僕の一年間の記録と共にプロジェクトを御紹介します。
長くなりますが、それだけ想いが詰まった商品です。
是非、最後までご覧ください。
東日本大震災から本年で10年…
ずっと”何かを”したかった。
僕は福島県相馬郡飯舘村出身。
自然豊かで、人々の繋がりが厚く、とても住み心地が良いあたたかい村だ。
そんな村が大好きだったが、一番大好きだったのが”おばあちゃん”だ。
僕はおばあちゃんに育てられたといっても過言ではない。
親父は電気工事屋の社長として寝る間も惜しんで働き、母親は縫製会社で働く両親とも『仕事人間』
そんな多忙な両親に代わり、幼い僕の面倒を見てくれたのがおばあちゃんでした。
- 2011年3月
飯舘村を襲った突然の出来事。
『福島第一原子力発電所の事故』
その影響で飯舘村民は全村民避難。
僕の家族も例外なく福島市の仮設住宅へ避難を余儀なくされました。
僕が立ち上がった大きなキッカケが”おばちゃんの死”
避難以前は足腰も丈夫で『120歳』まで生きると言っていました。
おばちゃんはとっても元気だった。
その証拠に自分が産んだ子ども4人よりも長生きしたのだから。
しかし避難所生活になり、いつも話していたお友達とはバラバラに。
外にもあまり出ず、人との交流は少なくなり、みるみる体力が落ちていった。
そして2017年2月、仮設住宅で息を引き取りました。
老衰。一緒に過ごしてきた母親が買い物に出掛けている間に…
- おばあちゃんの死後、母親から”こんなことを言っていた”と聞きました。
『震災は戦争より辛いよ』
大正15年生まれのおばあちゃんは、戦争を経験しました。
戦争で地元を追い出されることはなかったが、放射線は地元から追い出したと。
最後の最後まで飯舘村に帰ることを望んでいました。
その言葉を聞いた時に僕の中でなにかが芽生えました。
『おばちゃんが大好きだった飯舘村に、福島県に貢献しなければ』と…
- 僕がずっと思っていたこと。
それは『福島県外から福島を想うことが大切である』ということ。
僕は福島が大好きです。
理由は大事な家族や、大好きな仲間が大勢いるから。
だからこそ、福島県外に出る。
そこに明確な理由なんてありません。ただ僕自身がずっと直感的に思っていたことです。
そして2020年3月12日。起業しました。
起業に選んだのは隣県の『新潟県』
理由は、新潟県は東北・関越・上信越・北陸と様々な顔を持っていたから。
そんな新潟で行動すれば”いつか大きな力で福島に貢献できる”と思ったからです。
起業して一番初めに行った仕事は『生産農家がその日に収穫したフルーツを"その日のうちに"お届けする』というサービスです。
高品質なフルーツを生産する農家さんと、新潟市民を『最高に美味しいフルーツ』で結ぶ、新しいスタイルのフルーツ専門店です。
なぜ、フルーツなのか?
私が起業をする際に心に誓った信念は『福島に繋がる事業を行う』でした。
そこで、福島と新潟の共通点を探した時に見つけた答えが『フルーツ』でした。
福島県はフルーツ王国と呼ばれるほど果樹栽培が活発であり、新潟県も『越後姫』や『ル・レクチェ』といった県独自の素晴らしいフルーツが多く存在していたからです。
ヨシ!これだ!と、思いがむしゃらに行動しました。
が…現実はそんなに甘くもなく…
日々の生活費はなくなり、今までに経験したことがない不安と闘う日々を過ごしていました。
ガムを食べて飢えをごまかしていた時期もありました。
(とにかく噛んでれば脳が錯覚するかなと)
そんな中、共通の知り合いを通して出会った方…
それが鈴木コーヒーの社長です。
初めて会って数分話しただけで、僕のビジネス規模では”稼げない”ことをすぐに見抜き、困窮している様子をみて
『オマエ。俺のところに来い。』
鈴木コーヒーの社員として、様々な学び・人脈を作っていき、自分の事業を作り上げていけばいい。
せっかく創業した会社を無くしてはいけないよ。
そのようにお話ししていただきました。
とてもありがたいことですが、正直迷いました。
ただ、社長から…
『コーヒーはもともとフルーツだ』
この一言がとても衝撃でした。
コーヒーなんて全く分かりませんが、僕のやってきたことが間違いではなかったことを信じて、2021年1月、僕は自分の会社の代表でありながら鈴木コーヒーの一員になることを決意しました。
鈴木コーヒーの代表的な商品は『雪室珈琲』
その他にも、SDGs型のサステナブルな商品、新潟古町芸妓珈琲、長岡花火珈琲。
なかでも個人的にオススメは『佐渡金銀山珈琲』
「コロンビアのコーヒー産地の文化的景観」として世界遺産に登録された農園の豆を使用しています。
さらに、低温・高湿度の佐渡金山抗内でコーヒー豆を熟成させることで、苦みの角がとれた爽やかな味わいになることが新潟県立大学の研究で証明されました。
コーヒーでありとあらゆる角度からハッピーシーンを作り出す”クレイジーな会社”です
”ヤケ酒” ”ヤケ食い"はあるけど”ヤケコーヒー"はない。
コーヒーは人と人を結んでくれる、繋げてくれる、確かな『存在』
新潟からコーヒーを通じて…
ここからが、怒涛の1年のスタートでした。
2021年1月中旬
約35年ぶりの記録的な寒波の影響で”ドカ雪”が降った新潟市
朝の雪かきで冷え切った身体に、熱いコーヒーはホッとする瞬間を与えてくれる。
震災10年に向けてなんとか福島県に貢献する商品を作りたいと社長に企画書を提案しました。
当初は福島県全体を巻き込んで商品開発を行おうと考えましたが、僕の出身地である”飯舘村”に徹底的にフォーカスして商品開発したほうが想いが乗って良い商品になるだろうと判断をしました。
そこで返ってきた返事が
『ま、やってみいや』
でした。
(えー商品開発していいんだー!入社まだ3週間よ?)
そう内心思いながら、僕はすかさず『ありがとうございます!』と。
そして、すぐに飯舘村の杉岡村長のアポをとり、翌日には商品開発についての想いをお伝えしに行きました。
-杉岡村長との出会いは2020年8月。
そこで非常に興味深いお話を聞きました。
それは…
”飯舘村は200年前にも大災害から復興を果たした”というお話です。
約200年前の天明・天保の大飢饉により、人口が大激減して疲弊した相馬藩(現在の福島県相馬郡・双葉郡)を復興させるために、幕末から明治維新直後にかけて、主に新潟県や富山県など北陸地方から移民してきた方々が復興のために尽力しました。
つまり、今の"飯舘村があるのは北陸の方々のお陰"である。
もっと言うと、僕の体には新潟の血が流れているかもしれない。
この事実に心から奮い立ったことを覚えています
遠く離れていても”想う”ことはできる。
距離は関係ない。想うか否かである。
杉岡村長との出会いが、僕にとって大きな勇気となり漠然とした不安を払拭してくれました。
絶対に、過去には戻れない。
けど、未来は創れる。
未来を創造するために、”今を生きる”
少しばかり人生の先輩である僕たちから、未来を創る子どもたちに…
そんな想いで商品開発に励みました。
皆様、突然ですが問題です!
『世界で一番コーヒーチェリーが栽培されている国はどこでしょうか?』
答えは
この国です!そう!ブラジル!
市場全体の約30%はブラジルが占めています。
他にもコロンビア・インドネシア・エチオピアなど”コーヒーベルト”と呼ばれる地帯で栽培されています。
現地のコーヒーチェリー農家は”フルーツ農家”として活動しています。
皆様が普段口にする一杯のコーヒーには壮大な物語があります。
ー さて、どの国のコーヒー豆を使おうか?
そこで、飯舘村と友好関係にある国はどこかを調べました。
すると…
飯舘村と友好関係ある国が”ラオス”でした。
=== 飯舘村とラオス ===
ラオスは、面積が日本の約63%に相当し、国土の約70%は高原や山岳地帯です。
国土は南北に細長く、北は中国、東はベトナム、南はカンボジア、南西はタイ、北西はミャンマーと国境を接しています。
『飯舘村とラオスの関係は、平成21年にNPO法人「アジア教育友好協会」の出前講座で、村の小学生がラオスの人々の心豊かさと、十分ではない教育環境について学んだことがきっかけです。
小学生を中心に「ラオスに学校を贈ろう」と募金活動やふるさと納税の呼びかけが始まり、集まった寄付金を、ラオス・ドンニャイ村の中学校の建設費用の一部として支援しました。
そうした交流を続ける中で東日本大震災が発生。
ドンニャイ村の皆さんは、飯舘村のために祈り、米や鶏をお金に替えてまで寄付を出し合い、飯舘村に送ってくださいました。
2017年11月17日に飯舘村はラオスの復興ありがとうホストタウン登録されました。』
(飯舘村ホームページより)
”飯舘村のために祈り、自らの食糧(米や鶏)をお金に替えてまで寄付してくれた”って…スゴイですよね。
遠く離れても”想い、行動してくれた”ことにとても温かさを感じました。
ありがとうございます。
ラオスは近年、コーヒーチェリーの栽培が大きくなりつつあります。
『よし!ラオスのコーヒー豆だっ!!ラオスの経済にも貢献すっぺ!!』
ドリップバック内のコーヒーは、ラオスのコーヒー豆100%で決定です。
自分が出身の村と友好関係にある国で"コーヒーが栽培されている"なんて、夢にも思ってなく、全身が震えました。
とても幸運に恵まれて、見えない力が背中を押しているように感じました。
絶対に良い商品ができる!
そう感じていた僕は次なる課題、ドリッブバッグのデザイン作成へと奔走するのです。
ただ、それが一筋縄にはいきませんでした…泣
■2021年2月
まだまだ寒い新潟
この時期から新潟県特産の”越後姫(いちご)”を実らせるためにハウス内ではミツバチたちがせっせと受粉活動をします。
ミツバチに負けず、僕もドリップバックコーヒーのデザイン作成に向けて始動しました。
当初からデザインは『2011年に生まれた飯舘村の小学生に描いてもらおう!』と思い進めていきました。
2011年生まれといえば現在、10歳前後。
東日本大震災を知らない子が『10年後の僕たち私たちの飯舘村』をテーマに明るくポジティブな絵を描いてもらおうと考えていました。
― しかし、結果は『ダメ』
村の小学校に通う子どもたちの多くが村外から通っており、まとまった時間が確保できないということが大きな理由でした。
計画通りにいかないことはある程度の覚悟していましたが、そもそも描いてくれないことは想定していませんでした。
飯舘村や福島県、日本を元気にしてくれるであろう”子どもたち”と一緒になって作り上げる商品を夢見ていましたが、そのイメージはあっけなく砕け、早速”壁”にぶつかりました。
でも無理なものは仕方がない…。
きっと、もっと素敵な”なにか”と出会える。
そう信じて次に、何をするべきか考えました。
■2021年3月
次なる案を探している中、僕を応援してくれたのが母親でした。
悩む僕に対してどうすればいいかを一緒になって考えてくれました。
そして母親の友達の紹介で『飯舘村在住の85歳の作家さん』に白羽の矢が立ちました。
その名も渡辺さん。
いつもアポなしで突撃訪問することがしばしばの僕。
渡辺さん宅に”ごえらと”お宅訪問して、今回の主旨や想いについてお話させていただきました。
※ごえら=突然(福島の方言)
渡辺さんは御高齢ということもあり、だいたいのお話を旦那さまが聞いてくださいました。
旦那さま経由ではありましたが、渡辺さまの了承を頂きました。
そして、飯舘村のシンボル『赤松・うぐいす・山百合』をモチーフにデザイン画を描いていただくことになりました。
― しかし、結果は『ダメ』
渡辺さまは御高齢ということもあり、体が思うように動かず、なかなか製作活動ができませんでした。
さすがに、これ以上の無理を言う訳にはいけない…。
(ホントに商品なんて出来るんだろうか…。)
なんとも言えぬ不安が僕を襲いました。
■2021年5月
今度は前村長の御紹介で、”ほんの森いいたて”という飯舘村の図書館(現在は閉鎖)の職員の方にお願いしました。
その方は撮った写真にメッセージを加えて、とても魅力的なポストカードを作成していました。
素敵な風景写真にメッセージ…
これらをドリップバッグにしたら映えるだろうなーと思い、社長に提案しました。
すると社長は…
『とっても良いけど、風景写真は経験上、売れないのよ』
ノベルティ(PR)としては有効であるが、一般の購入者からすると、見ず知らずの村の風景で買ってくれることはまずないと考えた方がいいとのことでした。
(えー!とっても良いのに???)
僕自身、商品開発なんて人生初…
商品を作ることの大変さに心が折れそうになりました。
■2021年6月
飯舘村にUターン就職した”仲間”から『キャンドル作家』の方がいるんだけど、その人に聞いてみるのはどうかな?との連絡が入りました。
仲間の名前はナオヤ。
中学時代。僕がサッカー部のキャプテンだった時の副キャプテン。
心強い奴が飯舘村に居るなんてありがたいなー!しかもこのタイミングで!
不思議な御縁に正直怖さも覚えながら、ナオヤに言われたから会ってみよう!と思いお会いしました。
それが、飯舘村地域おこし協力隊の大槻美友さんです。
飯舘村地域おこし協力隊でキャンドル作家の大槻美友さんは、県産の季節折々の花をロウの中にちりばめて作る『ボタニカルキャンドル』の販売に加え、キャンドル作り体験もできる工房を2021年5月にオープンしました。
アトリエ名は『工房マートル』
飯舘村の民家をリノベーションした、とても素敵なアトリエです!
大槻さんに直接、商品の趣旨を説明してデザイン交渉をしました。
― しかし、それと同時に別な展開も進めていました。
それが『新潟から福島を盛り上げる』というコンセプトです。
いままで飯舘村の人を巻き込んで作り上げることに固執していましたが、当初の僕の想いに準じるのはどうか?と構想しました。
『現在も震災をキッカケに新潟に避難している人はいるのではないか?』
そう思い、以前とてもお世話になったメディア関係者に相談をしました。
そして御紹介を受けたのが『髙島詠子』さんでした。
髙島さんは、"パステル"という乾燥した顔料を粉末状にして固めたカラフルな画材を使って描く作品の制作および指導を行っています。
東日本大震災をキッカケに家族で福島県から新潟県に避難してきました。
(当時、お子さんがまだ小さかったため)
髙島さんとお話しているうちに、福島に対しての想いが一緒であると感じました。
そこで僕が出した答えは『新潟から福島を盛り上げる』でした。
親身になって商品開発の相談に乗っていただいた大槻さん・村おこし協力隊の方々にお詫びを申し上げ、ドリップバッグのデザイナーは『髙島さん』に決定しました。
製作開始から奔走して約6か月…0ベースになること計4回…
ようやくドリップバッグのデザイン製作者が決まりました!
== デザインテーマは『ラオス』 ==
商品開発にあたり、デザインコンセプトについて社長と話していました。
『作るなら、テンションが上がるもの』
デザインはラオスに思いっきり振り切って、その中に飯舘村の心意気を表現しようと。
皆様!ラオスと言えばどんなイメージがありますか?
様々な特徴を持っています。
髙島さんには『ラオスをイメージで!』とざっくりとお伝えしました。
そこで髙島さんは”飯舘村”と”ラオス”について書籍を購入してまで勉強していただき、約2週間でなんと18点ものデザインを仕上げてくれました。
全部良すぎて、どれにすっぺ…
=== キーワードは”までい” ===
飯舘村には合言葉があります。それが”までい”
真の手(両方揃った手)が語源です。
・手間隙を惜しまず
・心を込めて
・より丁寧に
といった意味で使われる方言があります。
よくおばあちゃんに『ご飯粒も残さず、までいに食えよ』と言われていました。
この”までい”の精神が飯舘村には根付いています。
英語表記は『Maday』
(※飯舘村に確認したところ造語とのこと)
そうして2021年10月末商品が完成しました。
その名も
『Maday Coffee』
(までいコーヒー)
悩みに悩んだ結果、デザインは下記の3種類に決定いたしました!
使用するコーヒー豆は【ラオス・ティピカ・ナチュラル】と呼ばれる”スペシャリティコーヒー”です。
※スペシャリティコーヒーとは?
■消費者が美味しいと評価して満足するコーヒーであること。
■生産国においての栽培管理・収穫・生産処理・選別そして品質管理が適正になされ、欠点豆の混入が極めて少ない生豆であること。
■適切な輸送と保管により、劣化のない状態で焙煎されて、欠点豆の混入が見られない焙煎豆であること。
■適切な抽出がなされ、カップに生産地の特徴的な素晴らしい風味特性が表現されることが求められる。
引用:日本スペシャリティコーヒー協会(SCAJ)
焙煎度は浅めのハイロースト。
ラオスのコーヒー豆が持つ特徴を生かす焙煎度をチョイスいたしました。
封を開けた瞬間から漂う爽快な香り。
まるで紅茶のような飲み口にフルーティな酸味が特徴。
”コーヒーは苦いもの”という概念を覆す新体験の味わいです。
実際に出来た商品が手元に届いた時は、嬉しい気持ちでホッとしました。
『このまま出来なかったらどうしよう』という不安に襲われていたからです。
(安心して倒れそうになりました)
僕の想像を遥かに超えた、『世界に1つだけ』のとても素敵なものが完成しました!
■リターンについて
Maday Coffeeに髙島先生のポストカード(5枚1セット)をリターンとして御用意いたしました。
【クラウドファンディング支援者限定公開!】
支援者さまが最大限に楽しんでいただけるよう制作した、『プロジェクトオーナー佐藤が発見!Maday Coffeeを3倍楽しめるとっておきの淹れ方』をまとめた動画URLを、ありがとうメールと共に送らせていただきます!
■子どもたちへの支援について
支援金の一部は、飯舘村の子どもたちに『希望の樹』をおくります。
形として残るもの、想いを馳せることができるものとして『なにが良いか?』をたくさんの方々に相談させていただいた結果『樹木』に決めさせて頂きました。
樹木は皆様からの想いの結晶です。
飯舘村の更なる復興を、樹木の成長と共に飯舘村の子どもたちに見せたいです!
植える樹木は、次の4種類を選定いたしました。
■『春夏秋冬』それぞれ想いを持ちながら、イキイキと過ごしてほしい
■想い、行動すれば必ずカタチになる
そんな願いを込めて植えさせていただきます。
学校構内若しくはスポーツ公園内を植樹の候補地に選定しております。
※植樹について教育委員会の許可を頂いた上で実施しています。プロジェクトオーナーが主体となって、飯舘村の造園さん指導の下に行います。
進捗状況については、随時アクティビティで公開いたします。
『支援は出来ないけど気になる』
そのような方でも、お気に入り登録をしていただくと通知を受け取ることができますよ!
Twitterでも発信いたしますので、フォローをよろしくお願いいたします。
集まった支援金でグレードや選定場所が変わります。
ぜひ皆様でワクワクするような『希望の樹』をおくりましょう!!
■スケジュールについて(予定)
【 2022年 1月10日 】 クラウドファンディング終了
【 2022年 2月中旬 】 順次リターン開始
※受注生産のため、商品発送まで約1ヵ月のリードタイムがあります
【 2022年 3月中旬 】 植樹場所の決定
【 2022年 4月 】 植樹の実施
発送状況については逐一アクテビティにてお知らせいたします!
楽しみにお待ちいただければ幸いです。
■目標金額について
このMaday Coffeeを100名に届けることをゴールとします!
友人・知人に当プロジェクトの紹介、各SNSで拡散大歓迎ですので、御協力をお願いいたします!!!
1人でも多くの方に届くことを心より願っています。
(個人的目標は15,900名に届けたいです)
【資金使用用途】
■Maday Coffee 作成費用償却
・クラフト外箱デザイン料:約3万円
・クラフト外箱初回版代 :約5万円
■植樹苗木費用 :約4万円
■植樹諸経費(労務費) :約3万円
■なぜクラウドファンディングに挑戦したのか?
僕は”想い”を伝えたかった。
ご覧いただいた通り、たくさんの物語が詰まった商品です。
新潟と福島を何度も何度も往復しました。
とにかく企画を進めたいのに、コロナで全く身動きがとれずに精神的に追い込まれることもありました。
なぜこんなことをやっているんだろう?と自分が信じられなくなった時もありました。
それでも、鈴木コーヒーの皆様や飯舘村の方々、関わってくれた多くの人々のおかげでここまで来ることができました。
僕一人では、決して出来なかった商品です。
1人でも多くの人に”福島を。飯舘村を知っていただきたい”その想いのみで突っ走ってきました。
認知度が高まりつつある、クラウドファンディングを実施することで、より多くの方に知っていただける機会を作れるのでは?と考えたからです。
私の想いを動画にさせていただきました。
僕たちに出来ること、僕たちだから出来ること。
この商品に関わってくれた方、全ての方に感謝申し上げます。
最後までご覧いただき、誠にありがとうございました!!
===以下 各表記事項===
【 本プロジェクトの問合せ 】
■メール及びTwitterのDMで受け付けいたします。
・hopef.0369@gmail.com
・Twitter
【画像引用元】
(*1) 画像提供:PhotoAC
(*2) 画像提供:Pixaboy
【募集方式について】
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします!
【特定商取引法に基づく表記】
■販売事業者名:株式会社HOPEF
■代表者・通信販売に関する業務責任者の氏名:佐藤 俊彦
■事業者の所在地:新潟県新潟市中央区弁天橋通1-5-25
■事業者の電話番号:070-1525-0369
■対価以外に必要な費用:無
■その他注意事項:プロジェクトページ、リターン記載欄、共通記載欄(https://camp-fire.jp/legal)をご確認ください。
■販売元:株式会社鈴木コーヒー
※クラウドファンディング掲載許可を得た上で実施しております。
【食品表示について】
■商品名 :Maday Coffee(までいコーヒー)
■サイズ :150×350×15mm
■重量 :79g
■保存方法 :常温
■生豆原産国:ラオス
■挽き方 :中挽き
■賞味期限 :製造後から365日(商品ラベルに表記)
【SPECIAL THANKS】
■福島県飯舘村
■株式会社鈴木コーヒー
■髙島詠子 様(ぱすてるの森)
■大槻美友 様(工房マートル)
■松本奈々 様(MARBLiNG)
■飯舘村役場
■飯舘村教育委員会
■アジア教育友好協会
■株式会社カネコ林でんきや
■愛樹園
■菅野典雄 様
■佐藤 美津子 様
■その他大勢の関わってくれた方々にこの場をお借りして、心より御礼申し上げます。
非常に良い経験をさせていただきました。誠にありがとうございました。
最新の活動報告
もっと見る福島県飯舘村の子どもたちへ『樹木』を送りました!!
2022/03/14 21:02いつも御支援ありがとうございます。プロジェクトオーナーの佐藤俊彦です。この度、飯舘村の子どもたちに『樹木』を送らせていただきました!3月7日に植樹祭が滞りなく執り行われました。プロジェクトページ内では『いいたて希望の里学園の敷地内』もしくは『いいたてスポーツ公園』に植樹すると記載いたしましたが、飯舘村役場から、一般の方々にも広く観ていただくのはどうでしょう?との提案を受けて、飯舘村の道の駅までい館に隣接しています『ふかや風の子広場』という、子どもたちが遊べる遊具がある広場の駐車場入り口に植樹させていただきました。とても良い場所です。飯舘村の子どものみならず、道の駅に訪れた子たちにも多く目に触れることが期待できます。これも御支援くださいました、皆様のおかげであります。誠にありがとうございます。今回の植樹の様子をYouTubeにアップいたしました。▼動画https://youtu.be/NcBUeYsGMIwまた福島県飯舘村にお越しの機会があれば、是非ご覧になってください!!(左から)さくら・サルスベリ・もみじ・もみの木この子たちも大きく成長し…きっと多くの方を笑顔にしてくれるでしょう!!改めてまして、御支援いただき誠にありがとうございます。今後とも一生懸命頑張って参りますので、応援の程、宜しくお願い致します。佐藤俊彦 もっと見る
【御礼】目標支援金額の達成!!
2021/12/27 21:34こちらの活動報告は支援者限定の公開です。
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