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眉カットを文化に!全ての美容師に《立体造形眉カット》の知識と技術を届けたい!

『美しい眉は人生を変える』をビジョンに掲げて立体造形眉カット技術の普及活動をしている木梨純平です。延べ13万人の眉をデザインしてきた経験を全国のプロ美容師に伝えるためにクラウドファンディングを立ち上げました。「美容室で立体造形眉カットが当たり前になる文化をつくる」ために応援いただけると嬉しいです。

現在の支援総額

417,000

139%

目標金額は300,000円

支援者数

107

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2022/01/31に募集を開始し、 107人の支援により 417,000円の資金を集め、 2022/02/28に募集を終了しました

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眉カットを文化に!全ての美容師に《立体造形眉カット》の知識と技術を届けたい!

現在の支援総額

417,000

139%達成

終了

目標金額300,000

支援者数107

このプロジェクトは、2022/01/31に募集を開始し、 107人の支援により 417,000円の資金を集め、 2022/02/28に募集を終了しました

『美しい眉は人生を変える』をビジョンに掲げて立体造形眉カット技術の普及活動をしている木梨純平です。延べ13万人の眉をデザインしてきた経験を全国のプロ美容師に伝えるためにクラウドファンディングを立ち上げました。「美容室で立体造形眉カットが当たり前になる文化をつくる」ために応援いただけると嬉しいです。

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順風満帆に進むSage(サージュ)での業務。毎日忙しく、予約もパンパン。ちょっと不満があるとすれば、予約が2ヶ月待ちのため、お客様皆様がスケジュールもわからないままとりあえず予約を抑えることになるので、いざ当日前日でのキャンセルが多い( ;∀;)ひどい時は朝みた予約数の半分になる日もありました。しかし、それはまぁ仕方のないことですし、休憩時間できたー!くらいの感じではありましたが、同時にややもどかしさもありました。あとは遅刻。5~10分平気で遅刻してくるお客様もいるので、次の人は待たすは、いつくるかわからんはでモヤモヤなんてこともありました。しかし相対的に問題なく、ご飯もちゃんと食べれて、給与もしっかり安定した生活が出来ました。そこから5~6年、毎日は順調に流れていきます。ある日ふと思うようになりました。「自分のしたいことなんやろう??」安定した生活ができるようになると、やはり次のステージが気になります。毎日たくさん来てくださるお客様。新規営業の努力もなくても順番待ちは後を絶たないし、予約の取り合いが続く、、、んー「楽しくない」お客様は大好きな人達が来てくれるし、話すの好きだし、接客業としてはなんの不満もなく本当に楽しい日々だったのですが、心の中の何かがぽっかり空洞なのです。どうやらわたくしは「安定」ではなく「挑戦」を常に求めていることに気がつきました。元々はヘアメイクがしたくて入ったこの業界。作品撮りを増やしたり、個展をやったり、果ては舞台まで作りました。がむしゃらにいろんなことにチャレンジをして、次の「やりたいこと・やるべきこと」を探したんですね( ・∇・)そして、ヘアメイクでやりたいことをしっかり一つの事業母体とし「クリエーターズユニット QOS (クオス)」として発足。本職の「眉」の方で気づいたのが、「いろんな人にこの眉カットを知ってほしい」でした。知ってほしい!広がってほしい!と思って意活動を続けて、予約パンパンに忙しい売れっ子になって、その目的を達成していると思い込んでいました。しかし、その頃ゴールの設定がなかったので、「広がっているってどのくらい?」と考えたときにカルテの枚数を見直しました。独立後のカルテ枚数「2,000枚」7年近くも活動を続けて、予約パンパンになって、僕のカットを受けたことのある人は「たった2,000人」しかいませんでした。当然失客もあるので、常に来てくださっている顧客様はざと500人くらい。少なっ!!!!!!!というより、これが個人の限界値だと知りました。自分の目指す未来は何?目的は何?「眉カット界のヴィダル・サッスーン」になろう!そう決めました。ヴィダル・サッスーンは今の美容師の技術の基礎を根底から作ったイギリス人。日本はこのサッスーンの技術も元に国家試験を作り、全世界の美容師はこのサッスーンの技術を習得してお客様の髪を切っています。技術の根底を築き上げた人でした。わたくしもそうなろう。この先の眉カットというものを世の中のあたりま絵にしよう。「眉カットを文化にしたい」そう決めました。、、、つづく


27歳で独立し、最初はそれまでお世話になっていた先輩のお店の片隅を、今で言う面貸しの状態でスタート。言われるがままちゃんと家賃を払い、今までにない「経営」というのが楽しくて順調にスタートしました!売上も独立前よりさらにアップし、ちょうどこの頃子供も産まれ、順風な独立に見えました。しかし、しかし、売上とは裏腹にどんどん経営状態は苦しくなり、家庭に入れるお金も最後は妻に泣きつく始末。。。このままでは家族を養うことができないと、やめる事を決意。売上は上げてましたが「経営」というものを1ミリも理解できてなかったのです。売上を上げ、財務管理をし、営業活動をして、勤めていた頃より頑張りましたが、全部一人でやるのは何もうまくいかないと悟りました。悔しくて悔しくて、苦渋の決断でした。そんな時、一人の女性と知り合いました。翌年共同経営を共にするsanaという美容師。彼女との出会いが人生を一つ変えました。会社を立ち上げ、オープンしてすぐ一人のアシスタント平井くんを雇い、3人でのサロンスタート。sanaに出会い、一緒にサロンやろう!ってなってサロンのオープンが決まるまでたったの7ヶ月wぶっちゃけ、ほぼ素性も知らない女性美容師と一緒にサロンを立ち上げるというフィーリング頼りの人生プラン。しかし、怖いものは何もなく、むしろワクワクしていました。そこから、メイクの川井や、今も一緒に働いている藤崎なども加わり、チームでやることで、めっちゃ楽しいサロンになりました。この「サージュ」のオープンと共に雑誌やテレビがひっきりなしに取材に来てくれるようになりました。このきっかけにどんどん眉が忙しくなり、あっという間に予約2ヶ月待ちの眉サロンへ。ここから約7年。サージュを飛び出すまで色んなことにチャレンジして取り組んできました。続く。


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こんにちは!じゅんぺーです。始まって約1週間!なんとかすたーとできて、たくさんの方にご助力いただいております。この感謝は忘れずに今後もがんばりたい!今日は過去のお話を。1977年、明石に生まれ、両親の経営する喫茶店を幼いころから見ていたため、将来は調理師になるのが夢で育ちました。高校生のころ、遅めの反抗期を迎えたわたくしは、店を継げなんて一言も父親に言われたこともないのに、「なんで俺がお前と一緒の仕事せなあかんねん!俺には俺の道があるんじゃ!!」とか言うて、勝手に反抗して、別の道を突如目指します。今思うと父は複雑な気持ちだっただろうなと思いますwそこで美容という道を選んだわたくしは、そこから45歳に至るまでまっすぐにひた走ってきました。美容学校を卒業し、就職し、眉を切り始めて25年の年月が経とうとしています。最初は眉を切る仕事がしたいわけではなく、「メイクアップアーティスト」になりたくてこの世界へ。もちろん今でもヘアメイクのお仕事はさせていただいていて、高校生の頃の夢はちゃんとかなえられてはいます。有名なメイクアップアーティストの師匠「トニータナカ」氏に弟子入りし、メイクを学ぶとともに、日ごろはサロンワークで眉カットのお仕事をお客様に施術する日が続きました。そのサロンワークがどんどん忙しくなり、眉カットのお客様が後をたたなくなり、そのタイミングで、雑誌やテレビが取材に拾ってくれたりなどして、たちまち忙しくなったわたくしは、調子に乗って独立することに。社内でもダントツの指名率と売上だったので、どこでもできると自信を深めました。御年27歳の頃の話。そこで待っていたのがまさかの挫折、、、(正確には挫折と思ったことがないので挫折ではないのですが、失敗談。)務めてた頃より売上もあがり、指名も増えていたのにも関わらず、経営は苦しくなっていきました。...つづく


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おはようございます!初日からご支援いただいた皆様、本当にありがとうございます。シェア・拡散いただいた方もめちゃくちゃ多く、本当に感謝でいっぱいです。ひとまずスタートできたことが嬉しく、新たなチャレンジができる環境に心から感謝です。一人でも多くの美容師さんに、一人でも多くの綺麗になりたいお客様に、正しい知識と技術が届きますように。今日からまた頑張ります!引き続き、応援よろしくお願いいたします。木梨純平