本業を通じて社会課題を解消しようという志を持つ経営者の集まりである『経営実践研究会』という組織に参加しています。
会員の皆さまは、志の高い方ばかりで、他の会員の方のお話を聴く度に、自分はまだまだだなぁ〜と思えます。そんな方々が集まる学びの場へ参加し、その後の懇親会で、クラウドファンディングの内容を発表する機会をいただきました。
クラファンの本文は、読みやすくするために短めにしていました。ただ、どうしても伝えたい想いが1点残っていて、活動報告で記すつもりでおりました。
先日のプレゼンでは、そのことも強調させていただき、さらに、仲間の皆さんに共感いただけたことが、何より嬉しくて、感謝でいっぱいになりました。
それは、
娘のような『重度といわれる障害者は、社会で何も役に立たない』と言われる発信について。
何をどう思っていても良いし、障害当事者や家族が傷つくであろうことをわかっていて発信している方は、何か理由があるはずで、逆に、しんどい事を抱えておられるのかもしれない。
けれど、
『役に立たなくても良いじゃないか〜』
と優しく反論してくださっていた方々へも、お伝えしたいと思っていたことが、ずっとあって…
それは、
『この世で、役に立っていない人なんて、ひとりもいない。』
『どんな人も(病院のベッドで寝たきりの人も)必ず誰かの役に立っている。』
ということ。
例えば、重度の障害のある方々には、手をとられることが多い。
けれど、その人達と過ごしていると癒やされることも多ければ、自分の中にある様々な固定観念が壊されていく。
表裏なく自分の気持ちのままに生きている姿から、自分の生き方を見直すきっかけを頂く。
たまに、誰かの救いにもなっている。
言葉を使えないからこそ、彼女達は、言葉に頼らない。
言葉で人を傷付けることもしない。
言葉に頼らないからこそ、心で嘘をついていると、簡単に見破られる。
だから、こちらも正直に生きるしかなくなる。
そして、周りの子ども達と共に過ごしていると、いつの間にか周りの大人の意識を変えていることに驚く。
だからこそ、障害の有無は関係なく共に過ごすことがとても大切で、『生』を受けた時から、この社会で役割が与えられているのだと思う。
世界から見れば、支援学校は差別であると言われてしまうことが、私にはよく分かる。
けれど、障害児の親は、今の日本の教育では、地域の学校へ行かせにくいし、遠慮もしてしまう。
そのことを、私はなんとかしたくて、インクルーシブな学校へ、インクルーシブな社会へ変えたいのです。
このプロジェクトだけで、大きな変革は出来ないかもしれませんが、これからも、私の出来ることは、何でもする!という気持ちで、突き進んでいきます。
どうか、今後共、応援をよろしくお願い致します。