2023年がまもなく終わろうとしている。
今年は本当に激動の年だった。
たくさんの仕事を興し、自分が作りたい世界観の実現に向けてあがき、また沢山周りの人に迷惑をかけ、ご協力いただきながらなんとか生き抜いたというのが正直な感想だ。
その中でも特に印象深かったのがチャンス鍼灸院の開業だった。
院長のゆうすけとは小学校1年生からのクラスメートだ。
入学してすぐに仲良くなり、ほぼ毎日のように遊んでいた。
トイレでシケモクを吸ったり、駐輪場に捨てられている大量のエロ本を見て興奮したり、かっぱらってきた消火器を公園でぶっ放したりするどうしようもない小学校時代を過ごしたな。
中学も一緒だったが、恐らく小学校から申し送りがあったんだろう、三年間一度も同じクラスにはならなかった。でも、同じ塾に通っていたのでほぼ毎日顔を合わせていたな。
いつも一緒にチャリで通学し、帰りに一本百円の焼き鳥を食い、公衆電話の中でロケット花火を射ったりしてたな。相変わらずどうしようもない。
高校からは別々の学校だったが、それでも大晦日は一緒に過ごして地元の神社で二年参りに行って振る舞い酒で潰れて公園で凍死しかけたりしたな。
ゆうすけが大怪我をしたとき、お前もラグビーやれよ!って誘った俺は複雑な心境だったよ。
コンタクトスポーツをやる以上、自分は大怪我は覚悟してやっていたが、まさか親友が運動できなくなるほどの怪我をしてしまうとは。
スポーツ推薦だったゆうすけはだいぶそれで人生が変わってしまっただろう。
お前がした苦労や苦悩は相当のものだっただろう。
だが、そんな愚痴は一度も俺に聞かせることなく、会ったときはいつも明るく、アホで、女に弱くて、よく飯を食ういつものゆうすけだったな。
大学卒業後、就職せずに鍼灸の学校通っていたこと。
みんなが働き出す中で違う動きをすることは相当勇気がいることだっただろう。
でも、自分が救われた体験を多くの人に届けたいという志を持って学び続けたのはとても立派だったと思う。
また、就職後も真面目に仕事をし続け、早い段階で院長になったな。
それでも進化することを止めず、学術書を買い込み、毎日やってくるお客さんに真摯に向き合った結果、誰にも真似することのできない技術を獲得したよな。
長く通ってる俺はその変化を感じるのが楽しみだったよ。
また、どんな患者さんにも優しく向き合って話を聞く姿勢で多くの患者さんに信頼されてるよな。
ゆうすけがコツコツと積み上げた16年。
俺はどうしてもお前と一緒に仕事がしたかったんだ。
勤め人も悪くないけど、ゆうすけの本当にやりたいことを提供できる空間をつくったら、もっともっと救われる人は増えるし、その能力に見合った報酬を得てほしかった。
お前が飛躍する瞬間を一緒に味わいたいんだよな。
昨日、年内最終営業が終わったあと一緒に飯食いに行ったよな。
その時お前が「恐かったけど独立してよかった、今毎日がすごく楽しい」って言っていたの、すごく嬉しかったよ。
もちろん独立はリスクが伴う。
お前の親も嫁も娘もよく知ってる。
みんなを不幸にするわけには行かないよな。
俺も一緒に頑張るから、絶対成功させような。
一生俺の体のメンテナンスしてくれよな。
お前がいるから俺は無茶な生活でも頑張れるぜ。
よろしく頼むぜ、親友。