■NPO法人 どうぶつたちの病院 沖縄 理事長 長嶺 隆
石垣島出身の元WBA世界ジュニアフライ級世界チャンピオン具志堅用高氏。1976年10月10日、王者グスマンを初挑戦で下し、チャンピオンベルトを石垣島に持ち帰った。試合後、彼が「自分はカンムリワシになりたい」と話したことから「カンムリワシ」の異名がついた。
42年前の春、「カンムリワシ具志堅用高氏」の大ファンだった高校2年生の私はテントを背負って八重山の島々を鳥見の旅に出た。憧れのカンムリワシを何度も見ることが出来た。だから、ちょっとどんくさいカンムリワシに??と思いながらも、その異名はたまらなくうれしかった。1981年3月8日、私の住む具志川市(現うるま市)の総合体育館で敗れ、それが最後の試合となった。高校3年生の春、ヒーロー具志堅用高がリングに崩れ去る姿に受験勉強も手につかず泣いた。
具志堅用高氏が引退した1981年は忘れられない年である。
佐渡島の野生のトキが保護のため全羽捕獲され、事実上の野生下絶滅した。
同じ年、グアム島にわずかに生存していた飛べない鳥グアムクイナも全羽捕獲で野生下絶滅。そして、新種ヤンバルクイナの発見。
当時、カンムリワシに迫る危機を誰が予測しただろうか?
度重なる交通事故が何を物語っているのか、これはカンムリワシからの悲痛なメッセージだと思う。
それに立ち向かい救護治療に尽力する獣医師、次から次へと運び込まれるカンムリワシを長年にわたってリハビリを担う「石垣やいま村」。
本当に感謝しかない。
沖縄のヒーロー・カンムリワシを守る人々を心から尊敬し、そして応援したい。