プロジェクト代表の深澤です。
山梨県富士川町はかつて物流の町でした。
甲府の次に栄えていたとも言われています。
それは文中にも書きましたが、
山梨県と長野県の年貢米が富士川町に集められ、
富士川舟運によって川を下り、
駿河湾に運ばれて、積み替えられ、江戸へ献上されました。
また、日蓮宗の総本山、身延山も川の途中にありますから、
身延山詣出をする人たちも多く、
彼らのために船も出ていたそうです。
さて、写真の山車ですが、
これは京都の美しさと江戸の力強さが
融合した貴重な文化だと伝えられています。
なぜ山梨県に遥か遠くの京都の文化があったのか。
それは富士川舟運を開削したのが、
京都の豪商、角倉了以だからなのです。
徳川家康の命により、切り開いたと、
なんと歴史の教科書にも載っています。
(私たちは小中学校の社会科で習いました)
京都の公家のきらびやかな文化と、
江戸の武士の力強さが融合し、
あのような山車になったのでしょう。
しかしデザインした人を知りたいですよね。
いいセンスをしています。
これは私たちもまだ把握していません。
私が小学5年生の頃までは、山車は毎年
大法師さくらまつりの期間に運行していました。
当時は町内会別に6台の山車が運行し、
私も毎年引いていました。
櫓の上で太鼓を叩いた記憶もあります。
今は少子高齢化、過疎化の波にさらされ、
5年に1回の復活となっています。
写真は2019年11月に復活したときのもの。
山車はまつりが終わると一度解体され、
再び組み立てるときには宮大工でないと
組み立てができないそうです。
5年に1回というと、痛みも激しくなり、
修理代もかなりかかるようです。
本菱が飲まれていた120年前には、
きっとこの山車を楽しみながら、
飲んだ人もいたことでしょう。
本菱の味は、華やかでフルーティな香り、
そしてキレイのいいのどごし、と、
まさにこの山車のような美しさと力強さが
同居する味わいです。
ぜひたくさんの人に
味わってほしいと思います。