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ほんとの空の色を求めて。福島県大玉村で藍染めの「染め場とカフェ」をつくる!

私たち歓藍社(かんらんしゃ)は震災後、福島県大玉村の休耕地を活用した藍の栽培や染めをはじめました。畑仕事や藍染めといった共同作業を通じ、小さな技術による里山の生活風景の再考を試みています。藍づくりを始めて3年、この運動を発展させるための活動拠点「染め場とカフェ」建設のプロジェクトを立ち上げました。

現在の支援総額

1,013,000

33%

目標金額は3,000,000円

支援者数

86

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2018/04/25に募集を開始し、 86人の支援により 1,013,000円の資金を集め、 2018/06/30に募集を終了しました

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ほんとの空の色を求めて。福島県大玉村で藍染めの「染め場とカフェ」をつくる!

現在の支援総額

1,013,000

33%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数86

このプロジェクトは、2018/04/25に募集を開始し、 86人の支援により 1,013,000円の資金を集め、 2018/06/30に募集を終了しました

私たち歓藍社(かんらんしゃ)は震災後、福島県大玉村の休耕地を活用した藍の栽培や染めをはじめました。畑仕事や藍染めといった共同作業を通じ、小さな技術による里山の生活風景の再考を試みています。藍づくりを始めて3年、この運動を発展させるための活動拠点「染め場とカフェ」建設のプロジェクトを立ち上げました。

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智恵子は遠くを見ながら言ふ。

阿多多羅山の山の上に

毎日出てゐる青い空が

智恵子のほんとの空だといふ。

***

詩人、高村光太郎の『智恵子抄』中に収められた「あどけない話」という詩の一節です。智恵子は「東京に空が無い。阿多多羅山の上に広がる青い空がほんとの空だ」と言います。

阿多多羅山とは、現在の安達太良山のこと。大玉村を初めて訪れ、村を雄大に取り囲む安達太良山の連峰を眺めた時、この有名な詩の一節を思い出し、ここで「ほんとの空の色」をつくってみたいと思いました。

それから3年。わたしたちは、大玉村での藍の栽培や染めを通じ「ほんとの空の色」をつくることを試みています。

はじめまして、歓藍社のはしもとさゆりです。この度は、本プロジェクトに目をとめて頂き、ありがとうございます。まずは、私達のこと、これからやろうといていること、お伝えしたいと思います。

▼歓藍社(かんらんしゃ)とは

歓藍社は、畑仕事や藍染めといった共同作業を通じ、小さな技術による里山の生活風景の提案と実践を行うチームです。暮らしにまつわる様々な専門性を持ったメンバーが、日本各地から福島県大玉村に集まり活動しています。農家、生態学者、建築家、大工、服飾デザイナー、パン屋、焙煎家、グラフィックデザイナー、人形家、按摩師、お直し、チャイ屋、会社員、カメラマンと、詳しくは後述しますが、様々な人たちが有象無象に特技を持ち寄り、この運動を続けています。

▼「染め場とカフェ」をつくりたい

藍づくりを始めて3年。この運動を発展させるための活動拠点、「染め場とカフェ(仮称)」建設を決意し、このプロジェクトを立ち上げました。村の中から、福島の他のエリアから、都心部から、誰もが気軽に訪れて、染めや藍づくりのできる場所、大玉村での里山暮らしや風景を体感できる場所を作りたいと思っています。

▼  活動のきっかけ

発起人の一人である生態学者の林剛平が震災直後の2011年に、放射能の調査やボランティアで福島県大玉村を頻繁に訪れていたことがはじまりです。その中で、村で農業を営む野内彦太郎さんと出会い、この場所から震災後の福島の暮らしを再考しようとなりました。

 

▼福島県大玉村で藍を育ててみよう

大玉村は決して藍染めで有名な村ではありません。そこは豊かな土壌に澄んだ水が湧く、稲作が盛んな土地でした。しかし現在、東日本大震災に起因する原発事故や風評被害、農業従事者の高齢化や後継者不足といった農村の抱えている問題が加速し、人と畑、大地との繋がりが失われつつあります。

私たちの藍づくりは日本各地で藍を育てる人を訪ね、栽培方法や染料の作り方を学び、種を譲っていただくところからはじまりました。そして、村で荒地になっていた畑を耕し、藍の栽培をスタートさせました。

 

▼これまでの取り組み

①藍の栽培と染料づくり(藍づくり)

藍は比較的育てやすい植物と言われており、1年目から収穫に無事成功。現在では、畑の手入れや収穫といった活動を外部の方にも公開して行っています。およそ月に一度の活動には、福島の他のエリアや首都圏から、多くの方がお手伝いに集まってくれるようになりました。参加者には、藍の種のおすそ分けも実施しています。

 

②さまざまな藍染め

歓藍社では、“染めのある暮らしの風景”を模索しながら、様々な手法の藍染めを行っています。収穫したての生葉の染めや叩き染め、乾燥葉の染めなど、季節や技法、布などによって、いわゆる濃い“ジャパンブルー”以外にも、さまざまな藍色に染めることができます。また、新しい染めの道具や顔料の開発にも取り組んでいます。人形家、河原伸彦の考案による、大きなコンクリート皿と木の玉を利用した「ゴロゴロ染め」がそのひとつです。

③藍染め製品の販売や展示、お祭りの開催

藍で染めた布を利用した製品づくりや販売も行っています。自宅を増築し「せっちゃん工房」を開くなど長年意欲的にものづくりに携わってきた後藤節子さんを中心とした村の方々、東京の服飾デザイナーの渡辺未来が中心となり製品づくりを行い、パッケージのデザインは、主にグラフィックデザイナーの鈴木英怜那が担っています。出来上がった商品は、村の産直所や、都市部の百貨店や商業施設の催事などで販売しています。また、活動に賛同いただいた他団体とのコラボレーションによる商品開発も行っています。

また、歓藍社では1年に1度、藍の収穫期である夏に「大玉村の小さな藍まつり」を開催しています。昨年度は、藍染めワークショップやファッションショー、エンサイクロペディアシネマグラフィカ協力による上映会などが行われ、2日間で100名を超える方がご来場。脚本家、藤下彩によるテーマソング「おかあさん」も発表され、多くの方と藍染めの美しさやものづくりの喜びを共有する時間となりました。

▼この場所でつくりたい風景

歓藍社の活動は、この春3年目を迎えようとしています。これまでの活動は、彦太郎さんの旧母屋(通称、彦ハウス)を定期的にお借りして行って来ましたが、今年遂に常設となる活動拠点「染め場とカフェ」の整備を決意しました。

<染め場>

大きな藍甕(あいがめ)や作業台を設置し、藍染めをやりたい人や染めた布でものづくりを行いたい人が、気軽に訪れられる環境の整備を行います。

染めに不可欠な水は、この土地の井戸から汲んで室内外を小川のように流すことを計画しています。


(上記2枚のスケッチはいずれも河原伸彦作)

<カフェ>

隣の染め場の作業風景を眺めながらコーヒーを飲んだり、季節のお茶やおやつを食べたりできる場所です。東京で複数のカフェ立ち上げ経験のある、私、お直しデザイナーのはしもとさゆりが中心となり構想中。村の中で使われていなかった食器や家具など譲り受け、少しずつお直ししながら、オープン準備を進めています。

(上記のスケッチは佐藤研吾作)

飲み物には、焙煎家の須貝孝太が藍のタネ茶などのメニューを考案中。食べ物には、彦太郎さんの妻、芳子さんの柚子入り干し柿や紫蘇ジュースなども登場するかもしれません。また、山梨でパン屋見習い中の宮下成平も合流し、大玉村ならではのパンや焼き菓子の準備も少しずつ進めています。

<車座になれる部屋>

これまでの活動でそうしてきたように、みんなで大きな車座になって一緒に葉っぱこぎをしたり、お昼ご飯やお茶の時間にしたりできる、小上がりの空間を作ります。東向きに大きな開口を設けた村の田園風景が一望できるとても贅沢な部屋です。村の方を招いて、みんなで柄付けの針仕事を一緒に行ったり、広く外部の人を招いてワークショップをしたり、按摩師の渡邊崇徳による藍の薬湯を使ったリラクゼーションが受けられるスペースにも早変わりするかもしれません。

<物販やギャラリーのスペース>

歓藍社で作った製品や、大玉村や福島の近隣エリアなどで見つけてきたものを集めて販売します。また併設するギャラリースペースでは、藍染め作品の常設展示や、外部アーティストの企画展示を行います。歓藍社の活動の撮影を担う、写真家のコムラマイによる写真展も予定しています。

<木工所>

大工の青島雄大が中心となり、大玉村地産の木材を使って、施設の内装や造作家具、染めに使う型枠などの道具を制作していきます。また、将来的には木工所から、歓藍社らしい新たな商品が登場することでしょう。

 

▼「染め場とカフェ」づくりについて

ここからは、開設までのプロセスについて、説明します。一番大切な、場所と建物は、村でしばらく空き家だった平屋の民家を借りられることになりました。大玉村の田んぼや藍畑が一望できる、少し高台にあるこの建物を私たちはとても気に入っています。ここを少しずつ自分たちの手でお直ししながら、リノベーションをはじめています。

 

「染め場とカフェ」の整備に使用する木材は、なんと彦太郎さんの裏山から手配できることになりました。ここから少しずつ製材して、柱や床材などを切り出します。また、地元の方の取り計らいで、昨年切り倒さざるを得なくなってしまった、樹齢350年超と言われる赤松の木を譲り受けることができました。村の人が代々大事にしてきた木です。大玉村のこれからの風景を作る場所にしっかりと納めなければならないと、大事なバトンを受け取ったなと感じています。

 

設計に関して、中心となるのは、歓藍社発起人の一人でもある建築家の佐藤研吾です。東京のアート複合施設『BUoY』のデザインを手がけるなど、一見奇抜そうでいて不思議と落ち着く空間づくりに定評があります。

▼今回の資金について

このように、場所や建物、整備のための設計や必要な木材の調達についてはある程度目処が立ちつつあります。その上で、今回Campfireを通じてご支援頂く資金を元に、内装の設え、染め場の水廻りや土間、カフェの厨房や暖房設備を整備したいと思っています。

もしも、募集金額を上回った場合は、カフェ前の庭の整備や、客席設備の拡充の費用にさせていただきます。  

▼最後に

2年前、発起人の林と佐藤が「大玉村で藍を育てて、藍染めをはじめたい」と相談したとき、彦太郎さんは「色があるっていうのは、美しいからいいなあ」と、藍畑作りに賛同してくれました。そして、藍づくりをはじめた大玉村には、これまで紹介したようなたくさんの人が、村の内外から集まるようになりました。

去年から自分の畑でも藍の栽培をはじめた伊藤浩子さんはこう話しています。「初めて染めた時は、本当に感動しました。材料の分量や手順を覚えて何度か染めを繰り返していたら、柄を考えて柄付けするのが楽しくて虜になってしまいました。」「『この楽しさを近所の女性にもぜひ伝えたい』。それが前から脳裏にあった新たな集いの場作りの契機になればと、皆が集まりやすい集会所を会場に、藍の乾燥葉染め体験をやってみました。」浩子さんは今年、自分で育てた藍の葉を使った染めのワークショップを集落の女性向けに開催しはじめました。そしてそこから、絞り染めの柄づけに協力してくださる方、新たに藍の栽培を行ってくれる方などが現れ、藍づくりの輪が少しずつ広がっていることを実感しています。

今回拠点を作ることで、もっとたくさんの人に藍づくりの輪に加わってもらいたい。そして、藍づくりで盛り上がる大玉村に、多くの人が訪れ、一緒にものづくりの悦びを体感できる場所をつくりたい。今、少しずつ盛り上がりを見せているこの藍づくりの輪を、ここで大きく回転させるため「染め場とカフェ」づくりに、ご支援いただけたら幸いです。

また、歓藍社では、定期的に公開活動を行っているほか、染め場づくりの整備のお手伝いや、この運動の担い手となる新たなメンバーも随時募集しています。詳しくは、ぜひHPをのぞいてみてください。(特に、商品販売や経理、裏方的なサポートに強い方など登場を切望しています)

以上、長くなりましたが、最後までお読みいただき、ありがとうございました。ぜひ、大玉村に「ほんとの空の色」を見にいらしてください!

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