2022/07/29 15:33

ベートーヴェンの作品は日本で最もよく演奏されていますが、ベートーヴェンの生涯においては3つの謎が残されます。すなわち、

【ベートーヴェンの謎(1)】

ベートーヴェンが1812年に書いた「不滅の恋人への手紙」の不滅の恋人は誰か?

【ベートーヴェンの謎(2)】

ベートーヴェンは1812年から1818年に日記をつけていますが、その動機、目的は何か?

【ベートーヴェンの謎(3)】

ベートーヴェンは1823年にゲーテに手紙を書き送りましたが、ゲーテは返事を書きませんでした。これは何故か?

謎の(1)の他、謎の(2)(3)においても、女性問題が関係しているように思われます。ベートーヴェンは多くの歌曲やピアノ・ソナタ、交響曲において、女性との関係が動機となっていますので、これらのベートーヴェンの謎が解明されると、特に後期の作品の作曲動機に関して明らかになるものと考えています。

ベートーヴェンの「不滅の恋人の手紙」は、ベートーヴェンが亡くなった翌日に親友のシュテファン・ブロイニングとシントラーによって手のひらサイズの2つの女性の肖像とともに発見されました。これ以来、シントラーのジュリエッタ・グイッチャルディ説から始まってベートーヴェンと親交のあった多くの女性の名が挙がった一方で、手紙の発信地と発信年月日が明らかにされます。2つの女性の肖像のひとつはジュリエッタでしたが、ジュリエッタ説は否定され、もう片方の肖像が不滅の恋人であろうとされましたが、大勢はヨゼフィーネ説に傾きます。しかし、1970年代にはアメリカの音楽学者メイナード・ソロモンと日本の女性学者でありベートーヴェン研究家の青木やよひ氏によってアントーニア・ブレンターノ説が発表され、そして、片方の女性の肖像もアントーニアのものであることが判明します。

アントーニア説は多くの問題を解決し、青木やよひ氏は謎の(2)の謎解きも行っていますが、課題も存在します。課題のひとつはベートーヴェンが不滅の恋人の手紙を書いたときアントーニアは身ごもっていたことです。これをどう説明するか。2つ目の課題は、1812年7/6から7/7にベートーヴェンはボヘミアのテープリッツで不滅の恋人の手紙を書き、8月には約1ヶ月にわたってボヘミア西部のフランツェンスブルンにブレンターノ夫妻とともに滞在しますが、これはどう説明できるか。

ひとつ目の課題については、女性学の青木やよひ氏の著作の説明に譲ることとし、2つ目の課題については、フランツェンスブルンがブレンターノ家の住居のあるフランクフルトとベートーヴェンの居住するウィーンのちょうど中間点に位置することから、アントーニアが義妹クニグンダの夫である法学者サヴィニーを呼び寄せ、夫であるフランツ・ブレンターノとの離婚とベートーヴェンとの再婚について仲裁を頼んだ可能性があります。この仮説は飛躍し過ぎでいるように思われるかもしれませんが、1810年5月にアントーニアの義妹のベッティーナ・ブレンターノがウィーンのアントーニアの実家であるビルゲンシュトック邸を訪問した時に、やはり義弟の法学者サヴィニーを伴っていたことを考えると、全く可能性がないとは考えられません。しかも、フランツェンスブルンの宿泊ホテルの向かいのホテルにはゲーテの妻のクリスティアーネが滞在していました。ゲーテとも親交があった明け透けなアントーニアは、クリスティアーネにベートーヴェンとのことを相談し、不滅の恋人の手紙を見せた可能性まであります。

この後ベートーヴェンはクリスティアーネからゲーテへの預り物を持参し、カールスバートでゲーテと再会し、テープリッツでのわだかまりを解消しますが、この時、ゲーテは不滅の恋人の手紙のことを知っていた可能性が出てきます。謎の(3)については、ゲーテはベートーヴェンを失いたくなかったからというのが、筆者の結論です。なぜならば、ゲーテは処女作の書簡小説「若きウェルテルの悩み」のフィナーレでは、人妻との恋に破れたウェルテルはピストル自殺を遂げるからであり、しかもウェルテルの恋焦がれたロッテのモデルは第2部ではフランツ・ブレンターノの義母であるマクシミリアーネであり、マクシミリアーネはゲーテの恋焦がれていた人その人であり、ゲーテの実体験に基づいてかかれた小説であったからです。ウェルテルの自殺の場面はゲーテの友人エルーザレムの人妻への恋と失恋、自殺の実話に基づいています。ゲーテにはベートーヴェンの人妻への恋と見えたのかもしれません。

この後の詳細は音楽史関連記事に譲ることとしますが、ベートーヴェンとアントーニアはある問題をめぐって破局します。ベートーヴェンは人生最大の苦悩のドン底に突き落とされ、日記を書き始めます。

この時期にベートーヴェンはエルデーディ夫人に「苦悩から歓喜へ」と書き送っています。日記は断片的に6年間に渡って書き綴られ、そこで終わります。ベートーヴェンはオペラ「フィデリオ」では夫婦の愛の勝利を標榜していましたが、苦悩を乗り越え、「夫婦の愛の勝利」を「人類愛の勝利」へと変貌させ、交響曲第9番ニ短調Op.125を完成させたとも考えられます。

以上がアントーニア説によるベートーヴェンの謎解きの仮説ですが、ヨゼフィーネ説では説明できないことが多くあります。謎の(2)あるいは(3)についても、見当がつかず、日記に見られるような苦悩のドン底に突き落とされる理由の説明が付きません・・・。従いまして、本音楽史年表では両論併記を原則とするものの、ベートーヴェンの不滅の恋人をアントーニアとする記載が多くなりました。

(参考文献)青木やよひ著・決定版・ベートーヴェン<不滅の恋人>の探求(平凡社)

SEAラボラトリ 早川明