はじめに
私たちの赤穂市は忠臣蔵で有名な町でした。社会情勢、生活スタイルの変化と共に忠臣蔵に対する思いも年々薄れていることを実感します。先達が熱い思いを込め作られた早籠の像は老朽化で傷みが激しく修復が必要です。私たちは「早籠修復委員会」を立ち上げ、この修復を機に忠臣蔵を見つめ直す機会になればと思っています。
このプロジェクトで実現したいこと
元禄14年(1701年)3月19日午前4時頃、江戸城松之廊下で14日に起きた赤穂城主浅野内匠頭の殿中刃傷事件を知らせる急使を乗せて、2挺の早かごが播州赤穂の国境にある高取峠(たかとりとうげ)にさしかかる。1挺に4人の担ぎ手と2人の引き手と押し手が1組となり、宿場ごとに乗り継ぎながら昼夜走り続けてきた。その距離は、155里(およそ600キロメートル)。江戸からわずか4日半という通常では考えられない早さでたどりついたそうです。
兵庫県赤穂市と相生市の間にある高取峠は、昔から交通の難所。今でも急カーブの多い峠道です。その峠の頂上に、江戸からの早かごを再現した像があります。国元における赤穂事件始まりであり、多くの方に知ってほしい貴重な標(しるべ)です。
第一報を受け取る大石内蔵助
(大石内蔵助邸)
(当時の再現像)
浅野家筆頭家老大石内蔵助邸の門がたたかれたのは、19日の午前6時頃といわれている。急使として訪れたのは、早水藤左衛門と萱野三平の二人。江戸での変事発生の第一報が大石の元へと届けられました。享保14年(1729)の大火でほとんどの建物が火災で失われた赤穂城下で大石邸長屋門は焼失をまぬがれ今に残る貴重な建築物です。急使の二人が実際にたたいた門です。
赤穂城内では、毎日のように会議が開かれ、開城か籠城、殉死など激論が交わされた結果、浅野家の再興を願い開城することになる。城明け渡しの日から30日以内に、浅野家家臣は城下から立ち退かなければなりませんでした。残務処理にあたっていた大石内蔵助も浅野家菩提寺の花岳寺で亡君の百か日法要を行ったのち、赤穂の地を去って行くのです。
そして約一年後の元禄15年(1703年)12月14日未明に「赤穂四十七士」が本所・吉良邸への討ち入り、本懐を遂げます。(赤穂市立歴史博物館所蔵)
長年の風雨に曝され籠の部分、担ぎ手の足など傷みが激しく、急ぎ修復したいと考えています。
このモニュメントがある高取峠は(国)250号に位置して兵庫県相生市から赤穂市への重要な玄関口となっています。高取峠にある忠臣蔵ゆかりの早籠モニュメントが赤穂市の東の玄関口にふさわしいものにリフレッシュする必要があります。
私たちの地域のご紹介
赤穂市には忠臣蔵にまつわる史跡などがたくさんあります。
○赤穂城跡
○大石神社
赤穂四十七義士が祀られています。参道に並ぶ石像が壮観です。
○花岳寺
赤穂藩主浅野家の菩提寺です。
兵庫県赤穂市と言えば「忠臣蔵」。1999年NHK大河ドラマ「元禄繚乱」が放送されたときは観光で年間200万人を超える人が訪れました。しかしコロナ禍で訪れる観光のお客様はほとんどなく静まり返っています。
今回の早籠モニュメントの修復を機に多くの方に来ていただければと思います。
リターンのご紹介
資金の使い道
・早籠モニュメント修復費 120万円
・手数料、返礼品等 100万円
・案内板、印刷費、雑費 30万円 /合計250万円の一部として使用
実施スケジュール
2023年3月修復作業開始
7月完成予定
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
最新の活動報告
もっと見る早かごモニュメントの修復が終わりました。
2023/07/03 13:41ご支援いただいた皆さま皆さまからご支援いただいた資金で赤穂市高取峠頂上にある忠臣蔵ゆかりの「早かごモニュメント」の修復が終わり、6月28日赤穂市の牟礼市長はじめ約40名が参加し完成記念式典を無事開催することができました。忠臣蔵を知らない若い人たちが増える中、このプロジェクトをきっかけに私たちは忠臣蔵文化で赤穂市をもう一度盛り上げたいと思っています。今後とも応援よろしくお願いいたします。啓昌会一同 もっと見る
修復工事にかかりました!
2023/04/08 16:09ご支援いただいた皆さま皆さまから頂いた支援金で早籠モニュメントの修復工事に着手することが出来ました。心から感謝いたします。完成いたしましたら、またご報告させて頂きます。早籠修復委員会一同 もっと見る
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