2022/07/03 12:00

無我夢中で駆け抜けた撮影が終わって、ようやく“向き合うことができた後悔”があります。


祖母の家にはもう10年以上開けていなかったという着物箪笥がありました。

祖母のお葬式が終わって最初に家を片付けたとき、

叔母たちと姉に先に選んでもらい、残ったものを私が引き取ることになっていました。


私を知ってくださっている方にはもうすっかりお馴染みですが、私は着物が大好きです。好きが高じて最近ではお着物関連のお仕事をいただくことも。

こちらは昨年、10人の可愛い美女モデルさんをスタイリングさせてもらったイベントの写真。


おちびの妊娠中は、臨月までずっと着物を着て過ごし、マタニティウェアを一着も購入することなく出産を迎えたくらい、《普段着着物》を楽しんでいます。

礼装のお着物よりは、普段着のお着物、

中でも着物が普段着だった時代の生活やこだわりやオシャレが覗えるものが大好きだったので、恵那の家の片付けに着物があると聞いたとき、

父に「腰ひも一本たりとも捨てないでほしい!」とお願いしてありました。


訪問着や振袖、江戸小紋など、格式の高いお着物たちが叔母と姉の元へ行き、

密かに狙っていた通り(笑)、私が興味津々だったウールや小紋のお着物が残りました。


驚いたのはその色柄。私の好みドンピシャな、素敵可愛いレトロモダン。


祖母は身長150cmあるかないかという小柄な人で、

こう言っては語弊もありますが、地味で大人しい人、というイメージでした。

だからこんな色柄のお着物、すごく意外だったんです。


ほら!

中振袖の着物まで!

このお着物↑の袖、成人式の振袖ほどではないけれど、ちょっと長いの、わかりますか?

こういう袖丈が少し長いお着物を、(きっと振袖との区別なんでしょうね)中振袖と呼びます。

現在のお着物は49㎝の袖丈が一般的。けれど昔の、着物が日常着だった頃のお着物の中には、着用する人それぞれの好みや用途で、もっと長いものや短いものがあるんです。

つまりですね、、、、私の大好物!(笑)


また、こちらのお着物↓は、中振袖を折り上げて、ざっくり縫われています。

おそらく羽織の袖丈に合わせて応急処置したものではないかと思うのです。

もうこういうの、本当にツボ!


ヘラ台が残っていたり少々縫いの粗い浴衣や単衣の着物もあったので、

おそらく祖母は、自分の浴衣くらいはという程度に和裁をしていた人なのだと思います。




こちら↓は、これまた私の好みドンピシャなマゼンタピンクの帯。

しつけ糸というにはあまりに太い糸を二本取りして丁寧にしつけがされていました。

この帯をクリーニングに持ち込んだ呉服屋さんでは

「こんなやり方は珍しい。仕舞っておく間に浮かないように、自分でしつけたんじゃないか」

と言われました。



この着物や帯たちは多分、祖母の“お気に入りのお洒落着”だったのでしょう。



おばあちゃん、この素敵なお着物たちを、ずっとずっと大切に仕舞ってたんだなぁ。

お着物、好きだったんだなぁ。




撮影準備に追われながら、バタバタと片付けをしていた最中は、

そんな意外な祖母の一面が、驚きで楽しくて、ザクザクとお宝が見つかる宝探しみたいだったんです。



でもようやく少し落ち着いて、持ち帰って来た着物たちをゆっくり見ていたとき、

ようやく、気付くことができたんです、そのワクワクの下に隠れていた後悔に。



《祖母の生前に、もっと着物を着てもっと祖母に会いに行けばよかった》

そんな、苦い苦い後悔。




このお着物たちを見たらわかった。

私と祖母の着物の好みは、きっとすごく近かったはず。


私がもっと着物を着て会いに行っていれば、きっといっぱい着物談義に花が咲いて、この着物たちの思い出話が聞けていたかもしれない。

たぶん、着物だけじゃない。もっといっぱい、色んなお喋りができたかもしれない。


後悔は先に立ちません。


まだ祖母の認知症がそこまで進んでいなかった頃、デニム着物を洋服に合わせて祖母の家に遊びに行ったとき、祖母が感心してくれたあの呟きをもっと素直にキャッチできていたら。

あのとき、もっとゆっくり祖母と話ができていたら。


後悔は先に立ちません。


そう言えば私、子どもの頃お正月に恵那に来ると初詣に着物を着せてもらうの楽しみだった。恵那の家には、そんな懐かしい幼い私の写真が何枚もありました。

私の着物好きは母の影響かと思っていたけど、母だけじゃなかったんだ。


後悔は先に立ちません。


持って帰ってきた小物たちは、洗濯してみたら劣化がひどく、残念ながら使える状態ではありませんでした。

ウール着物たちも虫喰いがひどく、リサイクル着物を強引に着る私でも着用は諦めざるをえませんでした。

祖母と着物の話がもっとできていたら、諦めたくなかったあの可愛いウール着物ももっと早く引き取れていたかもしれない。


無我夢中だった撮影が終わってようやく、その後悔に気付くことが出来たのでした。



この映画では、奏子と侑子と赤ん坊の物語を通して、

たくさんたくさん’大好きな家の姿’を残してもらいました。

私の思い出す風景の中に見える、家財道具や建具や食器や小物たち。


本物の思い出を散りばめながらも、敢えて物語をフィクションに書き上げたのは、

その方が、この家が誰かの懐かしい大切な場所に重なってくれるんじゃないかと思ったから。


だから敢えて、着物を着た人の役は登場させないことにして、

着物には、過去のイメージカット『着物を手に取る女性の手』の中で出演してもらうことにしました。


そのイメージカットの『手』の役は、私の母。

嫁と姑である母と祖母。もしかしたら互いに思うところはあった関係かもなぁと思いつつ、

そこは末っ子気質を存分に発揮して、能天気に頼みました(笑)

そのシーンを撮影するとき、その着物を前にして案の定驚いていた母。

母にとっても、この着物はやっぱり意外だったようです。


「え。これ?おばあちゃんの着物?」

「意外でしょ。しかも中振袖なんだよ、これ」

「え」

「他にも、袖折り上げてざっくり縫われてるのとかもあってさぁ」

「へぇ、、、」


短いやり取りの中に、祖母が活き活きと立ち上がったようでした。

私も母も知らない、もっと若かったころの祖母が。

あの空気感、ずっとずっと濃密だった撮影期間の中でも、特に印象に残った時間でした。


そんなやりとりを、撮影しながら聞いていたカメラマンの末松さん、

後日、別のシーンでこの着物が映るカットを、とても大切に素敵に映し撮ってくれました。

モニターを見ながら泣きそうになっちゃったのは、ナイショの話です(笑)