【はじめに】
この度はこのページまで来ていただきありがとうございます。まずはじめに代表の甥である私からどんな会社だったのかご説明させていただき、昨年の火災の詳細、現在の動き、再建に向けての今後の取り組みなどを記載させていただきます。
目次
①【木香家-富士室内工芸株式会社の歴史】
②【2023年7月16日火災発生】
③【翌日の現場検証】
④【工場の解体を決断】
⑤【火事、工場解体後の社内実情】
⑥【本気で再建を目指す二人(甥,姪)の覚悟】
⑦【リターン品について】
⑧【ご支援いただいた資金の使い道】
⑨【今後の思いや決定事項】
最後までご覧になっていただければ幸いです。
①【木香家-富士室内工芸株式会社の歴史】
「富士室内工芸株式会社」は昭和45年2月12日、東京都板橋区宮本町で設立創業されました。創業者は私の祖父で、洋家具を製作する親方の元で20年程修行を積み開業。開業当初は”家具や木工に関するものを修理”するところからスタートしたそうです。
(開業当時の写真)
そして現在の代表である叔父も木工家具に関する修行をしたのち富士室内工芸の”番頭”となり約15年前に祖父から叔父へ会社を引き継がれたと聞いています。その頃には会社全体の人数は15名ほどに増え新しい工場を構え、オーダーでの木工家具製作やショーケースの作製、木のお皿や小物と多岐にわたり家具職人が腕を振るう日々が続いていました。
(実際の木工製作品)
当時、幼いながら私が工場に行くと祖父や叔父、職人さん達が木工で作ったおもちゃをプレゼントしてくれ遊んでいました。その頃の工場の匂いや木の香りは今でも忘れられません。少し大きくなると、卓球台を作ってくれたり、自由研究の課題で木工作品を作ると言った時には祖父が全て仕上げてくれたのも素敵な思い出です。
②【2023年7月16日火災発生】
そんな先祖代々受け継がれてきた木工家具屋に悲劇が起こりました。
それは丁度、私(甥)が家族に結婚報告をするの夕食の席。工場の近所の方から一本の電話。
「工場から火が上がって燃えている」
すぐにタクシーで向かうと工場は煙と火がすごい状態。通報してくれた近所の方と警察、消防、救急、周りには大勢の人だかり。すぐに消防の方と現状や中の状態の確認。(工場内の導線や木材がどれくらいあるのか)
3時間の消化活動の末ようやく鎮火。火災発生時のネットニュース
③【翌日の現場検証】
翌日、消防の方と現場検証を行い火災の原因や状況の確認を行いました。原因はコンデンサ(大きな機械を動かすため電気を溜めておく機械)の老朽化による出火で、工場は全焼。木材もほぼ全て燃え、機械類も火や消火による水で壊れ、職人の手工具や図面、作成途中の製品など何もかもが無くなりました。
本当に全てが無くなりました。
弊社は、先代が栃木から上京後、1970年(昭和45年)に創業以来、54年間、ここ板橋区で皆様と時を刻んで参りました。社名である"富士室内工芸"は、以前、工場の2階から富士山が見えたことが由来していると聞いています。先代が養育費も掛かりながら大きな借金をして建てた工場。半世紀が経っても調子良く動いていた数々の機械。職人が大切にしてきた手工具。そしてこの工場で生まれた数々の思い出。一瞬にして無くなってしました。
火災現場を見た叔父はただ茫然と立ち尽くし、燃える工場を見つめるだけ。
その時の心境は測りきれません。職人達も駆けつけてくれ中の状況や動線などを消防の方に共有してくれていました。
④【工場の解体を決断】
今のご時世、音の出る木工場を新たに借りることもできず、職人たちは大好きなモノづくりさえ出来ない日々が続きました。その中でも、何とか富士室内や木香家の技術を待っていただいているお客様や従業員のため模索し続けましたが、火事で全焼した工場を修復することは不可能という判断に至り、悔しくも工場を解体することを決断しました。
⑤【火事、工場解体後の社内実情は大変でした】
火事前は、職人5名が在籍していましたが、思うように工場が見つからず先が見えない状況が続きました。全員で何度も話し合い今後の方針などを協議しましたが体制が整っていない中ではご依頼を受けられず、満足にモノづくりのできない状況もあり長年一緒に働いてきた2名が退職することになりました。現在は所有している倉庫を工場として使用することに決定し、少しずつ動き出しています。
⑥【本気で再建を目指す二人(甥,姪)の覚悟】
火事と工場の解体により身も心も会社も弱っていく中で、その現状を知った私たち親族2人は本気で再建していくと懇願し参画させていただけることになりました。私たちからすると先代であるおじいちゃんの会社であり、現在は私叔父の会社です。
甥:直樹
当たり前にあったものづくりの工場。祖父の背中。家具。従業員の諸先輩方。全てが一夜にして変わりました。火事の中叔父駆けつけ、そう間もないタイミングで従業員の皆さまが駆けつけてくれました。違う道を選ぶ方もいる中。『どうせ何もしないで終わるなら、最後までやり切らせてほしい。』との一言をいただいた瞬間から、建て直す。以外の考えはいたりませんでした。叔父、従業員、今までの歴史、お客さま、富士室内工芸を絶対に再建して見せます。若輩者ではございますが、よろしくお願い申し上げます。
姪:玲苗
幼稚園帰りに工場に寄り、紙でアイスクリーム屋さんごっこをしたり、晦日に卓球大会を楽しませてもらったり、座敷の柱には身長を記してもらったりと成長とともに様々な思い出があります。そしていつの時代も変わらないあたたかな木の香りや大きな機械の音、振動…いつからか半世紀も続く会社を終わらせて欲しくない、終わらせたくないという気持ちが芽生え、火事をきっかけにその想いがより強くなりました。多くの方に職人さんの技術が詰まったモノたちをお届けできるよう早期再建を目指します。未熟者ですが、鋭意努力いたしますのでよろしくお願い申し上げます。
⑦【リターン品について】
全て弊社の職人が木材にこだわり時間を掛け1つ1つ丁寧に作り上げた木工品です。大きな機械が使えなくなり手作業で作れるものが多いですがその品質は本物です。是非手にとって使っていただければ幸いです。
※今後受注分の【写真立て】は、オイル仕上げのものを発送させていただきます。漆塗りから変更となり恐縮ですが、ご理解ご了承を賜りますようお願い申し上げます。
※【コースター斜線(3枚セット)】は、神代杉、屋久杉、キハダ、欅、栗で作製しております。在庫に限りがあり、ランダムでお届けいたします。
また”無垢一枚板テーブル”と”仏壇”についてですが、
”無垢一枚板テーブル”は倉庫に保管してた木材の中から選んだ3枚です。注文が入り次第作成に取り掛かりますのでサイズなのにご要望がございましたら備考欄からご連絡くださいませ。
”仏壇”についてですが、こちらは新しく始める試みです。
なぜ仏壇を選んだのか?
私の父であり、代表の実の弟が2020年に他界しました。代表が弟に向けて魂を入れて仏壇を作成し、知人からも作成依頼を受けたことが決め手となりました。大きな仏壇の置き場がない方、新居や老人ホームなどへ引っ越す方の生活に馴染むような大きさに仕上げており、コンパクト仏壇とミニ仏壇の2種類を作成しました。
・コンパクト仏壇
→収納可能な台が付いているため、コンパクトながら多様な使い方ができます。
・ミニ仏壇
→一般的な観音開きではないため、朝晩の日課に取り入れることできる仕様となっております。
⑧【ご支援いただいた資金の使い道】
・火事で無くなった機械、職人の手工具などの購入
・新しい工場への資金
・職人への賃金の支払い
・その他燃えて無くなってしまった備品類
⑨【最後に】
最後になりましたが、私たち兄妹が参画することで逆に大変になったり辛い状況が続いたりするかもしれないという不安はありました。ですが、産まれた時からあったおじいちゃんの会社を無くしたくないです。そして日本でここまで続く木工家具屋もそう多くありません。そんな思い出と日本の木工技術が詰まった富士室内工芸を再建させてみせます。またこの木工技術も日本を超え世界に届けたいとも思っています。それは私たちにしかできないことです。その為には少しでも多くの皆様のご支援が必要です。どうか、ご支援のほどよろしくお願いいたします。
※本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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