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永瀨清子生家の浴室棟は「棟」と呼ぶ、つまり母屋からも離れからも独立した小さな小屋で中庭に面して建てられています。面積も些少で独立しているという理由で登記簿謄本にもその存在は記載されておりません。
先のファイナル改修では資金が尽きてしまい、今日まで骸を晒したまま在りました。
1.32メートル×2.51メートル 柱は6センチ角と実に華奢、洗い場のタイル張り蒼いアラベスク模様、引き違いの中連窓が2つ並んでおり、上部には回転式の湿気抜きの窓が3ヶ所設けられています。
すっかり錆び付いてしまった風呂釜に入ると中庭があたかもひとつの桃源郷のように眺められ、それはそれは風流な設えなのです。
この風呂は年代的に見て永瀨清子の祖父の源作の代に築かれたものに違いありません。源作おじいさんは呉服屋として山陰にまで販路を持ち、手広く商売をしていました。襖の下張りの反古紙の書付を解読した古文書の先生は「こりゃ早死にしなければ天満屋(当地で一番の百貨店)より大店だったかもしれないね」と。
そんな祖先の羽振りよき時代の風呂に永瀨清子はどんな気持ちで入っていたのか、それを知る資料は見つかっていません。でも薪をくべ、風呂を焚く時「私の詩よ、あなたの中でも薪となれ」と呪文を唱えていたに違いないと思うのです。
人が命を燃やすための燃料になるような詩を身を削ってでも書きたいという永瀨の詩人としての鬼気迫る矜持を皆さまのお力をお借りして、五右衛門風呂と共に甦らせたいと切望しております。どうかご支援お願いいたします。
NPO法人永瀨清子生家保存会 理事長 横田都志子