◎キラキラネームはよい名ではありませんが、
あなたの周囲にも必ずその名を持つ人がいるはずです。

皆さんは、自分のお子さんにキラキラネームを付けたり、自分の名がキラキラネームかもしれない事が恐ろしくはありませんか?キラキラネームが、ある目的をもってつくられたかもしれない事を知っていますか?
このおかしな名前が、何故、広範囲に広がっているのか。それを解き明かすために、ここでは本書から少し引用して、その後で、何故、このプロジェクトを立ち上げたのかについて、お話したいと思います。
※以下の文章は「です・ます体」で書かれていますが、本書は「だ体」で書いています。
例えば、東京をはじめとして、日本各地の公共の乗り物や建物・施設に、中国語やハングルで書かれた説明書きが増えてきました。あの看板・標識・説明書きは、一般の日本人には読むことはできません。日本人の為に書かれた物ではないからです。

・宗士(しゅうと)「宗」は漢音そう・慣用音しゅう、「士」は漢音し・呉音じ、役人・学徳のある者・成年男子・男子の美称・女子の美称・子弟の意味があるが、「士」に「と」という音訓は無い。そもそも「しゅうと」がなにかも分からない。まさか、「土」と「士」の区別もつかないわけではあるまいが、「しゅうと」という読みがどこから出てきたのか不明。
・修士(しゅうと)「修」は漢音しゅう・呉音しゅ、「士」は漢音し・呉音じ、「しゅうと」という読みがどこから出てきたのか不明。因みに、修士(しゅうし)とは、大学院に二年以上在籍し、論文審査に合格した人物に与えられる学位(=マスター)の事だが、もともとは、行いの純潔な人の意。
・主晴(すばる)「主」の呉音す+「晴」の歴史的仮名遣いはる、「昴」の当て字と思われる。 「すばる」と読むことは出来ても漢字との関連性は無い。何故「昴」を使わないのだろう。
・光来(みらい)「光」には時間の意はあるが、「光陰矢の如し」「光陰流水の如し」などのように、月日が早く過ぎ去ってふたたび帰らない、というような意味で使う。「光」は時間の意で「未来」の意ではない。そもそも、光来(こうらい)とは、他人の来ることを言う敬語。光臨(こうりん)と同意。いらっしゃる・おこしになる、という意味だ。子に付ける名としてどうなのだろうと思う。
・結大(ゆいと)「結う」の連用形+「大」だが、「大」に「と」の音訓はない。また「と」が何かも分からないので品詞も分からない。因みに、「大」は象形文字だ。「人」の字が側面から見た形に象るのに対し、「大」は正面から見た全体の形、首・両手・両足に象っている。『老子』に「道大、天大、地大、人亦大」という一文がある。天地は「大」であるけれども、形の象るべきものがないので、天地に次ぐ人の全形に象って、大きいの意を表している。
・匠哉(たくや)「匠」は音しょう、「たくみ」とは大工・細工師・職人・技術者・技芸家・かしら・先生等の意味だが、「たく」だけでは言葉にならない。「哉」は音さい、感嘆の助辞~かな、疑問・反語の助辞~や・~か。
・斗蒼(とあ)「斗」は漢音とう・慣用音と、容量の単位・とます(十升の容量のます)・ます・ひしゃく・天の南北にある星座の名。北の七星を北斗、南の六星を南斗等の意味がある。「蒼」は音そう、あお・あおい・しげる等の意味がある。あおは名詞・あおいは形容詞。名詞を分解することはできない。また、形容詞あおいの語幹は「あお」で、「蒼」に「あ」の音訓は無い。そもそも、「とあ」がなにかも分からない。
・歩音(あゆと)「歩」の「あゆむ」の語幹「あゆ」と、名詞「おと」を分解して「と」を取り出しているが、語幹だけでは言葉にならない。また、「お」に何か意味があり、「と」に何か意味があり、その二つが重なって、「おと」という言葉ができているのではない。名詞を分解するなどデタラメだ。
・咲玖(さく)「咲」は「さく」。「玖」は漢音きゅう・呉音く、もともとは黒色の美しい石の事。公文書で数字の九の代わりに玖を用いる。「咲」の「さく」の語幹「さ」に「玖」をつけたのか、或いは、「さく」の「く」を削って「玖」を付けたのかは判然としないが、「咲玖」を「さく」と読む事はできない。
・咲翔(さくと)「咲」の「さく」に、「翔」の「とぶ」の語幹「と」をつけたのだろうか、語幹と活用語尾を分解して、語幹だけを取り上げても言葉にはならない。「咲翔」を「さくと」と読むのはデタラメだ。
・心温(しおん)「心」は音しん。「温」は音おん・漢音うん。「心」に「し」の音訓はない。「心温 」を「しおん」と読む事はできない。
・潮音(しおん)「潮音」(ちょうおん)には、「うしおの音・波の音」と「多くの僧侶の読経の声」という意味がある。「潮」は漢音ちょう、しお・うしおの意。「音」は漢音いん・呉音おん、「しお+おん」で、故意に「お」一字を消すような読み方をしているが、無理がある。
・南飛(みなと)「南飛」(なんぴ)とは南に向かって飛ぶ、という意味。熟語に問題はないが、名詞「みなみ」の「みな」に、「とぶ」「とばす」の語幹「と」をつけて「みなと」と読ませようというのは、全くのデタラメだ。だいたい、名詞を分解して、言葉になると思っているところがおかしい。
・結友(ゆいと)「結友」(けつゆう)とは、友とまじわる、という意味だが、「ゆいと」とは読まない。「結う」の連用形+名詞「友(とも)」の「と」を付けた物だと思うが、「と」に何か意味があり、「も」に何か意味があって、二つが結合して「とも」という言葉ができているわけではない。「と」と「も」を別々にしては意味をなさない。連用形に体言が接続しているのも変だ。
・蒼空(そら)「蒼」+「空(そら)」。「蒼空(そうくう)」は、「蒼穹(そうきゅう)」「蒼天(そうてん)」「蒼昊(そうこう)」等と同意の、あおぞら・おおぞら・天の意。天は遠くから眺めた時、蒼蒼然として青いからいう。そのため「蒼空(そうくう)」を「そら」と読むのは相応しくない。
・旭飛(あさひ)「旭(あさひ)」+「飛」。「旭」は漢音きょく、あさひ・日ののぼるさま・あきらか等の意味がある。「飛」は音ひ、とぶ・とばす等の意。「飛」に「あさひ」の意味が無い以上、「旭飛」を「あさひ」と読むことはできない。熟語としても意味をなさない。
・庵里(いおり)「庵(いおり)」+「里」。「庵」は音あん、いおりの意。これに「里」を付けると、中国語の「庵里(Ān lǐ)」、「尼僧院の中」という意味になる。
・尚生(なお)「尚(なお)」+「生」、「尚生」を「なお」と読むことはできない。「尚」を「なお」と読む場合には、いもなお・さらに・その上に・それでもなお等の意味になる。これに「生」をつけた、「尚生(しょうせい)」とは、「尚ほ生く(それでも生きている)」或いは「生を尚ぶ(生を尊ぶ)」というような意味になる。
・直生(なお)「直(なお)」+「生」、「直生」を「なお」と読むことはできない。「直生」(ちょくせい)は「直く生く(正しく生きる)」というような意味になり、熟語としておかしくは無い。中国には、この熟語を使った字がある。明の賈必選(人名、かひつせん)、字(あざな)は直生。「直」は漢音ちょく・呉音じき、なおし・ただ・ただちに・あたい等の意味がある。また「直」の名乗り訓には「なお」がある。名乗り訓「なお」に「生」を付けて、二字で「なお」と読む事はできない。
漢字文化圏に所属する外国人がこの名前を見た時に、どう思うでしょう。熟語の作り方の多くがデタラメであるために、日本人の名前を奇妙であると感じ、一種の優越感に浸るはずです。或いは、軽蔑するかもしれません。しかも、日本の漢字文化の低下を招く物であり、「世界に羽ばたく」以前に、日本人には使えない名です。子供に付ける「名前」として、相応しい物とは思えません。


例えば、アルファベット、例えば、簡体字、例えば、ハングル・チョソングル 、例えば、どこかの国の文字を、「どのように読んでも法律上は問題はありません」などという事があるでしょうか?それは、その国の文字文化に対する冒涜ではないでしょうか?世界中どこを探しても、その様な事が行われている国などあるはずはありません。
「キラキラネーム」とは、日本人同士では情報を共有する事に困難が生じ、中国人同士で情報を共有する事は容易で、しかも、我が国の法律に抵触する物です。また、日本の漢字文化を破壊し、 子に良い名を授けようという親の感情を利用して、 子供を被害者にしてしまう物です。この様な底意地の悪い流行は、一刻も早く終わらせなければなりません。
◎目指すは、日出ずる国の漢字改革。百年後、千年後も我が国が輝くために。
我が国で漢字が使われるようになった時期を、『論語』の伝来と重ねるなら三世紀の半ば、漢字の読み書きが自在にできるようになった状態を言うのであれば、五世紀の半ばとなります。我が国の漢字には、少なくとも千八百年から千六百年の歴史があるのです。
その千六百年間に積み上げられた歴史や文化の所産を、将来にわたって正確に伝えるためには、現在の私達が、漢字を正しい形で使用し、将来に伝える努力をしなければなりません。もし、伝統によって培われた漢字の持つ規則性、或いは、内包された知識が崩れてしまうと、文字によって支えられている文化や伝統も危ういことになります。漢字の崩壊が、文化の崩壊を招く端緒となるからです。
文字の規制に関しては、戦前は放任主義であったようです。分野によって用語が違い、個人によって語彙が違います。しかも、我が国の漢字文化には歴史もあります。そう言う物を規制するには無理がある、との考えが多数を占めていました。
戦後になると、「当用漢字」1850字が制定され、新字体が採用されました。そのうち滅びて使われなくなるのではないか、と考えた人々もいたようです。
そうして、戦後七十年以上経過して、漢字は滅びることは無かったものの、読めない名を持つ子供が出現し、中韓の人名・地名については、教科書も新聞社の漢字のルビも、てんでに違っています。更に、日本国は、我が国に中長期に滞在する外国人に対して、在留カードを発行していますが、その表記が、実は統一されておらず、奇妙な在留カードを持つ外国人が日本国内を闊歩しています。この様な状況で、千六百年をかけて培われてきた歴史や文化を守り、次の世代に伝えて行く事などできるのでしょうか。
そこで、これらの問題を是正し、百年後、千年後も我が国が輝くために、漢字の歴史、及び、我が国における漢字に対する取り組みを振り返り、現在の使われ方の問題点を挙げ、キラキラネームと呼ばれる悪質な現象を検証し、「常用漢字」「人名用漢字」の文字数を含め、漢字の正しい使われ方を紹介すべく、このプロジェクトを立ち上げました。

始めまして、中国語の翻訳と通訳をしている物で、山﨑秀穗と申します。私は、大東文化大学の大学院を満期中退した後、一時、高校で教鞭を執り、92年から95年まで、中華人民共和国に留学をしました。大学では、『大漢和辞典』を諸橋轍次先生と共に執筆された原田種成先生について、「漢文」を専攻しました。

◎プロフィールは、以下の通りです。
通訳・翻訳家 大東文化大学中国文学部 博士後期満期中退。その後、高校で教鞭を執り、92年から95年まで、高級進修生として中華人民共和国に国費留学。帰国後 女優ジャンズイー、映画監督アンリーのアテンド、及び、中央電視台制作 連続時代劇『水滸伝』『孫子の兵法』他翻訳。日本中国学会、斯文会・全国漢文教育学会 会員。また、栃木県警察の登録通訳人です。

◎お預かりしたお金は、次の用途に充てます。
製作物
書名『漢字の話 キラキラネームの秘密』
四六版・上製・丸背・カバー有
出版完了予定日
2022年6月30日
著者
山﨑 秀穗
発行部数
定価1800円を、二割引きの1500円(消費税込・送料無料)で3500部を先行販売します。
資金の用途は、
書店への経費+CAMPFIRE社 への手数料+書籍の郵送料+諸経費
総計、525万円です。
予定した資金が集まり次第、購入して頂いた皆さんへの返礼、及び、全国の書店での販売の作業に移ります。書店で流通させる時には、定価1800円(税別)での販売を予定しています。
・出版についての計画は、以下の通りです。
2月中に契約の手続きや入稿前の原稿整理
3月1日、印刷所に入稿
6月末、出版・リターン発送
7月、リターン発送終了
皆さん、どうぞ宜しくお願いします。
◎リターンについて
1,500円
画像キャプション
『漢字の話 キラキラネームの秘密』 1冊
応援して頂きまして有難うございます。
『漢字の話 キラキラネームの秘密』
(消費税込・送料無料)
(四六判・上製・丸背・カバー有)
一冊をお届け致します。
※複数口ご購入いただくことも可能です。
発送完了予定月2022年7月末
※書店で流通させる際には、定価1800円(税別)での販売を予定しています。
販売予定価格は変更される場合があります。
※新型肺炎の影響により、
プロジェクト或いはリターンに延期や遅延が発生する場合があります。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-or-Nothing方式で実施します。目標金額に満たない場合、計画の実行及びリターンのお届けはございません。
最新の活動報告
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PV累計7334人
2022/02/20 00:191月22日から2月18日までの、累計訪問者は7334人でした。日別の訪問者は次の通りです。1月22日 218人1月23日 260人1月24日 265人1月25日 262人1月26日 178人1月27日 98人1月28日 188人1月29日 209人1月30日 239人1月31日 222人2月1日 270人2月2日 200人2月3日 207人2月4日 195人2月5日 189人2月6日 105人2月7日 189人2月8日 240人2月9日 244人2月10日 383人2月11日 319人2月12日 305人2月13日 162人2月14日 384人2月15日 350人2月16日 389人2月17日 578人2月18日 486人計 28日間の累計訪問者数 7334人7334人と言うのは、充分、次につなげることが出来る数字であると思います。皆さん、訪問有難うございました。youtubeにでも、何か投稿しようかしら♪ もっと見る
本日七千人突破、打ちてし止まん!
2022/02/18 23:03皆さん、こんにちは。いよいよ最終回です。ここで、申し上げてきたことをもう一度述べるならば、皆さん、キラキラネームは、漢字の誤読であり、日本人には読めませんが、中国語の音を破壊する物ではないので、中国人には普通に読めます。日本人の名前なのに、日本人には振り仮名が無ければ読めず、中国人には普通に読める名前なのです。日本の漢字は、甲骨文字から続く非常に古い歴史があります。その古い文字を使って、私たちの先祖は、日本固有の文化・古い歴史を織り上げてきました。今、私たちの時代で、その文字の伝統を破壊してしまうと、その文字によって伝えられてきた文化や歴史も危ういことになります。皆さん、今、頑張って守らないと、後世に残すべきものが変質し、しまいには失われてしまうのです。さて、昨日の段階で、累計訪問者数は6850人前後でしたので、今頃は、7000人を越えている事でしょう。始まった頃は、これほど多くの人に見て頂けるとは思っていませんでした。一カ月弱で、これほどの人に見て頂けるのであれば、YOUTUBEデビューもありかなと思っています。ともあれ、今回は、満足のゆく結果と言えましょう。皆さん、どこかで『漢字の話 キラキラネームの秘密』という本を見かけたら、買ってください。打ちてし止まん! もっと見る
甲骨文字の発見(二)
2022/02/18 05:26皆さん今晩は。今夜も宜しくお願いします。〇甲骨文字の発見(二)甲骨文字は、清朝末期の光緒二十五年(1899年)に、国子監祭酒の地位にあった王懿栄(おういえい)が発見しました。彼は当時マラリヤに苦しんでおり、その薬の中の゛龍骨゛と呼ばれる骨片に何かが書かれているのを発見しました。王懿栄は、骨片に書かれている物が、籀文(ちゅうぶん)や金文よりも、更に古い時代の文字であると考え、そこで「商代卜骨」と名付けて買い集め、1900年までに、前後三回、千五百余片を収集しました。光緒二十六年(1900年)、八か国連合軍が北京に入城し、朝廷が列強に宣戦布告すると、王懿栄も衆を率いて東便門で応戦した物の、北京はあっけなく陥落。西太后や光緒帝は西安に落ち延び、王懿栄は帰宅したのち、「私は義として、いたずらに生きながらえる事はできない」、と服毒したものの死にきれず、井戸に身を投じて果てました。王懿栄が亡くなると、収蔵していた甲骨は、全て劉鉄雲に譲られました。劉鉄雲は、羅振玉(らしんぎょく)の勧めもあって、その中から資料として有用な物を拓本に取り、光緒二十九年(1903年)に『鉄雲蔵亀』を出版しました。この書に付された羅振玉の『序』には、甲骨文は「夏殷(夏は十七代439年続いたと言われる王朝)」の遺物であり、古文字の研究の助けとなり、且つ、経史の内容を証明することができる、と述べられています。この『鉄雲蔵亀』の出版は、中国のみならず、各国に甲骨文字の存在を知らしめる事になりました。当時、中国に関係していた米国人フランク・へーリング・しゃるファン(Frank Herring Chalfan 1862年~1914年)、英国人サミュエル・クーリング(Samuel Couling 1859年~1922年)、英国駐天津領事ライオネル・チャールズ・ホプキンス(Lionel Charles Hopkins 1854年~1952年)、ドイツ人リチャード・ウィルヘルム(Richard Wilhelm 1873年~1930年)等が、合わせて五千片余の甲骨を買い求めています。日本人による収集は羅振玉よりも早く、例えば、三井源右衛門は一度に三千片を得、林泰輔(はやしたいすけ)氏は1905年から収集を始め、1928年までに、日本人が収集した甲骨は、凡そ一万五千片に及びました。江上波夫著『東洋学の系譜』によれば、甲骨文字の真贋が問題視され、白眼視されている時期に、林氏は、明治四十二年(1909年)に『清国河南省湯陰県発見の亀甲獣骨に就きて』という論文を発表し、甲骨文字を精査考証し、中国古代研究史上、きわめて貴重な資料である事を論証しています。これは、我が国の学会に衝撃を与えたばかりでなく、羅振玉を刺激して『殷商貞卜文字考』を執筆刊行させる契機となりました。龍骨の出土地についても自らも収集を始めた羅振玉は、1908年に、骨董商からその出土地を聞き、林氏よりも一年遅れて、1910年に発表した『殷商貞卜文字考』の中で、甲骨の出土地が、史書に「殷墟」と記されている河南省安陽の小屯(しょうとん)であり、『史記・殷本紀』と比較して、歴史的資料価値のある物である、と証明しました。因みに、林泰輔氏は、『大漢和辞典』の諸橋轍次先生の師匠に当たります。殷は、紀元前1700年頃~前1100年頃まで存在した王朝です。「殷墟」は『史記』に出てくる地名で、殷王朝の中期以降から最後の紂王(ちゅうおう)までの約三百年間、小屯付近に都が置かれていましたが、長く伝説時代と思われていました。羅振玉は、 当時の多くの官僚がそうであったように、日本の力を借りて清を復興させようと考えていました。彼は溥儀(ふぎ)に従って満州国に行き、満州国参議・満日文化協会会長等の要職に就きました。そのため、新中国建国以降の評判は芳しくはありませんが、保守的な思想を持っており、清室に忠誠を尽くした人物でした。1896年に、上海で私塾「東文学社(東文は日本語の意)を創設して日本語の教育に務め、その後、京師大学堂農科大学(現 中国農業大学)の学長に就任しました。辛亥革命が起きると日本に亡命し、1919年に帰国。1928年に、溥儀の招聘に応じて旅順に移り住み、1940年5月に亡くなるまで、この地で過ごしました。林泰輔氏の論文に刺激を受け、1911年~1933年にかけて、甲骨文の資料を編纂・出版し、伝統的な国学の研究に、大量の新資料を提供しました。その後、甲骨文字の研究は、「東文学社」で学んでいた王国維(おうこくい)に受け継がれ、彼によって、小屯は、殷の第二十代の君王盤康(ばんこう)が定めた都であり、この地で八代十二王が政務を執っていた事が明らかになりました。亀甲獣骨の表面からは、およそ4,500種の文字が発見され、約1,700文字が解読されています。その中には、象形を始め指事・会意・形声等の文字が含まれており、文字として相当進んだ段階にあった事が分かっています。つまり、殷の盤康以前の文字の状態は明らかになってはいないものの、漢字の歴史は、更に古い時代にまで遡ることができる、と予想する事は難しい事ではないのです。〇増え続ける漢字ところで、漢字は古いということ以外に、もう一つ特筆すべき点があります。中国で漢字が生まれたように、我が国にも日本製の「峠」「辻」「鰯」等の国字があり、また、唐の則天武后は「圀(国)」「埊(地)」等の則天文字を作りました。どの時代に幾つの漢字が存在したのかと言う問題は、歴代の辞書を調べれば容易に判明します。殷末に4,500だった文字は次第に増加し、後漢の許慎(きょしん)の著した『説文解字(せつもんかいじ、100年~121年の間に成立)』では9,353字、三国時代の魏の張揖(ちょうゆう)が編じた『広雅』(隋の煬帝の諱(いみな)が煬広なのでそれを避けて『博雅』とも言います)では18,151字、南朝梁の顧野王(こやおう、519年~581年没)の著した『玉編』が22,726字、北宋の陳彭年らの編で1008年に完成した『広韻』には26,194字、清の康熙帝(こうきてい)の命により、六年を費やして康熙五十五年(1716年)に完成・印行した『康煕字典』には、42,174字が収められています。そして、日本で作られた『大漢和辞典』の親字は五万字です。殷の甲骨文字4,500 字後漢『説文解字』9,353字三国時代『広雅』18,151字南朝梁『玉編』22,726字北宋『広韻』26,194字清の『康煕字典』42,174字 昭和『大漢和辞典』五万字殷墟から発掘された「甲骨文字」と、許慎の著した『説文解字』の間には、約千四百年の隔たりがあります。許慎は後漢の人物なので、『説文解字』には、秦の始皇帝の統一した文字である「小篆」と、彼の時代に残っていた秦以前の文字が使われていますが、「甲骨文字」と「小篆」には、「鶏」や「奚」など殆ど同じ文字が存在しており、また、占卜の文面から考えて、周・秦・漢と「甲骨文字」の表す言語の間には、いちじるしい断絶はないと言われています。私は、留学中に北京の「中国歴史博物館」に出かけた事があります。そこで、殷の二十二代 武丁の時代の亀甲が展示されているのを見ました。大きな腹側の亀甲に、数行にわたって文字が書かれており、出土した時からそうなのか、朱色に染められた文字までありました。それを見た時には、ヒエログリフや楔形文字は既に滅んで伝わらないのに、現在にまでこの文字の流れが伝わっているのか、と思ったのを覚えています。殷の時代に約4,500だった文字は、昭和に編纂された『大漢和辞典』では五万字に増えています。例えば「釔(イトリウム)」「鈦(チタン)」「鉀(カリウム)」等の元素記号を表す文字は、『康煕字典』には掲載されていないので、『大漢和辞典』は、元素記号については、『中華大辞典』から取っています。同書は収載の文字、およそ四万八千余字。『康煕字典』以降で最良の書と称されています。甲骨文字を起点として、現代にまで流れ続ける漢字は、時代の変化に応じながら、今も増え続けているのです。長くなりました。運が良ければ、あと一回、掲載しましょう。今夜はこの辺で。皆さんにとって、好い一日でありますように。 もっと見る









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