今回は革漉工場を引き継いだ経緯をお話ししたいと思います。
5年前の2018年8月朝の8時頃でした。当時外注先であった革漉工場の社長から「俺ももう年だから引退しようと思ってるんだよね‥‥それで伊藤登商店で革漉工場を引き継いでくれないか??」との電話がありました。
あまりにも唐突な話でしたし、まさか自分が革漉工場を引き継ぐことも考えてもいませんでした、なので「うちではなく、他社さんへ声をかけてみてはどうですか?」といったところ「もう話はしたけど金銭面の負担や工場を構える不安、その社長の代わりに工場に常駐する人がいない等、様々な理由で断られた」と言っていました。
私も工場を運営する自信がなかったですし、革屋さんが漉き加工場を持つことは前例がない為、丁重に断りをしたら「じゃあ、残念だけど今年で廃業するしかないね」となり、私は外注先がなくなるのはマズイ‥‥と思い、まずは話を聞いて廃業を思い留まらせようと、その足で工場へ向かいました。
会って話をしてみると、当時の社長は引退したいものの、働いている職人はまだまだ現役で続けたい意向がありました。
ただその社長も数少ない漉き加工場をこのまま廃業してしまうのはもったいない、けれど自分には引っ張っていく気力がない…と思っていたそうです。
悩んだ末によく漉き加工を利用していて、さらに漉き加工の現状を知っていて、働いている職人たちと良くコミュニケーションを取っている会社一軒ずつ連絡したそうです。
私も当時から漉き加工場の少なさ等十分に理解していたので、いったん考えさせてくれと言い、その会社を後にしました。
後日談ですが、この頃にはその社長はうちが引き継いでくれそうだと職人に話をしていたそうです‥‥
もちろん、金銭面の負担や伊藤登商店と漉き加工場の2社を経営すること、職人たちがついてきてくれるか等々、不安要素を考えたらキリがありませんでした。
しかし時間が経つにつれ、私の中にはまず「断る」ということよりも、「どうしたら続けていくことが出来るか?」を一番に考えている事に気付きました。やはり自分の中にはこの「漉き加工業を絶やしてはいけない」という強い思いがあることが分かり、引き継ぐことを決めました。