ご覧いただきありがとうございます。既にご支援頂きました方も、大変ありがとうございます。突然ですが私がどんな人か知って頂くため、自己紹介の代わりにはじめに就いた仕事の話をしたいと思います。私は同志社大学を卒業してから海上自衛隊に入隊しました。就職活動は、「自己アピール」が苦手でうまくいかず、これだけ受けてもう辞める!と最後に受けた自衛隊の面接での志望理由「ない方がいい、あるかないか分からない有事(災害や戦争など)のために、日々訓練をするのはすごく忍耐がいることなので自己成長につながる。さらに、国のために働ける。だから自衛隊に入隊したい。」・・・合格しました。まずはどこかの勤務地に赴任するまで、教育隊というところで約5カ月自衛隊員の基礎を叩き込まれます。これは、皆さま1度はテレビで見たことのある風景だと思います。各種座学や実技のほかに、銃を掲げたまま走る、ベッドメイキングで小さなしわ1つあれば窓から布団を投げられるなど。その中でも、〇分で〇〇をする。絶対にムリやん!!という「ミッションインポッシブル・タイムシリーズ」があります。腹立つわこのーーーーーー!私の何が気に入らないねん!!最初に話した志望動機なんか完全に忘れて、煮えくりかえっていたんですけど・・。精神・体力ともにへたれだった私はなかなかに心削られながら。でも、やるしかない。そして、出来ないものは出来ない。出来ないので怒られる。理不尽がつのる。一見嫌がらせにしか思えないミッションが、その渦中をすぎて、冷静に考えると、自衛隊においてはどんな困難な任務下に置かれても諦めない、などあらゆる事態に備える精神力を付けるため、必要な過程だったのだと分かりました。そしてこれは、自衛隊を辞めた今でも日常的に生きていて、大概のことに対しては諦めない、「忍耐の基礎体力」となりました。今の農業の場面においても、マイ畑づくりは令和2年に耕作放棄地を整備するところから始まりました。来る日も来る日も石拾いやスコップで地面を掘り返したりしていましたが、大変というよりは、早くキレイな畑が見たい一心で夢中!楽しんでやれていました。農業未経験でしたので、万願寺専門の研修を受けながらその令和2年から万願寺を500本作り始めて、令和3年には2000本。1人の限界は1000本だから辞めておけと言われても、聞かず。笑時には手伝ってもらいながら暑い日も雨の日も、正直不慣れで大変なことだらけでしたが、きもちは楽しくやっていました。そして、楽しみながら作った万願寺は、それはそれは立派においしく実ってくれたのでした。最後までお読みいただきありがとうございました!