初めまして。2024年3月に株式会社KINDACEを設立予定の藪下と申します。この度は当プロジェクトを閲覧して頂きまして誠にありがとうございます。私は20歳から24歳までの4年間消防職員としてた勤務してきました。その後、介護士に転職し現在27歳で今にあたります。
介護って聞くと高齢者の方ってイメージを持つ方が多いかもしれませんが介護を必要としてる方は老若男女問わずなのが現状です。実際、事故や病気等により自分がいつ介護による支援が必要となるか私も皆様もわからないです。元消防士で人命救助のプロフェッショナルなるである私が今度は違う形でより多くの方の生活のレスキューができればと思いこのプロジェクトを企画し初めてのクラウドファンディングに挑戦致します。
現在、日本で介護を必要する人は約682万人、障害のある方は約930万人
2023年現在日本の人口の30%約3人に1人3600万人の高齢者の方がおられます。
さらに20年後にはさらに5%約300万人が増えると予想されています。私はこのプロジェクトを通してより多くの人の生活の手助けができ1人1人に生きがいを感じて頂きたく自立を支援します。
身寄りのいない方
家族が遠方でなかなか疎遠になっておられる方
介護を必要としている方
家族の介護負担を軽減したい方
様々な形を見てきました。
介護士時代、高齢化の方から、『兄ちゃん若いうちにいろんな所に出かけときや!歳取ったら行きたくてもどこもいけへんねや、家族にも頼れへんし、テレビ見るしか時間潰す暇ないわ。』という声をよく聞きます。
日本では介護保険制度という仕組みがあります。しかし、介護保険ではできること、できないことの区別がありできないことが多くあります。また、介護の保険内では決まった日にち時間でしか支援できず中には介護負担が介護保険内では足りていない方がおられるのも現状です。
私はその声を形に変えます。
具体的支援として
・旅行支援
・嗜好品買い物同行及び代行
・外出支援
・ハウスクリーニング
・引っ越しのお手伝い
・家財処分
・生前整理
・その他ご要望
・もちろん介護保険内のご要望もサポート
上記の支援をすることにより、高齢者の生きがいを1人でも多く感じて頂き自立ある生活を支援します。
和歌山県東牟婁郡には
世界遺産那智の滝
生鮮マグロの水揚げ日本一
近代マグロの水産研究所
熊野古道
日本初の民間ロケットカイロス射場
と自然の美しさや伝統文化、美味しい食べ物など、魅力溢れる町です。
しかし、約人口6万人(隣接の新宮市含む)のうち約2人に1人(45%)が高齢者。これからさらに若者は都市部へ進出し高齢者だけが増加する可能性が高い状況です。都会に比べて元気な方が比較的多いですが田舎ということもあり徒歩圏内での行動に難があるのが特徴です。また、福祉施設及び、事業所数が少なく担い手の人員不足なのが現状です。今の状況を打破するべく私の第2の故郷である和歌山県東牟婁郡の介護を通して街を盛り上げていきたいと思います。
【5,000円】
支援して頂いた方にお礼のメールを
送らせていただきます。
【10,000円】
支援して頂いた方1人1人にお礼のお手紙を送らせていただきます。【30,000円】
SNS(TIKTOK)にてご支援して頂いた方に対してお礼のショート動画をあげます。宣伝してほしいことなど等あれば備考欄に記入の方よろしくお願いします。
TikTokアカウント @kindace0420
【10,000円】
支援して頂いた方1人1人にお礼のメールを送らせていただき那智勝浦町、串本町の特産品を送らせていただきます。※写真は例です。
【50,000円】
支援して頂いた方1人1人にお礼のお手紙を送らせていただき那智勝浦町、串本町の特産品の詰め合わせ送らせていただきます。※写真は例です。
【150,000円】
支援して頂いた方1人1人にお礼のお手紙を送らせていただき弊社が持つの名刺の裏に支援を頂いた企業名、店舗名、個人(希望者)を協賛として事業が続く限り掲載させていただきます。
1月
資金調達
資料作成及び宣伝広告
2月
宣伝広告
営業活動
必要備品の準備及び発注
3月
法人手続き
プレオープン
4月
サービス開始
リターン制作
※おおまかなスケジュールのため多少の前後があります。
資金の使い道
設備費:約110万円 必要物品、福祉車両
広報費:約10万円
リターン費用:約20万円
※多少の数字のずれはあります。
〜学生時代〜
小中高と学生時代は野球に打ち込む毎日であり高校時代はスポーツ推薦で他府県の学校で野球漬けの毎日を過ごしており勉強とは無縁というよりかは苦手意識を持っていました。
高校卒業後、15歳の頃から知人の親が消防士ということの憧れと人のために何かしたいという思いから本格的に消防士になる!と決意し高校野球引退後地元の消防試験に受験するも勉強と無縁の生活のため当然一次試験不合格という形となり法律専門学校へ進学。
そして人生で初めて今まで避けてきた勉強と向き合う日々となり、毎日授業終了後22時前後まで居残り自習し、学業に励むようになり同じ夢を持ったたくさんの仲間に出会いました。
学年で実質公務員の夢を叶えたのは2割程度の中2年にわたる猛勉強の末、私を含め共に学業に励んだ半分のメンバーが公務員試験合格の切符を手にしました。
〜消防時代〜
専門学校卒業後、大阪の南河内の消防署にて勤務。大阪府下でも有名な軍隊のような消防署でした。毎朝の体力錬成、午後からの消防資機材訓練、深夜の筋トレと訓練訓練の日々でした。学生時代から野球をしていたため、体力には自信があり、消防学校時も1500メートル走1位だった私でしたが所属配属後、何回白目をむいたことかわからないです笑
1年の消防隊勤務を終えた後、憧れであったレスキュー隊に兼任で着任。
〜消防士から介護士へ〜
消防勤務にも慣れた頃、今後の人生に考える機会に出会いました。世間から見れば安定した堅い仕事ではあるが公務員という立場である以上仕事をしようがしなかろうが安定した給料をもらえ年功を重ねるに連れある程度の給与や立ち位置が可視化できやりがいの無さを感じていました。男に産まれたからには何か成し遂げたい社会貢献したい。僕ならできる!とあったのは根拠のない夢と自信でした。かといえ当時の私は24歳社会経験もほぼ無くどうすれば良いのかわからない状況でありました。
そこで休みの日を利用し知り合いに片っ端から連絡していろんな大人や会社の社長に話を聞きに出向き様々なアドバイスを得ました。そして1人の訪問介護の会社の代表と出会いました。話を聞いていくうちに母親がケアマネということと祖母の件も重なっていたこともあり介護に興味を持ち始めました。
消防時代たくさんの高齢者の孤独死や緊急事案に出動していく中で第三者がいればこのようなことはなかったのかもしれないと考える日々が増え、社長に『私、消防やめてきました。僕に介護をビジネスを教えてください』と直談判しに行きました。
周りからはやめとけ、勿体なさすぎると何度言われたかはわかりません。両親にも相談した所『自分の人生悔いのないように生きなさい』と強く念を押してくれ絶対に周りにあの時の決断は間違っていなかったと背水の陣で転職を決意しました。
〜怒涛の介護士時代〜
2021年1月1日より社長の元で修行のような日々が始まりました。
週6日朝9時に出勤し帰宅するのは早くて23時の日々。唯一の休みの日は介護資格取得のため学校に。毎日何か一つでも吸収しようと必死の日々でした。日中は施設入居の営業で大阪中の病院や老健に営業。施設に帰宅後、管理者の補助業務に現場の補助。体がいくつあっても足りないなと感じながら疲労困憊の日々でした。
転職し3ヶ月が過ぎた頃、毎日、介護の仕組みや法令関係を勉強してた私は会社のやり方に疑問を感じていました。利用者に対する接遇面や、不正行為などなど。
営利法人である以上、営利を追求するのは当然のこと。しかし、何事にもルールがあるし、やっていることは完全に黒なのではと。日中入居営業をしてた私が他人にここの施設を胸張って紹介できないと思ったのです。社長に自分から頭を下げて教えてくださいと申し上げましたが私が学びたかったのはこんなことじゃないと会社の方向性の違いを訴えました。
気がつけば日を周り朝方になっていましたが私の意思は変わらず、結局退職という形をとりました。退職後、唯一の休みで通っていた介護の資格で仲良くなったパートの若い男に僕の会社に経営戦略部って部署があるんですけど藪下君の学びたいことが学べるのではないですか?と話を頂きました。半信半疑の気持ちで面接を受けてみると2時間に及ぶ面接。内心『話長いな〜』と思っていました(笑)しかし、自分が目指してる、やりたいと思っていた職務内容でした。介護歴3ヶ月の私を採用してくれた当時の課長には感謝致します。
ここで第2の介護人生をスタートしました。
部署には私を含め4名。私以外は介護歴20年近くで大手企業で役員してたY部長
社会福祉法人で事務局長していたY課長
医療法人や株式会社で総務課や管理職をしていたMさん。
いわば介護のスペシャリストばかりでした。
そんな中にひょこんと私が入り自分でもよく受かったなと思いました(笑)
会社の成長スピードを早くここで様々な経験を積ませてもらい怒涛のように成長していきました。多忙に変わりはありませんでしたが、感じたことのない仕事のやりがい。介護の楽しさを実感しました。
若いってこともあり私よりも年上の施設長や介護職員方々をまとめるのは大変でしたが自分が背中で引っ張ること。結果で成果を出し続けることで信頼をつかんできた自負はあります。
経営戦略部に拝命され一年後、介護運営部エリアマネージャーに人事異動となりました。と言うのも経営戦略部が解散となったからです。
理由としてY部長がグループ子会社の代表取締役にY課長がグループ子会社の統括部長になったことです。
介護エリアマネージャーに拝命され経営戦略部を解散となり、私にとってまた更なる試練が始まりました。
その後、デイサービスでの勤務や個人事業主として老人ホーム紹介事業を行い今に至ります。
ここでは書ききれないほどの挫折や経験がありましたが長くなるので割愛させて頂きます。
介護を通して1人でも、生きがいを長く感じて頂き日本の高齢化社会をポジティブに捉えていけるようにしていけるにしていきたい。
まだまだ若輩者ではありますが、これからも多くのことに挑戦し福祉の仕事を通して、出逢った人々がみんな幸せになり人に優しい会社を作っていきたいと思っております。
どうかご支援のほどよろしくお願い致します。
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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