はじめに・ご挨拶
清らかな河川と美しい山々に囲まれ、日本そのものを意味する「大和」とも呼ばれる古都、奈良県。日本神話の聖地としても名高い神話のふるさとに鎭座します多坐彌志理都比古神社(おほにますみしりつひこじんじゃ、通称:多神社)は、日本建國の初代•神武天皇とともに、摂社に『古事記』編纂者の太安萬侶(おほのやすまろ)公を祀ります。また太安萬侶公の御子孫が代々宮司として奉職する神社としても知られてゐます。
ご周知の通り、『古事記』は日本最古の歷史書であり、伊弉諾(いざなぎ)伊弉冉(いざなみ)命の「國生み」。天照大御神の「天岩戸」。出雲の「國譲り」。「天孫降臨」「神武東征」へと續く、全ての建國神話の原典となつたものが『古事記』です。そこには、日本とは何か、私たちは何を目指してゐるのか、日本の國の形が詳しく描かれてゐます。
去る平成24年(2012)『古事記』編纂1,300年の節目には、先賢の事蹟を讃える新しい顕彰祭「古事記獻上祭」が、多坐彌志理都比古神社の摂社・太安萬侶公を祀る小杜神社(こもりじんじゃ)で斎行され、當時、多くの新聞で取り上げられました。しかし殘念なことに、その後は行なはれることなく10年の歳月を経てゐました。
ちやうど1,310年の節目に當る令和4年(2022)に、古事記編纂1,310年奉祝事業として「古事記獻上祭」を10年ぶりに復興し、編纂者の太安萬侶公を祀る奈良「多坐彌志理都比古神社(通称:多神社)」にて顕彰祭を斎行しました。日本建國の地・奈良に生まれた新たな祭事で町を活性化すると共に、神話の原典となつた『古事記』をしつかりと後世に傳へていくため、皆様からのご支援をお願ひ申し上げます。
令和6年 古事記編纂奉祝「古事記獻上祭」の概要について
古事記編纂1,310年を奉祝して10年ぶりに祭典を復興した令和4年度は、現職議員の高市早苗衆議院議員、堀井巌參議院議員、佐藤啓參議院議員から祝電をお寄せ頂き、小林茂樹衆議院議員、森岡正宏元衆議院議員、西川良平堺市議会議員、添田詩織泉南市議会議員、藤江正鎭大阪護國神社宮司、吉田悦之本居宣長記念館名誉館長、久禮旦雄京都産業大学准教授、久野潤日本経済大学准教授が来賓としてお越し下さいました。当初の豫定を超える30名以上の參列者の皆々様、クラウドファンディングを通じて御奉賛を頂きました全てのご厚志に改めまして篤く御禮申し上げます。
國の公式文書として『古事記』が獻上されたのは旧暦1月28日。その旧暦1月28日を新暦に直した2月28日に行はれる「古事記獻上祭」では、『古事記』ゆかりの奉祝行事と、關聯する史蹟探訪に、どなたでも御參列、御參加いただくことができます。
(1) 早朝より『古事記』編纂を勅命された 天武天皇の御陵を參拜します。
(2) 古事記の編纂者・太安萬侶公を祀り、御子孫が宮司として奉職される多坐彌志理都比古神社(おおにます みしりつひこじんじゃ、通称:多神社)では「古事記獻上祭」が執り行はれます。
(3) 祭典後は、もう一人の編纂者・稗田阿禮(ひえだのあれい)公を祀る賣太神社(めたじんじや)に正式參拜。
(4) 記念講演では、古事記を1,000年の眠りから目覚めさせた本居宣長(もとをりのりなが)について、松坂の本居宣長記念館から吉田悦之名誉館長を今年もお招きしてお話を伺ひます。
(5) 記念講演後に、昭和54年(1979)に發見され大ニュースになつた太安萬侶公御墓所を參拜。神話の時代から現代まで、途絶えることなく1本の道で繋げた先賢の偉勲を顕彰します。
『古事記』に興味がなかつたといふ方にも、ぜひ御參列、御參加いただき、ご一緒できれば幸ひです。
◆ 日時:令和6年2月28日(水) 10:00~11:00・会場:多坐彌志理都比古神社(多神社) 奈良県磯城郡田原本町多570 (お問ひ合はせ先:古事記献上祭事務局 株式會社はる家:050-3575-1511)
◆ 令和6年2月28日(水)古事記獻上祭・08:00[はる家 ならまち] -貸切バス移動- ・09:00 天武天皇檜隈大内陵參拜 ・10:00 古事記献上祭 多坐彌志理都比古神社(おほにます みしりつひこじんじゃ)・11:30 賣太神社(めたじんじゃ)御祭神:稗田阿禮公(ひえだのあれ)正式參拜 ・12:30 奈良縣護國神社 直會(晝食) 記念講演 本居宣長記念館 吉田悦之名誉館長 ・15:00 太安萬侶公御墓所 參拜 ・17:00 はる家 ならまち 解散
古事記の偉業 -其の壱-
よく知られてゐるやうに、日本はギネスブック公認の現存する世界最古の國です。わかりやすく言へば、今のギリシャの人は、ギリシャ神話のゴッドを自分の祖先だとは思つてゐませんが、神話の時代から現代まで途絶えることなく1本の道で繋がつてゐる日本では、神話の神々がそのまま私たちの祖先としてお祀りされてゐます。
江戸時代に既に古すぎて、何と讀むのかわからなくなつてしまつてゐた古事記を、30年以上の歳月を掛けてよみがへらせたのが本居宣長(もとをりのりなが)です。もし『古事記』がよみがえつてゐなければ、あるいは50年遅ければ、どうなつてゐたでせう。明治維新は起こつておらず、東南アジア諸國と同じやうに日本も西洋列強の植民地にされてゐた可能性が極めて高いのではないでせうか。それほど『古事記』があるのとないのとで世界はまるで違つてきます。
明治維新だけはありません。繼體天皇の皇位繼承、乙巳の變、和氣清麿公の神託、織田信長公の朝儀復興。挙げればきりがないほどに、日本は國難に際し『古事記』の精神のもとに苦境を乗り越えてゐます。『古事記』がなければ、日本は世界最古の國として現存してゐませんし、『古事記』を失へば滅びてしまふと言つても過言ではないでせう。そして今また、再び忘れられつつある『古事記』を現代に取り戻すことには、混迷を極める世相に道を開く力があるのではないでせうか。
古事記の偉業 -其の弍-
日本建國の神話として1,300年以上、日本人と共にあり續けてきました『古事記』編纂は、神話をまとめた他に、もう一つ、歴史的な重要な契機となつてゐます。
それは、國語が初めて文字として現されたことです。それまでは、言葉としての日本語はありましたが、文字で表現する上では、支那の漢文が用ゐられてゐました。
日本固有の神話を、漢文で表現すると細かいニュアンスが傳はりませんし、全部、話言葉だけで表現すると、いたずらに文章が長くなつてしまひます。そこで太安萬侶公は、ある部分では漢字の意味を脇に置いて音だけを採用し、ある部分では漢字の意味を殘して表現する、つまり「表音文字」と「表意文字」を、一文の中で混ぜて用ゐるといふ、現代まで續く國語の表記手法を編み出しました。
この表記手法が、後に「カタカナ」「ひらがな」を生み、「ローマ字」までを取り入れて、今日まで續いてゐます。現代の私たちは當り前のやうに使つてゐますが、支那大陸では未だに漢字(表意文字)のみですし、英語はアルファベット(表音文字)のみが用ゐられてゐます。世界でも類例のない國語表記が生み出されたのは、ひとへに『古事記』編纂によるところが大きいのです。
同じ時期に編纂された、日本の歷史を海外向けに語ることに重きが置かれた『日本書紀』は、堂々たる漢文で書かれてゐますので、もし『古事記』編纂がなければ、現在も私たちは、話し言葉は日本語でも、表記は漢文といふ、歪な文化であつたかもしれません。もしさうであれば、世界最古の長編小説『源氏物語』は生まれてゐませんし、當然、和歌も俳句もありません。
『古事記』編纂を顕彰する「古事記献上祭」は、神話の記念日であると共に、國語を大切にしようといふ、國語の記念日でもあります。そんな思ひから、こちらのサイト表記も本字・本假名遣ひ(歷史的假名遣ひ)が採用されてゐます。
プロジェクトを立ち上げた背景
ギネスブック公認の世界最古の國・日本。その建國の地・奈良と、千年の都・京都で宿泊施設を運營する[はる家]では、築百有餘年の町家に受け繼がれた日本の傳統文化をお届けしたいと願つてをります。では、日本の傳統文化が受け繼がれた姿とは、具體的に、どのやうな姿ですかと問はれれば、それは各家庭に神棚が祀られるやうになつた姿であらうと[はる家]は考へてゐます。史蹟探訪の他、神社清掃奉仕など、年間を通じて様々な祭典に奉賛する機會を通じて、日本の傳統文化に親しんで頂けましたら幸ひです。
これまでの経緯
『古事記』編纂1,300年の節目であつた平成24年には、様々な催しが日本全國で開かれ盛況を博しましたが、殘念なことに一過性のものに終始しがちでありました。ある事柄への関心が廣く喚起され、しかも息の長いものとして續いていくための、先賢たちが編み出した知恵の結晶とも言へるものに「祭事」があります。古事記編纂1,310年といふ記念の年に「古事記獻上祭」を復興し、以後は小規模でも毎年續けてまゐれましたら、我が國の将来にとり、どれほど好ましいだらうかと、太安萬侶公の御子孫でもあられる多坐彌志理都比古神社(おほにますみしりつひこじんじゃ)に相談させて頂きましたところ、すぐさま御快諾いただき開催させて頂ける運びとなりました。多坐彌志理都比古神社の多忠記宮司、賣太神社の藤本保文宮司、本居宣長記念館の吉田悦之名誉館長、諸氏をお取り次ぎくださつた日本経済大學の久野潤准教授にも厚く御禮申し上げます。
資金の使い道・実施スケジュール
古事記編纂1,300年を記念して平成24年(2012)に執り行はれた「古事記獻上祭」を、古事記編纂1,310年に當る令和4年(2022年)に復興し、以後は小規模でも顕彰祭を毎年同日に繼續してまゐりたいと存じてをります。
この度、皆様からご支援いただきました全ての資金は、令和6年2月28日に執り行ひます「古事記獻上祭」と、来年以降も祭事を繼續するため、またこの度のクラウドファンディングの手数料に活用させていただきます。本来でしたら「古事記獻上祭」にご參列いただき、史蹟探訪等にもご參加いただきたいところではございますが、遠方にお住まひであつたり、御豫定により足をお運び頂くのが難しかつたりといつたご事情もあらうかと存じます。今はご參列いただけない皆様にも、クラウドファンディングを通じて、世の中を明るい方向へと導く記念祭典にご參加いただけましたら幸ひでございます。
※參考 目標金額として:300,000円
設備費:約10万円 人件費:約10万円 廣報費:約5万円 手数料:約5万円
最後に
令和2年(2020)中華人民共和國の武漢に端を發した新型コロナウイルス感染症の影響により、国内外からの観光客は大幅に減少し、日本全體が活氣を失ひつつありました。實は令和2年(2020)は、古事記と並ぶ國の公式の歷史書『日本書紀』編纂1,300年の節目にあつたのですが、暗い世相を受けて殆ど話題にのぼることのないままやり過ごされてしまつた年でもありました。
『古事記』まで忘れられたままにするわけにはいかない。混迷を極める世情にあつては尚更、この原點回歸の神事が100年、1,000年と繼承され、未来の世代が困難に見舞はれた際までも、この道を進めと力強く背中を押してくれるやうであつて欲しい。そんな願ひを込めて、『古事記』編纂1,310年の節目に當る年に古事記獻上祭を復興いたしました。またこの機會を通じて、 天武天皇、 元明天皇の御事蹟、太安萬侶公を祀る多坐彌志理都比古神社(おほにますみしりつひこじんじゃ)および稗田阿禮公(ひえだのあれ)を祀る賣太神社(めたじんじや)、松阪の本居宣長記念館を、より多くの皆様に知つていただきたく、史蹟探訪と記念講演を同時開催することといたしました。
このプロジェクトが成功いたしますよう、皆様のご支援、ご協力を賜りたくお願ひ申し上げます。また、古事記獻上祭が終わりとならずに、ぜひ奈良を始め『古事記』ゆかりの地に足をお運びいただき、今に生きる神話を直接體感いただけましたら幸甚に存じます。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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