「標高190センチメートルからの眺め」約束の地を求め世界中を旅した記録
昔々、あるところに、身長が190cmある大男が、
自分にもきっと約束された土地があると信じ
旅立った探索の記録を冊子にする。
■なぜ旅にでたんですか?
約束された土地のようなものが自分にもあると思って、探しに行きました。それは、敬虔なムスリムにとってのメッカ、仏教徒の始祖が悟ったブッダガヤ、ヒンディ達の目指すガンジス、カトリックの総本山の聖ピエトロのようなものが、信仰を持たない自分にもあると漠然と思っていたんです。
幼少期より度々感じた、家にいながらもふと訪れる強烈な懐郷感の理由はそこにあると思っていました。
理由はわからないけれど、日本全国の町並みがどこも似たり寄ったりになってしまったからなのか、都市が増殖し情報が溢れかえる現代病なのか、難しいことは判らないけれど。
その土地に辿り着いたら全て合点する、理屈とはまた違う納得が得られる、何もかもがつながり、感極まる、そんな場所があるんじゃないのか、と思って探しに出ました。
■何故道中に写真を撮影したのですか?
目の前に確かに存在するのに、自分では決して手に入れられないモノや情景があって。
例えば、シナイ山の山頂で日の出を待っていた際、感涙するクリスチャンやユダヤ教徒を傍目に、僕はあくび由来の涙を浮かべながら「ここは聖地だけど、自分の聖地じぁないんだな」と感じていました。シナイのご来光は神秘的で綺麗でしたけど。
夕暮れのメコン川で一人佇む少女の気持ちとか。どういう気持ちなのかな、と。
自らが歩んできた人生、形作ってきた世界観とは異なる現実を生きる人の編み出す景色。その人達が触れ合い感じ合い眺めあう世界とか、そういう、その瞬間、確かに目の前に存在しているのに自分には触れられないもの、掴めないもの。そういうものを写真に撮ってちょっとだけ、もらったような気持ちになるためでしょうか。
■「約束の土地」は見つかったんですか?
いいえ。見つかりませんでした。40程の国と地域をめぐり、候補地は粗方あたったつもりなのですが。まだまだ世界は広いです。
しかし、その過程で、「約束された土地が何処かにあるとすれば、それに近いと思しき印象を抱かせる景色や情景」は多数触れることが出来ました。それらは大切に写真に収めてきました。
■なぜフォトブックを制作するんですか?
幼少期からの漠然と抱いていた懐郷感を浮き彫りにしてくれたものに「TBS世界遺産」というTV番組がありました。当時は日曜深夜11時30分から30分の番組でした。ブラウン管に映る異国の風景や人々の中に、どんぴしゃではないものの「約束された土地が何処かにあるとすれば、それに近いと思しき印象を抱かせる景色や情景」と思えるものがあり、自分の中の懐郷感は確信となりました。
「きっと100%懐郷感と一致するパズルの欠けたピースのような場所が世界の何処かにあるに違いない、でなければ、TVに映った知らない景色にこんなにも懐かしさにも似た感動をするはずが無い。」と思うようになりました。
僕があの番組から得た確信のようなものを、僕の写真を見てくれた誰か一人でも感じてくれればなあ、と思います。10万カット以上撮影した中から、僕の感じる「約束の土地の印象に近い写真」ばかりを集め、その近似値を総体として表現できるフォトブックを制作し、是非、色んな人に見てもらえればと願っています。
しかし、独りよがりで本を作っても仕方がないので、実際見たいって言ってくれる人っているのかな?と思ってクラウドファンディングの仕組みを試してみようと思いました。このページに掲載した写真は、写真集に載る作品の候補です。
■約束の土地探しは続きますか?
いいえ。今は考えていません。見つからなかったと同時に、そのような土地は僕にはないのではないか、というのが目下の結論です。
様々な土地でかなり近いんじゃないか!?と心奮わせられる事もありましたが、残念ながら、確信的に「見つけた」と思う事はなく、また、今後もどんな土地を見ても、ここだ!と言う場所は無いのでは、と思っております。
ある仮説を今は持っています。
旅を終え、実家でくつろいでいた際、テレビであるアニメーション映画が放映されていました。20年以上前に製作されたもので、文部省推薦作品になるような良作でした。
それを見て、初めて見るにもかかわらず、とても懐かしく感じました。それこそ、約束の土地に近い眺めを得たときの感動にも近いものを感じたのです。
驚いて母親に、このアニメーション映画を知っているかと聞きました。すると、もう二十数年以上前、僕が幼少の頃、僕は落ち着きがなく騒がしかったそうですが、このアニメを見せている間はとても大人しくなった為、ビデオテープが擦り切れるまで繰り返し見せたとの事でした。
これをきっかけに、自分が小さいころから好きだった絵画や、エンターテイメント作品の作風など、色々なことを思い返してゆき、思考をめぐらせました。
画家である母親は、幼少期の自分を連れて美術館など行き、色々な絵画に触れさせたりもしていたとのことでした。ほとんど記憶にないのですが。
そんなこんなで、喉から手が出る程追い求め青春の殆ど全てを捧げた「約束された土地」のようなものは、「自分の頭の中にある、自分にとって理想的な場のイメージ」であり、それは主に幼少期に触れて心の奥に浸透した「イメージ」を基盤に、その後出遭った「感動」に影響され遷り変わる、「自分の頭の中の、自分だけの楽園」だと言う結論に至りました。
それは、世界中探し回ったところで見つかるものでは無いので、「約束された土地探しの旅」は終了しました。答えは自分の頭の中にしかない、自分が自分のために作り出した想像の中の土地だったということです。正確に言うと存在しないはずの土地の微かな記憶、といったところでしょうか。
その空想の土地に近い現実の場所や風景に触れては感動していました。
幼少期、現実と虚構、フィクションとノンフィクションに明確な線引きが出来ない程度の精神年齢の頃、僕等はどこかで見知ったフィクションの世界に遊びに行っていたと思います。 現実と非現実は表裏一体で、生まれてから見分けが着くまで時間がかかるのだと思います。
小さい子供にブラウン管の向こう側や、絵本の向こう側とこちら側には境界は無く、それらは全てシームレスで、現実と非現実両方ごちゃごちゃのままひとつの現実として捉えていたと思います。
しかし、ある時を境に、僕らは現実と虚構にはどうしても乗越えられない”何か”がある事を知ってしまいます。その時から、人によっては強烈なホームシック、それまで入浸っていた自分の家の裏庭に二度と入れなくなったような亡失感を抱くようになるのだと思ってます。
自分が世界を回って探していたものは、自分がこの世界の現実を知った時に失った、自分だけの楽園だったんじゃなかろうか、と今は思っています。
色々な写真の賞などを頂きカメラマンとして生計を立て、探索の旅を続ける事も出来たかもしれません。
しかし、今はそうせず、定職につき、自分が生きる現実における最高の幸せとは何かを考えながら日々暮らしています。
今でも極稀に強烈な望郷を抱くことがあります。
しかし、その頻度は歳を重ねるごとに減っています。
いつかそんなこともあったかな、と忘れてしまうと思います。
夢見た世界、愛していたはずの土地、手には入らなかったけど、確かに覚えていたはずの場所の空気を思い出すために、この写真たちと、旅をした記憶を大切にしたいと思っています。
このプロジェクトは、そんなある男が自分の記憶を頼りに懐かしさの原点を探し求めた旅の記録です。
欲しい人と言ってくれる人や、応援してくれる人がいるようでしたら、豪華な写真集というよりは、シンプルな旅の記憶として冊子にまとめてみたいと思います。
下記は現状の想定の仕様です。変更の可能性があります。
サイズ:210×210mm(A4変形)
用紙:(表紙)SA金藤プラス 110kg
用紙:(本文)SA金藤プラス 90kg
印刷:(表紙4P)4C/4C
印刷:(本文32P)4C/4C
加工:中綴じ
よろしくおねがいします。
コメント
もっと見る