皆様こんにちは!「おにぎり宮本」応援隊です。本プロジェクト代表の宮本恒一郎さんが「感謝してもしきれない人がいる」ということで、興味津々でお話を聞いてきました(もちろん感謝の思いはこの方お一人ではありませんが)。最後までお読みいただけるとうれしいです!********************************出会いは1本の電話から。絶対にあきらめない有機米農家を支え続けた地銀支店長宮崎県新富町『有機米農家 おにぎり宮本』のオーナー・宮本 恒一郎さん(上の写真/左)。有機米農家となりおにぎり屋を開くまでの経緯や思いを様々なゲストに伝える場面ではいつも、かつて誰も見向きもしてくれなかった自分に融資し続けてくれた1人の銀行マンの存在について熱く語ります。その人は、野津手 靖丈さん(上の写真/右)。2005年に宮崎銀行新富支店長に着任し、新富町で3年半を過ごしました。異動後退職され、現在は宮崎市内の会社で代表取締役社長を務めています。□ある夜の1本の電話から「出てこいよ。一緒に飲むぞ」地元の先輩からの電話を受けた恒一郎さんは、仲間と一緒に宮崎市街地へ。そこで初めて紹介されたのが、当時の宮崎銀行新富支店長・野津手(のつて)さんでした。20年近く前の話で誰も詳細は思い出せませんが、農業の話でひとしきり盛り上がったようです。銀行に勤めながらも、宮崎県国富町にある実家の5反ほどの田畑を日々手伝っていた野津手さんは、農業には特別な思いを持っていました。宮崎の基幹産業は間違いなく農業。でも、消費地は遠いし流通面では不利な部分が多い。そもそもうちのような小規模農家では採算がとれないし、転作補助金をもらいながらやるくらいなら田んぼを売ってしまった方がいい…。ところがこの夜、有機農業に挑戦しているが苦戦しているという恒一郎さんの話を聞き、口をついて出た言葉はこうでした。「明日、決算書を持ってうちに来てくれ」□人柄・情熱、大型農業ができる広い圃場。「必ず成功する」と確信して融資それまで銀行との取引は全くなかった恒一郎さん。戸惑いながらも翌日に決算書をもって野津手さんのもとへ。野津手さんは決算書を受け取りパラパラッと見たかと思うと、「なんぼ要っとか(いくら必要か)?」その一言で、恒一郎さんは銀行からの融資を受けることが決まりました。当時のことを振り返り、野津手さんはこう話します。「農業は反収(1反当たりの収入)で見るんです。どんな圃場で何の品目をいつ、どんなサイクルで作っているかを見て計算すれば収入はすぐに計算できます。こうちゃん(恒一郎さん)は本当にうらやましい農家だと思いましたよ」野津手さんの感覚では、農家と呼ぶにふさわしい農地の広さは当時で2〜3町歩。その頃でも恒一郎さんの圃場は11〜12町歩もあり、しかも1枚の田んぼが3反と広く拡張整備されていました。「効率の良い大型農業ができる環境にあったんです。とにかくその規模に驚きました」それに加え、融資の決め手となったのが、恒一郎さんの不器用ながらも真っ直ぐな性格。「真面目に、真剣に農業に取り組んでいて、勉強もものすごくやっていた。この規模、この情熱で有機農業に取り組めば、絶対にやれると確信しました」※1反=300坪、1町歩=10反□融資の判断は「人、モノ、金」融資は一度だけでなく、返済できないまま次の融資を受けたことも。「のってさん(野津手さん)がなんも言わずに貸してくれるもんだから、申し訳なくて…。『うちの家屋敷を担保にしてくれ』と言ったんです。そしたら、『何いいよっとか。俺はこうちゃんに金貸しとるんやが。そんなもんいらん』と言ってくれて。本当にありがたかったですよ」(撮影:中山 雄太)野津手さんは銀行の新人時代に受けた研修で、「融資は人、モノ、金」と学んだといいます。「融資の際に銀行員はまず、人を見るんです。それからモノ(事業)、金(いくら融資するか)の順番で決める。とにかく人(人柄・情熱)が一番大事なんです。これは間違いありません」銀行からの融資を活用しながら、不作の辛い時代を乗り越えた恒一郎さん。2008年には圃場の一部が有機JAS認定を受け、有機農家を名乗ることに。以後、恒一郎さんの有機米はバイヤーを通して都市部に出回ることになりました。今や台湾への輸出も始まり、おにぎり屋の新店舗オープンに向け家族やスタッフと一緒に奔走する日々を送っています。同じ昭和34年生まれの2人は、農業を介して心通わせ、家族もよく知る旧知の仲。顔を合わせれば農業の話は尽きません。もちろん恒一郎さんは当時の借金分を完済。まもなく64歳を迎える今も、さらなる挑戦を続けています。※クラウドファンディング挑戦中!目指すは「農業の魅力を伝えるおにぎり屋」。農業一筋45年、有機米農家の挑戦