こないだ大黒摩季さんの「ららら」がふとラジオで流れた。すると大学時代に過ごした東大路が目に浮かんできた。ぼくの脳のなかでは音楽と情景がリンクしている。Hoobastankの”Reason“と鈴鹿峠、高校の体育館とGun’sの”Patience”、岡山の旭川の堤防とウルフルズの「サムライソウル」、中学校の体育館と先生たちが演奏してくれたへたくそな”Let it be” 。
そしてなぜか、ぼくはものごとが行き詰まって、どうにもならなくなったとき、頭の中に「ケ・セラ・セラ」が流れ出すようにできている。
ぼくが絶望したときに、どん底のそこにあるのは音楽だ。ぼくがwellnessからbreaking downしない鍵のひとつは音楽にあると思う。
思春期のぼくは、田舎からでて、実家から出て、なにかやってやるんだと思っていた。そこからたくさん苦労をして、たくさんの人にお世話になった。音楽に支えられて何とか生きてきた。
40過ぎて、ふと戻ってみたふるさとは、とてもあたたかかった。
この街に恩返ししたいとぼくは思った。この街が、人にやさしくなったら。いろんな人がいて、いろんな生き方が受け入れられて、生きやすい街になったらと思った。
ぼくは精神科医療や福祉の仕事をしてきたが、ぼくからみえるいまの世の中はほんとうに世知辛い。人の心がギスギスしている。弱者の切り捨て・囲い込み、コロナの閉塞感。リスクを過大評価して萎縮した生き方に、みんな同調させられている。
色んな人がいて、それでいいと、口にはしながら、それを実践して生きられている人がどれくらいいるんだろう。
誰だって、辛いときはあって、辛いときに救ってくれた歌があるんじゃないかとぼくは思う。病気や障害をおっても、自分らしい生き方を取り戻すことをリカバリーと言うが、ぼくはそんな曲をリカバリーソングと呼ぶことにした。それぞれのリカバリーソングを、それぞれのエピソードとともにシェアしたら素敵だなと思った。そこでぼくはちょっとひらめいた。演奏している傍らで、オーディエンスが自分のリカバリーソングへの思いをでっかいモニターにupしてシェアしたら、すごく響くなあと。それにアーティストもリアルタイムでコメントしたりして、双方向でその場でその曲の持つリカバリーパワーを感受する。その人その人の、その歌に込められた思い、そこから浮かぶことが作り出すパワーを・・。そしたらすごい希望をもらえる。生きる希望を。そして人にやさしくなれる。
そんな文化をこの街で作り、発信していきたいとぼくは思った。2018年頃からそんなことを考えて、出会う人たちに話していたら、いいねと言ってくれる人が現れた。それがねてるくんだった。同い年の、ぜんぜん違う人生を歩んできた奴だけど、なぜだか気があった。そしてふたりともRock好きで、RockとRecoveryの祭典をやろうぜ!と意気投合した。しばらくしたら、ねてるくんが、またさらに思いを同じくする人たちにつないでくれた。こうして夢のように語っていたことに、実現の気配が漂い始めた。
そしていま、さらに仲間を集めようと、クラファンが立ち上がった。ここからどう転んでいくかはわからない。でもとりあえず、この試みをやってみることが大事なんじゃないかと思う。黙って座ってたって、なにも変わりゃしないんだから。
この流れに乗っていこう。What ever will be , will be。
tomo