はじめまして!
【和装改革】のカメラマン佐々木です。
私は「オマツリジャパン」という日本全国のお祭りを紹介しているサイトで、主に京都を中心とした記事を書いています。
京都のお祭りを何年もかけて見て行ったときに舞妓さんではない「嶋原太夫」に初めて出会いました。
写真:八朔の時だけ白い衣装をつける
島原太夫とは
京都人も知らない人が多い島原太夫。
宮中で舞や琴、茶道などを披露する芸に秀でた傾城(けいせい)に与えられた称号を「太夫」といいます。
わかりやすく言うと太夫さんは大名や公家に芸事を披露する芸者さん。
舞妓さんは町衆文化で生まれた、当時の会いに行けるアイドルや、メイド喫茶のメイドさんという感じです。
新選組もお座敷に通っていたという京都の島原には現在、太夫さんはたった4名だけ。
太夫さんが行っている京都のお祭りの年間行事も舞妓さんに切り替わっているところもあります。
末廣屋・司太夫より葵太夫のご紹介
「幼少の頃から芸事に親しみ、2歳から禿、見習い太夫を得て葵太夫としてデビュー。日本の和の伝統文化を正しく、そして親しみやすく知って頂き、花街を楽しんで頂きたく動いております。そして花魁と太夫の違いを知っていただき、嶋原の繁栄の為に日々東奔西走しています。」
写真:新年会では禿や少女たちの舞の披露も
お座敷遊びプランのご紹介
今回、このお座敷遊びプランは末廣屋の葵太夫と女将の司太夫がつとめます。
一組二名さまのプライベートツアーで、太夫が島原大門などをご案内いたします。
お食事は島原の乙文か松榮(予定)。見習いの禿(かむろ)や少女(しょうめ)も登場します。
大名気分でお楽しみください。
太夫文化が廃れないようにーお座敷プランに込める思い
禿は赤い着物の小学生くらいまでの子たちが務めます。中学生くらいになると、禿を卒業して、普通の着物を着る少女(しょうめ)になります。禿はどこにいるかわかるように袖に鈴がついていたり、後ろには自分の太夫の名前が書いてあったりと特徴的。そんな小さくて可愛い禿を卒業すると、見慣れた着物姿である少女たちは、お座敷に呼んでもらえる機会が、ぐっと減ってしまいます。太夫になるまでには中学、高校とお稽古を続けていく必要がありますが、出番は少ない。そしてさらに舞妓さんと違い、島原には歌舞練場もありません。島原の太夫のファッションを真似して大流行した江戸の花魁と間違われてしまうことも多々あります。舞だけではなく、諸芸に秀でる必要もある太夫。文化を背負っていくにはそんな険しい現状があります。
少しでもお座敷に禿だけではなく、将来の太夫である少女たちにも出て欲しい。
太夫さんの文化が廃れないようにー。
そんな願いからお座敷遊びプランを今回は作成いたしました。
まずはぜひ、島原太夫という存在を知っていただきたいと思います。
「和装改革」のスタジオではこのような希少な文化も撮影していきます。
スタジオ運営について応援のほどよろしくお願いいたします。