2022/04/14 20:30

おばんです!
いつもご支援ありがとうございます。大蛇堂です。

山梨県富士川町にはなにかと縁があってよく訪れるのですが、まだ妖怪を描いておりませんでした。そんなおり南明寺さんには「龍神親子」の話があり、さらに石碑などもあるということで訪れて住職さんに話なども聞いてきました。

まずは「龍神親子」の伝説をご覧ください。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜【南明寺の龍神親子】
山梨県富士川町(旧増穂町)南明寺に伝わる。

南明寺の境内には昔、左右にわかれた二つの淵があり親子渕とよばれ、龍神の親子が隠れ棲んでいた。戸川の上流には妙蓮の滝があり、その滝つぼに多くの配下をもつ大龍神がいた。
大龍神は配下の父龍神に娘を強要したが意に従わなかったため親子を迫害したため、龍神親子は妙蓮が淵にいることができず親子渕にいたのだった。

ところが、大龍神が親子を探して親子渕までやってきたため大龍神と父龍神の大格闘となった。やっとのことで大龍神を倒した父龍神だが深い手傷をおって病床に伏す身となってしまった。

当時、長沢には千住院という寺があり、龍禅という老僧が4月8日から1週間、村人を集めて法話をしていた。毎日、妙齢の美女がきてありがたく聞いてはいたがどこからきてどこへ帰るのかだれも知らなかった。実はこれが龍神の娘であり、父龍神の病の1日も早い回復を願って法話を聞いて帰って病床の父に聞かせていたのだった。

そのかいあってか父龍神は全復し妙蓮が淵に帰ることができ、親子そろって龍禅和尚のもとにお礼参りにきた。これにより村人が知るところとなり、ことのありがたさに感激して淵のかたわらに2棟のお堂をたてたのが南明寺の興りであるともいわれている。
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訪れた日はご不在だったので、後日お電話でお話をお伺いしました。
丁寧にいろいろな話を聞かせていただきました。

・南明寺四脚門
建造された年が古い曹洞宗の寺は県内に他にもあるが、途中で改宗したものであり南明寺は山梨県内最初の曹洞宗の寺である。江戸中期の前半〜中頃に建造された四脚門があり「蒼龍窟禅堂」と掲げられ龍が棲むとされる。


・淵について
棲んでいたとされる淵は今は干上がってしまっているが、戦後の農地開放までは上流の水を一時貯水し不純物を沈澱させ下流に流す役目を担っていた。
徳川家康との縁も深く甲斐に落ち延びた際、当時住職の用山儀存が共に学んだよしみだったため家康に法衣を着せすりこぎ棒をもたせて敵の目をのがれた「南明寺の大すりこぎ」の話もある。近隣に徳川埋蔵金が埋まっているとも言われており、住職いわく「淵の下などは埋めるのに最適では」とのこと。


・竜尾石について
近隣の八幡神社には竜頭石があったがそちらはいつのまにか紛失した。
近ごろ南明寺の石を竜頭石とよばれてしまうことがあるが、本来は竜尾石であるとのこと。




実際に現地に行くと、こうした石碑や淵が残っていることもあり想像力をかき立てられます。ここに父親想いの娘龍神がいたんですねえ。


そうして描いたのがこちら。父親に聞いてきた法話を聞かせています。


最後までみていただきありがとうございます。
「蛇体さつき姫フィギュア」も着々と進んでおります。近日中に「予言の鳥掛け軸」のイラストも公開予定。ひきつづきご注目くださいませ!