無我夢中で駆け抜けた撮影が終わって、ようやく“向き合うことができた後悔”があります。祖母の家にはもう10年以上開けていなかったという着物箪笥がありました。祖母のお葬式が終わって最初に家を片付けたとき、叔母たちと姉に先に選んでもらい、残ったものを私が引き取ることになっていました。私を知ってくださっている方にはもうすっかりお馴染みですが、私は着物が大好きです。好きが高じて最近ではお着物関連のお仕事をいただくことも。こちらは昨年、10人の可愛い美女モデルさんをスタイリングさせてもらったイベントの写真。おちびの妊娠中は、臨月までずっと着物を着て過ごし、マタニティウェアを一着も購入することなく出産を迎えたくらい、《普段着着物》を楽しんでいます。礼装のお着物よりは、普段着のお着物、中でも着物が普段着だった時代の生活やこだわりやオシャレが覗えるものが大好きだったので、恵那の家の片付けに着物があると聞いたとき、父に「腰ひも一本たりとも捨てないでほしい!」とお願いしてありました。訪問着や振袖、江戸小紋など、格式の高いお着物たちが叔母と姉の元へ行き、密かに狙っていた通り(笑)、私が興味津々だったウールや小紋のお着物が残りました。驚いたのはその色柄。私の好みドンピシャな、素敵可愛いレトロモダン。祖母は身長150cmあるかないかという小柄な人で、こう言っては語弊もありますが、地味で大人しい人、というイメージでした。だからこんな色柄のお着物、すごく意外だったんです。ほら!中振袖の着物まで!このお着物↑の袖、成人式の振袖ほどではないけれど、ちょっと長いの、わかりますか?こういう袖丈が少し長いお着物を、(きっと振袖との区別なんでしょうね)中振袖と呼びます。現在のお着物は49㎝の袖丈が一般的。けれど昔の、着物が日常着だった頃のお着物の中には、着用する人それぞれの好みや用途で、もっと長いものや短いものがあるんです。つまりですね、、、、私の大好物!(笑)また、こちらのお着物↓は、中振袖を折り上げて、ざっくり縫われています。おそらく羽織の袖丈に合わせて応急処置したものではないかと思うのです。もうこういうの、本当にツボ!ヘラ台が残っていたり少々縫いの粗い浴衣や単衣の着物もあったので、おそらく祖母は、自分の浴衣くらいはという程度に和裁をしていた人なのだと思います。こちら↓は、これまた私の好みドンピシャなマゼンタピンクの帯。しつけ糸というにはあまりに太い糸を二本取りして丁寧にしつけがされていました。この帯をクリーニングに持ち込んだ呉服屋さんでは「こんなやり方は珍しい。仕舞っておく間に浮かないように、自分でしつけたんじゃないか」と言われました。この着物や帯たちは多分、祖母の“お気に入りのお洒落着”だったのでしょう。おばあちゃん、この素敵なお着物たちを、ずっとずっと大切に仕舞ってたんだなぁ。お着物、好きだったんだなぁ。撮影準備に追われながら、バタバタと片付けをしていた最中は、そんな意外な祖母の一面が、驚きで楽しくて、ザクザクとお宝が見つかる宝探しみたいだったんです。でもようやく少し落ち着いて、持ち帰って来た着物たちをゆっくり見ていたとき、ようやく、気付くことができたんです、そのワクワクの下に隠れていた後悔に。《祖母の生前に、もっと着物を着てもっと祖母に会いに行けばよかった》そんな、苦い苦い後悔。このお着物たちを見たらわかった。私と祖母の着物の好みは、きっとすごく近かったはず。私がもっと着物を着て会いに行っていれば、きっといっぱい着物談義に花が咲いて、この着物たちの思い出話が聞けていたかもしれない。たぶん、着物だけじゃない。もっといっぱい、色んなお喋りができたかもしれない。後悔は先に立ちません。まだ祖母の認知症がそこまで進んでいなかった頃、デニム着物を洋服に合わせて祖母の家に遊びに行ったとき、祖母が感心してくれたあの呟きをもっと素直にキャッチできていたら。あのとき、もっとゆっくり祖母と話ができていたら。後悔は先に立ちません。そう言えば私、子どもの頃お正月に恵那に来ると初詣に着物を着せてもらうの楽しみだった。恵那の家には、そんな懐かしい幼い私の写真が何枚もありました。私の着物好きは母の影響かと思っていたけど、母だけじゃなかったんだ。後悔は先に立ちません。持って帰ってきた小物たちは、洗濯してみたら劣化がひどく、残念ながら使える状態ではありませんでした。ウール着物たちも虫喰いがひどく、リサイクル着物を強引に着る私でも着用は諦めざるをえませんでした。祖母と着物の話がもっとできていたら、諦めたくなかったあの可愛いウール着物ももっと早く引き取れていたかもしれない。無我夢中だった撮影が終わってようやく、その後悔に気付くことが出来たのでした。この映画では、奏子と侑子と赤ん坊の物語を通して、たくさんたくさん’大好きな家の姿’を残してもらいました。私の思い出す風景の中に見える、家財道具や建具や食器や小物たち。本物の思い出を散りばめながらも、敢えて物語をフィクションに書き上げたのは、その方が、この家が誰かの懐かしい大切な場所に重なってくれるんじゃないかと思ったから。だから敢えて、着物を着た人の役は登場させないことにして、着物には、過去のイメージカット『着物を手に取る女性の手』の中で出演してもらうことにしました。そのイメージカットの『手』の役は、私の母。嫁と姑である母と祖母。もしかしたら互いに思うところはあった関係かもなぁと思いつつ、そこは末っ子気質を存分に発揮して、能天気に頼みました(笑)そのシーンを撮影するとき、その着物を前にして案の定驚いていた母。母にとっても、この着物はやっぱり意外だったようです。「え。これ?おばあちゃんの着物?」「意外でしょ。しかも中振袖なんだよ、これ」「え」「他にも、袖折り上げてざっくり縫われてるのとかもあってさぁ」「へぇ、、、」短いやり取りの中に、祖母が活き活きと立ち上がったようでした。私も母も知らない、もっと若かったころの祖母が。あの空気感、ずっとずっと濃密だった撮影期間の中でも、特に印象に残った時間でした。そんなやりとりを、撮影しながら聞いていたカメラマンの末松さん、後日、別のシーンでこの着物が映るカットを、とても大切に素敵に映し撮ってくれました。モニターを見ながら泣きそうになっちゃったのは、ナイショの話です(笑)
えいがのうらがわ の付いた活動報告
今回は、恵那の家での3泊4日の撮影でお世話になりましたお弁当屋さんのご紹介☆ごはんはできるだけ地元のお店を利用したいなって思って、祖母の介護をしながら恵那に住んでいた父に相談して、お店の方に映画のこともお話しして、お昼のお弁当をお願いしました。このお弁当たちが毎日、チームのみんなに大好評☆「お弁当が美味しい現場って、嬉しいですよね」って言ってもらって、ちょっと鼻を高くしちゃいましたσ)>ω<*)本当にとっても美味しかったので、ぜひご紹介させてください♪こうじやキッチン こぎちゃん撮影初日、都内からの車が渋滞で遅れるとのことで、早速撮影予定を調整してバタバタ!余裕が無さすぎて、大急ぎで撮ったセンスのない写真で本当にごめんなさいm(。>__<。)mhttps://peraichi.com/landing_pages/view/kogi/撮影前の準備に恵那に行ったとき、父が用意してくれたこぎちゃんさんのお弁当食べて、美味しいしボリュームあるしで感激((o(*>ω<*)o))しかもとってもリーズナブル! なのでとても助かりました(o>ω<o)《こうじネーター》の店主さん“こぎちゃん”の作るこのお店のおかずは、すべてこうじを使用した、こうじづくしのお料理!Facebookでの投稿を拝見していても、いつもすごく美味しそうなんです(*´﹃`*)旬の食材、地元の食材を取り入れた、こうじ愛に溢れたお料理は、お弁当でもめちゃくちゃ美味しかったし、「体がよろこぶ」ってこういうことか!って感じがしました。数日間に渡る撮影なので、予算を抑えることを優先してコンビニご飯だけとかにならないよう、お弁当でもできるだけ栄養バランスの良いものを用意できたらいいなと思っていたので、本当にありがたかったです。お弁当はもちろん、お店でのランチや、近隣のマルシェなどにも出店しているそうなので、お近くの方はぜひぜひ!なかのほう不動滝やさいの会チラシ寿司の写真には指入っちゃってるし、朴葉寿司の写真とか開いて撮ればよかったし、相変わらず余裕の無さぶりが伺えますね(^◇^;)こちらのお弁当は撮影3日目のもの。撮影2日目にも、こちらの味ごはん弁当と地元の郷土料理である五平餅の弁当(週末限定)を頼んだのですが、、、マックスにテンパりすぎてて写真を撮り忘れてしまいました(T ^ T)こちら↓の味ごはん弁当の写真は、主演もっちーが撮ってくれていたもの☆https://sakaori-tanada.com/souvenir/2032/なかのほう不動滝やさいの会さんは、地元の農産物や天然の山菜、きのこなどを揃える直売所。お弁当などの加工品も販売していて、地元の食材を中心に伝統の味を守り続けているそうです。スタッフは地元のお母さんたち。こちらのお弁当もありがたいことに、美味しくてボリューミーでお野菜もしっかり栄養バランスばっちりでリーズナブル!美味しいお弁当のおかげで、お昼の時間がリフレッシュの時間になって、連日の長時間の撮影も、すごくいい雰囲気で乗り越えることができました。お弁当以外にも、手作りのお味噌や色んな加工品があるので、お土産にも!お近くの方やこの辺りにお出かけの際には、こちらもぜひ立ち寄ってみてください♪水半茶寮最終日ということもあり、ちょっと奮発しました!なんですが、、、なんだかお店の方でも奮発して下さった気がする。。。。豪華((o(*>ω<*)o))とにかく美味しくてお腹いっぱいでした!http://mizuhan.com/水半茶寮さんはとても綺麗な日本家屋の料亭さん。とても気持ちのいいお店なので、お喋りを楽しむ女性客にも人気です。恵那の家からも近く、お料理が美味しくて祖母も大好きだったお店で、居間の書棚にあった祖母の日記のぱらりとめくったページのそこここに登場していました。「ばあちゃんここの天ぷらが好きだったんだよ」と父。3年前、私の結婚が決まった報告に恵那に来たときも父と3人でランチしたのですが、当時95歳とは思えない見事な健啖ぶりだったことを思い出しました。撮影翌日にも、父とおちびと3人でランチを食べに行きました。おちびさん、気持ちの良い縁側でごろんごろん。撮影終わって若干燃え尽き症候群めいていた私も、ここでぽけ〜ってできた時間にいっぱい癒やしてもらいました。いい気が流れている。そんな気の流れを、自分にも通せるような、そんなお店です。お近くの方、お近くにお寄りの際は、ぜひぜひ☆帰りがけ、お店の方と祖母の話をして、そしたらこの映画のことも応援してくださって。このCFでは、私だけでなく家族や親戚を通じても、たくさんの方が応援を寄せてくださっています。その中には、水半茶寮さんのように祖母の知り合いの方も。この映画を、そしてこのCFを、勇気を出して立ち上げて、本当によかった、と思っています。私一人では知ることもなかっただろう、この家の、祖母の、色んな思い出の片隅をこの企画を通して覗かせてもらえています。おばあちゃん、こんなにたくさんの人が応援してくれてるよって知ったら、きっと喜んでくれるんじゃないかな。たくさんの応援、本当にありがとうございます!さぁ、、、これから経費の計算に取り掛かります。。。。CF開始後順調にご支援いただけたこともあって思い切ったこともあるけど、もちろん無駄遣いはしてない。。。。でもざっくり計算も敢えてしなかった。。。。ドキドキ。。。。
赤ん坊はすなお。気になったものを真っ直ぐに見る。特にうちのおちびさん、カメラ目線ばっちしな子なのでおちびのシーンではこんな風に、黒幕を仕込んで撮影していました。しかも3台のカメラを同時に回して!テレビドラマも顔負けな撮影体制でした。いちおう私、監督なのですが、テクニカルなことにはとんと疎い素人監督でしたので(^◇^;)撮影のことはスタッフさんたちにお任せ。なのでこの黒幕が出てきたときは「なんだなんだコレは⁉︎」状態でした。いやホント、すごく贅沢な環境を整えてくださいました。こんな風に張って、カメラの画面を確認しながら、、、、ガムテープでマーキングして、切り抜く。おちびにカメラの存在を気づかれないよう、アングル決めと立ち位置の調整などのリハーサルには、おちびのスタンドイン(リハーサル用代役)としてゴリくんが大活躍してくれました!笑この映画第1稿脚本を書き上げたのは4月のはじめ。その頃おちびちゃんは、ようやくうつ伏せで頭を持ち上げるようになったくらいで、まだずり這いも上手にできていませんでした。つまり、、、、その時の想定で書いちゃってたワケでして(^◇^;)撮影時にはすっかり好奇心の導くまま、あっちへずり這いずりずり、こっちへ寝返りコロンコロン、、、、何よりすっかり私の後追い泣き全盛期でして、私の姿が見えると「抱っこして」と泣く泣く!私が見えない場所に、私の母や父、叔母がおちびを連れ出してご機嫌を取り、セッティングが完了したら、カメラが見えない入り口から入り、(私以外の)みんなで全力であやし、、、、スタッフの皆さん、サポートしてくれた家族の全力体制にはただただ頭が上がりませんでした。クラファンの10,000円リターンの製作覗き見レポートにはそんな奮闘エピソードと共に、可愛いNGシーンなんかも盛り込めたらいいな、なんて思っています。