【ご挨拶】
はじめまして、笠本善之と申します
出身は山口県宇部市
1965年7月14日生まれの現在57歳
巳年、蟹座、O型です
17歳で美容の世界に入り、今に至ります
美容歴は40年、美容界の世界遺産だとか生き字引だとか言われています 笑
まずは動画をご覧いただきたいと思います
なぜ今アトリエサロンなのか?
アトリエサロンを立ち上げるに至った心模様を余すことなく語ります
20分と長い動画ですが、ぜひ最後までお付き合いいただけますと幸いです
【このプロジェクトで実現したいこと】
とにかくお客さまに喜んでいただきたい!
とにかくお客さまに笑顔になっていただきたい!
僕自身が自分に嘘をつかない正直な仕事をしたい!
そんな想いから
「完全マンツーマンのアトリエサロンをやりたい!」
強くそう思うようになりました
【プロジェクトを立ち上げたきっかけと経緯】
17歳で美容の世界に入り、いくつかのサロンを経て
25歳で小さな美容室を独立開業
おかげさまで経営は順調
順風満帆な日々を過ごしていましたが
止む無い事情により約5年間でサロンに幕を下ろしました
その後、単身福岡に渡り、同郷人だった妻と結婚しました
僕は美容師、妻は看護師
ふたりとも多忙な毎日を過ごしつつも
毎日の小さな幸せを見つける楽しみを
日々味わい暮らしていました
それから数年後、東京で仕事をすることになり
ふたりで上京
僕は39歳、妻は38歳の時でした
やはりどこにいても多忙な二人
そんな中でもいつも穏やかな妻に支えられ
僕自身は本当に仕事に没頭することができました
それから10年後
最愛の妻を癌が襲う
約2年半の闘病を経て、妻は旅立っていきました
※そのときFacebookに書いた手記を貼りますので
少し長いですが読んでいただけましたら幸いです
2016年9月4日
最愛の妻が、この世での修行を終えて新たな旅に出ました
享年49歳
2014年春に大腸ガンが見つかり
すでにステージ4という状態…
神の手による開腹手術は成功
しかし腹膜播種を起こしてリンパ節にも多数の転移が見つかる
その後の抗がん剤による化学療法は奏功し、1年後の2015年夏までは再発や転移もなく
まるでステージ4のガンを経験したことなど「なかったこと」のように感じていた
いっぱい美味しいものを食べたり、いろんなところに出かけたり
愛猫と3人で笑いの絶えない毎日を過ごしていた
ステージ4の5年生存率がたった15%だなんてことも忘れて…
一年後の2015年8月
そんな平和で穏やかな日々が永遠に続くと思っていた矢先
定期検診で、とある腫瘍マーカーの数値が急上昇
画像検査の結果、肺への転移が見つかる
「癌性リンパ管症」
完治は不可能、余命は長くても半年以内という所見だったが
屈指の精鋭達によって最高の医療チームが作られ
抗がん剤と分子標的薬による化学療法が開始された
「完治はしません、この治療は延命です」
当初から主治医には全てを包み隠さず話してほしいと伝えてあり
情報は妻と僕と医療チームで共有し、時には心折れそうになることもあったが
妻の持ち前のバイタリティと医療チームの真摯な姿勢に僕自身も奮い立たされ
とにかく一緒に頑張った
短期入院を繰り返しながら化学療法を行なってきたが
毎回アレルギーと副作用という壁が立ちはだかる
それでも2015年末から2016年の春先までは化学療法が奏功し
一時は画像で見ても腫瘍がはっきりと少なくなり
「お!このまま行けるんじゃね?」
そう思えるくらいになっていた
もちろん、心のどこかで「いつか来るその日」を覚悟しながら…
しかし、転移したがん細胞は変化進化を続けながら
一時の安堵を覆すように進行していた
それはまるで我々を嘲笑うかのように…
「化学療法は止めましょう、もう体力的に限界です」
「このまま治療を続けると命の保証はできません」
「…クリスマスは厳しいと思います」
2016年7月7日、七夕の日に医療チームから突きつけられた事実
さすがに狼狽えた
しかし、すでに僕の心は決まっていた
「しばらく仕事は休んで、最後まできちんと見送ろう」
在宅対応の医師や訪問看護チームを手配、在宅酸素吸入器なども準備しながら…
でも今までと何も変わらない元気そうな妻をそばで眺めていても
あと数ヶ月でいなくなってしまうなんて
にわかには信じられずに毎日を過ごしていた
いつも一緒に居た
寝るのも一緒
お風呂も一緒
シャンプー&トリートメントして
体を洗ってあげたり
風呂上がりにはきちんとブローして
いろんなことを話したり
些細なことで笑ったり
特別なことじゃなく
普通に毎日を楽しく過ごそう
お互いがたくさんの思い出を刻めるよう
とにかく一分一秒でも一緒に居たいと思った
僕がそうしたかった
だってあと少しで居なくなるんだよ?
8月1日深夜、絶え難い痛みに襲われ、口から痛み止めを飲むこともできず…
病院への移動中に酸素吸入の可能性もあったので、止むを得ず救急車を依頼した
そして、そのまま入院
もう治療ではなく、痛みのコントロールがメインだった
「痛くない・辛くない・苦しくない」
とにかくそれだけは医療チームに最大限の努力をしていただいた
緩和ケアチームにも協力いただき、辛くない日々を過ごせたと思う
初めのころは巨大迷路のような院内を車椅子で探検に出かけたり
愛猫に会うために数時間だけ一時帰宅をしたり
たくさんのお友達や親戚の方に来ていただいたり
個室に寝泊まりしていた僕は、妻の手を毎晩にぎっていろんなお話をしたり
もちろん、お風呂の介助やシャンプー&トリートメントしてブローしたり
この頃の日々はとても濃密で有意義な時間を過ごすことができた
結婚して20年と9ヶ月、今までこんなに穏やかに過ごす時間はあっただろうか?
旅立つ者とこの世に残る者…
お互いがそれぞれを敬い
お互いが相手の今後を考える時間
8月も後半になり、妻の容態は安定しつつも一歩一歩ゆっくりと坂道を下っていく…
来たるべき「その日」がすぐそこまで来ているのか
もしかしたら、見当外れでこのまましばらく行けるのか
「その日」が確実に近づいている気配を感じながらも
せめて12月6日まで…
妻の50歳の誕生日でもあり、僕たちの21回目の結婚記念日でもあり
「また来年もスカイツリーのレストランでお祝いしようね」
去年、20回目の結婚記念日にそんなことを話していたのを思い出していた
見えない何かにすがりながら8月後半の日々は過ぎてゆく…
そんなある日、以前から気になっていたことを質問してみた
「あのさ…高級ブランドのバッグやアクセサリーとか
ミシュランに載っているようなお店とかそういったものには興味ないの?」
妻は少しだけ考えたあと、ニコニコしながら答えた
「うーん、興味はないわけじゃないし、キライなわけじゃないけど…
そういうのはあなたの役でしょ?
うん、やっぱりそういうのはあなたの仕事だと思うのよ
あなたがそういうものを身につけたりいろいろ知ったりしながら
いつもキラキラ輝いてくれてるのを
そばで眺めているのがすごくうれしいんだよね
それを眺めているのが大好きなんだよね
勝手な自己満足かもしれないけど
あなたを輝かせてるのはこの私よ!って自分で思ってるのが
いちばんの幸せなんだ」
「あのね…私はあなたを輝かせるためにあなたと一緒になったのよ
そのあなたを見つけたのはこの私なの
今思うのは
20年と9ヶ月
ちゃんと輝かせられたかなぁって…
だから
これからも今までどおりに、というか
今まで以上にキラキラ輝いていて欲しいのよね
そうあってくれるのなら
私の人生に悔いなしよ ^ ^」
そんなことを、とても嬉しそうに楽しそうに話す妻
僕は溢れそうになる涙をこらえるのが精一杯だった
いや、実際にはとめどなく溢れていた
消灯後だったのが幸いだった
そんなふうに個室で過ごす二人の夜は
僕たちにとってとても貴重な時間だった
2016年9月3日朝
以前から二人で取り決めていたことをしなければならない時が来た
どうしても息苦しくなったら鎮静をかけて眠ろうと決めていたのだが
その合図をするのは僕の役目だった
「今はゆっくり眠ろうね
また目が覚めたら美味しいものを食べに行こう
何を食べに行くか考えといて
じゃあ、ゆっくり休もうね」
痛み止めとステロイドと鎮静剤で朦朧とする意識の中
妻は、はっきり
「うん」と頷いた
これが僕たち二人の最後の会話
呼吸も安定し、ゆっくり眠っている妻の体を綺麗にしてもらい
翌日9月4日午前にはシャンプーとトリートメントをしてもらい
頭の先から足の先まで綺麗になった妻
そして
旅立つ準備ができたのか
血圧 心拍 呼吸の順に下がっていき…
というか
きっと妻が自分自身で下げたんだと思う
9月4日15時10分
妻は 静かに 永遠の眠りについた
混沌としたこの世に渦巻くさまざまなしがらみや煩悩から解き放たれ
今まで見たことのないほどに美しく穏やかな表情で眠る妻を抱きしめ
ありがとう
おつかれさま
がんばったね
僕は何度も何度も繰り返した
しばらく時間が過ぎてもまだ温かい妻
そして、どんどん美しく柔らかな表情になっていく
「さあ、家に帰ろうね」
20年以上一番近くにいた最愛の妻が旅に出ました
僕の一番の理解者であり
僕のことを一番に応援してくれていた妻
僕にとって一番大切な妻
そんな妻が一歩一歩自分の死に向かっていくのを
僕もそばで一緒に寄り添い、ともに歩めたことを
すごく嬉しく思います
とても誇りに思います
もちろん
ものすごく悲しいし
ものすごく寂しいし
ものすごく辛いし
とてつもない喪失感です
だけど、最後までそばで寄り添えて
最後まできちんと見送れたこと
それを妻も僕も望んでいたこと
それがきちんと果たせたことで
僕はこれからもキラキラ輝いて生きていける気がします
そして、これからもキラキラ輝いて生きていくことが
妻への一番の弔いだと
僕は思います
長々とした文章、最後まで読んでいただきありがとうございます
妻が亡くなる前に言った言葉
「今まで以上にキラキラ輝いていて欲しいのよね」
果たして僕は輝いているのだろうか?
本当に自分のやりたいことができているのか?
そんな想いが頭の中をぐるぐると巡って
出した答えがこれだったのです
「完全マンツーマンのアトリエサロンをやりたい!」
僕の40年に渡る美容師人生の集大成であり原点回帰なんだと、ようやく気づきました
そして、せっかくなら32年前に立ち上げたサロンの名前を復活させたい!
右も左もまだ何もわからず経験も浅い25歳という若さと勢い・・・
ただそれだけで立ち上げたにも関わらず
たくさんの地元のお客さまに可愛がっていただき
しかし志なかば、断腸の想いで幕を閉じたあのサロンをもう一度!
それが、僕にとっての原点回帰なんだと
初心に戻って周りのみんなをキラキラさせたい!
もちろん、僕自身も輝いて仕事をしたい!
そんなふうに心から思っています
サロンの名前は「private.」
Reborn, Revibe, Restart をテーマに
今、原点回帰の旅がはじまります
【これまでの活動】
17歳で美容の世界に
25歳で独立開業、5年で閉店
30歳で福岡に移る
39歳で東京へ
57歳の今、美容人生40年の集大成が始まる
【資金の使い道】
これまで支えて下さった顧客様へのご優待を主なリターンとして販売いたします
(ご新規さま対象のご優待もございます)
また、ご支援いただく方へ差し上げる、うちの愛猫ボーイズ「たびたら」グッズの製作費にも充てさせていただきます
【目標金額 450,000円】
・内装工事費:約150,000円
・動画等制作費:約100,000円
・たびたらグッズ制作費及び送料:約100,000円
・CAMPFIRE掲載決済手数料:約100,000円
【リターンについて】
数々のお得なプランをリターンとしてご用意いたしました
顧客様だけでなく、興味を持っていただいたご新規様も大歓迎です
詳細はリターン内容をご覧ください
【実施スケジュール】
アトリエサロンは2022年9月23日(金)オープンしましたので、本プロジェクトに先行する形になりました
ご支援いただきましたリターンのご優待は2022年11月よりご利用いただけます
2022年9月23日 アトリエサロンオープン
11月 リターンのご優待ご利用開始
12月 グッズが出来上がり次第「たびたら」グッズの順次発送
※グッズ発送は遅れる可能性もございますこと、ご了承ください
【最後に】
じつは妻が亡くなった日は9月4日「櫛の日」なのです。
それほどまでに僕のことを応援してくれていたんだなぁと。
とにかくお客さまに喜んでいただきたい!
とにかくお客さまに笑顔になっていただきたい!
僕自身、嘘をつかない正直な仕事をしたい!
そして・・・
僕が心から輝ける美容師であり続けるために
みなさまの温かなご支援、どうぞよろしくお願い申し上げます。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る目標達成ありがとうございます!
2022/10/28 21:10プロジェクトオーナーの笠本善之です。まったく予想外の展開にびっくりしております。公開から21時間40分という超絶スピードで目標達成いたしました!ご支援いただきました皆さま、ありがとうございます!心より感謝いたします。まだまだプロジェクト始まったばかりで、終了まで期間があります。新しくリターンも追加したいと思っておりますので、最終日まで応援いただけますとうれしいです。よろしくお願い申し上げます。 もっと見る
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