3年前、Emnmaは、マドラーとコースターしかありませんでした。さあこれから売っていこうとお酒をまろやかにしたり、飲みやすくしたりして、翌朝の感触が変わる。そうだ!夜のシーンや家飲みシーンのHPを作ろうと決めて、モデルを用意してクラブの撮影OKももらい。カメラマンとスタッフが先に名古屋入りした晩、あのダイヤモンドプリンセス号が日本に接岸して日本にコロナが上陸してしまった頃です。その時一本の電話。
予定していたバーが従業員のコロナ感染!保健所が入り、撮影が出来ない…との事でした。どうしよう…みんなが唖然となった。それから思いつく所、全てに電話をかけ、傳をたどり、バイオリンを習い始めたスタッフの一人がバイオリンの先生ならディナーショウされるから、いろんなバーやスタジオを知ってるかも?バイオリンの先生のご紹介の中の一件からやっとOKをもらえた。BARが前より良い場所で時間も本当に撮影したかった夕方でOK。ピンチがチャンスに変わった瞬間でした。苦労はしたけど前より条件が良くなり、価格もダウン。良い撮影ができることになった。でも試練はこれから、さあHP制作に移った頃、夜の商売が全て閉鎖。もう私の限界が来たと思いました。そんな頃、FBで情報を放ったら、HPをマーケティングと一緒に引き受けます。と言って下さる業者様が見つかり、HP制作へ、しかしプランを聞いてもピンと来なくて、マーケッターさんから提案が来ました。この振動で、還元のできるボトルは作れないか?という提案だった。確かに、コロナ禍Emmaも変化して行くときかもしれない。と思い、そこから、この私が企業様の力を借りて、京大の教授のアドバイスを受けながら科学実験漬けの毎日になるとは思いもしませんでした。これがEmmaボトルの誕生になります。ある意味コロナがなかったら、こんな素敵なボトルはできなかったかもです。