どうも、オーナーのマサ越前です笑
すみません、ちょっとまだ恥ずかしいです。自分でオーナーっていうの笑
普段はバナナジュース屋の店長なんで笑
今日もバナナジュース作ってきましたよ!越前海岸という海沿いで反対側は山に囲まれた自然豊かな場所で砂糖不使用のバナナジュース屋をしています!
今日もチラシを配りながら接客していたのですが、既にSNSで見たことあるー!とかカッコイイなどいいリアクションを頂いていて嬉しいです!
このバナナボーイのシールのロゴのデザインをした友人がバレミアンのデザインもしているんですよ!本業ではないのですが、本気でイラストの世界を目指していた子で今も色んなイラストを描き続けているのでクオリティの高いモノを毎回作ってくれます!
このように福井特撮プロジェクトは裏で活躍してくれているメンバーがいます。オーナーとして感謝です。
さて、今回はお遊戯会というお話。恐らくほとんどの方が初舞台は幼稚園や保育園のお遊戯会じゃないですか?
私にとってお遊戯会が人生のターニングポイントとなります。幼少期の頃、私の夢はヒーローになること。その時に私の組が披露したお遊戯会は、桃太郎。当然、主役の桃太郎がいいに決まっている。しかし、私は選ばれずこの役になりました。
ネズミ役です。
あれ?桃太郎にネズミなんていないですよね?私もなぜネズミ役をやったのかいまだに理由がわかりません。犬、猿、雉は確かにいました。鬼もおじいちゃんもおばあちゃんもいました。桃太郎はなんなら3人いました。ネズミは一匹でした。
なんのネズミ?笑
かすかな記憶ですが、鬼ヶ島への道案内をしたような気がします。先生にいじられていたのかもしれません。
とにかく主役の桃太郎になれなかった僕は、近所を周り歌を歌いまくり、それぞれの家からありったけの饅頭をもらい帰ってくる日々をおくりました。僕が主役だと言わんばかりに。
しかし、生まれつき吃音症と持病のある私は小学校に入っても目立ちたいのに学芸会や卒業式では重要な役はもらえません。卒業生の言葉なんて「そして」の接続詞3文字だけでした。持病のせいで気を遣われる。優しさが私を苦しめます。
馬鹿にされ、いじめられ、笑われる。そんな日々でしたが負けませんでした。僕はヒーローになりたいから!ヒーローといえば笑顔を届けるもの!僕は小学校で笑ってきたやつらを笑わせたいと思うよになり、そこからお笑い芸人を目指します。
中学校でもいじめスタートだが、自分から舞台に立ちにいく。放送部や生徒会や体育祭の団長に自らなりにいく。とにかく前に出た。
高校も同じだった。いじめのレベルは上がる。さすがに家に帰ると涙した。でも、負けじと前に出た。そして生徒会長になった。
地元の祭りのボランティア、のちに恩師となる担任であり生徒会顧問の先生に言われて出し物をすることに。それが自作のヒーローショー。先生と遅くまで学校に残り、音源を作りお祭りで披露。そこそこ盛り上がった。しかし、同じ祭りにはテレビでお馴染みの◯◯レンジャーのショーが。差を見せつけられた。ショーのあとすぐにスタッフさんに駆け寄り、頭を下げてヒーローショーがうまくなりたいと伝えた。
高校在学中にバイトという形でスーツアクターデビュー。高校卒業して、恩師の薦めで音響の専門学校へ。ヒーローショー業界でも音響は活かされ、大きなステージのPAも担当した。専門学校2年になり、アマチュアでやっていた芸人をプロでやる為に吉本へ。3足の草鞋生活がスタート。
専門は2年で卒業。それからまた2年が経ったそんな中、恩師が病で倒れる。恩師の遺書には、俺の葬式で漫才をしてくれと。
私は凄く貴重な体験をした。泣きながらコンビで遺影の前に立ち、漫才を始める。不思議の漫才中は涙が止んだ。どうも、ありがとうございました!と共にまた涙が溢れた。恩師は間違いなく僕のエンタメへのきっかけだった。
芸人としての仕事が増え始めると、ヒーローショーがやれなくなってきた。そこで僕はお笑いにヒーローショーを持ち込んで、芸人のやるヒーローショーの団体をコンビで作った。やってきたことが一つになった瞬間だった。
しかし、芸人の活動は甘くない。私は精神的な理由でダウンした。全てを辞めた僕福井に。そして模索を繰り返し、今に至る。
芸人、ヒーローショー、音響。武器はある。それに福井のご当地の武器を合わせれば、最高のエンターテイメントが創れる!自信があった。
幼稚園のお遊戯会が僕のルーツ。ノウハウを経てパワーアップしたお遊戯会がやれる!ネズミから恐竜になって、お遊戯会の頂点を極める。
32歳で魅せるお遊戯会。乞うご期待!