クラファンが始まる2/5の朝に、Facebookに投稿した文を見つけました。
今も想いは変わらないなと思ったので、アクティビティでも再度シェアさせていただきます。
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【何ひとつおいていかないなんて、できないかもしれないけれど】
怒涛のスピードで走る中で、メッセージが、願いがどんどんシャープになっていっているのを感じる。
風や雨にさらされながらも、僕らが絶対に手放せないものは何か。
「何ひとつおいていかない」に挑み続けること。
それに限りなく近づいていこうとすること。
どんなに頑張っても、限られた時間、限られた場の中で、ありとあらゆる全ての声に想いに気づくことなんて。
それら全てをひとつも取りこぼさずに歩いていくなんて、できないのかもしれない。
でも僕らはそれでも、何ひとつ置いていきたくないんです。
それができるとかできないとかじゃない。
おいていくのが、嫌なんだ。全てを含もうとしていたいんだ。
僕らの目の前に現れた世界の中から、誰にも気づかれずに過ぎ去ってしまう声を、見つめられなかった痛みを、聴かれなかった声を、少しでも減らしたい。
あなたの悲しみに気づきたい。
あなたの痛みに耳を傾けたい。
あなたの願いに手を差し伸べたい。
それが、人を大切にするということな気がする。
それでも僕らは取りこぼしてしまう。
気づきたいのに気づけない、聴きたいのに聴こえない。
もっと、もっと、気づける目が、耳がほしい。
差し伸べられる手がほしい。
もう過ぎ去ってしまうことのないように、今、ここで、その力がほしい。
何ひとつ、誰ひとりおいていかれることのない場を、関係性をつくりたい。
何ひとつおいていかない人になりたい。
気づける目を、耳を、手を手に入れて、あなたに、あなたに、あなたに会いに行って。
そこで言葉と言葉でないもので語られる声を何ひとつ置いていかないことに、その可能性を最大に高めることに、挑み続けるのです。
今日は記念すべき第一歩。
お祝いですね。僕らと一緒にいきましょう。
誰も、どの声も、ひとりぼっちにさせないために。
tomoni. いつみ ヒロ