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【K-POPでBillboard Hot 100に入る】〜僕を韓国へ連れてって〜

「K-POP練習生 7年目」の僕がbillboard HOT 100へのチャートインを目標に、韓国での活動費用を集めたくクラウドファンディングを立ち上げました。

現在の支援総額

19,000

0%

目標金額は3,000,000円

支援者数

7

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/01/31に募集を開始し、 7人の支援により 19,000円の資金を集め、 2024/02/29に募集を終了しました

エンタメ領域特化型クラファン

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現在の支援総額

19,000

0%達成

終了

目標金額3,000,000

支援者数7

このプロジェクトは、2024/01/31に募集を開始し、 7人の支援により 19,000円の資金を集め、 2024/02/29に募集を終了しました

「K-POP練習生 7年目」の僕がbillboard HOT 100へのチャートインを目標に、韓国での活動費用を集めたくクラウドファンディングを立ち上げました。

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の付いた活動報告

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アイドルが夢になったキッカケアイドルを志すキッカケとなったのは、2007年(当時9歳)の頃に遡ります。当時、嵐の二宮和也さん主演の「山田太郎ものがたり」を毎週楽しみに観ていました。当時は子どもで「アイドル」という職業の認識がまだありませんでしたが、Mステでドラマ主題歌を歌う嵐を観て「え?! 山田太郎、歌上手いの!え⁈ダンスもできるの⁈え⁈隣の櫻井くんも同じグループなの⁈え⁈同じグループに道明寺司もいるんだけど!」と子どもながらに衝撃を受けたのを覚えています。それから、中学1年生の頃にニノに憧れ、嵐の所属する事務所へ履歴書を送ります。結果は書類審査通過でした。内容は都内のNHKのスタジオでダンスを披露するという内容でした。しかし、「オーディションだけで旅費をかけること」「合格した場合の生活」「芸能活動をすること」などの面で親からの反対があり、オーディションに参加することができませんでした。当時は今よりもアイドルのデビュー年齢が若かったため、「高校を卒業して沖縄を出れた頃には18歳」という現実を突きつけられ、アイドルという夢に蓋をして別の何かを探す人生を送っていました。K-POPアイドルを目指す理由大学2年生の頃、韓国留学で約半年間の学生生活を韓国で過ごしました。当時、2017年に韓国のサバイバルオーディション番組「PRODUCE 101 SEASON2」を観て、10年蓋をしていたアイドルになりたいという夢を本気で行動に起こそうと決意しました。番組の内容は、様々な芸能プロダクションに所属する事務所の異なるアイドル練習生101人が課題やステージをこなし、その姿を視聴者が評価して投票で最後まで勝ち抜いた11人が期間限定のアイドルグループ「Wanna One」としてデビューできるという番組です。101人の練習生の実力はさまざまで歌やダンスが未熟な人も参加しておりました。夢に対しての想いはとても大きいのに自身の力が足りない方や、実力があっても思うようにいかないことに葛藤する姿を見て「僕はまだこの段階にも立てていないまま10年間一歩目を踏み出せていなかったんだ」と感じました。これまで長い期間大きい気持ちを抑え込んでやってこなかったことに自分の中で大爆発を起こしました。早く大学を辞めてこれをやらなければいけないと夢というより欲望のような感情でいっぱいになり、今日という日までアイドルを夢見た9歳の頃から18年間という歳月を経て冷めることのない欲望を抱き続けています。アイドルにとっての18年は凄く凄く長くて貴重な期間です。世代や流行が目まぐるしく変化していきます。気づけば、画面越しに観ていたアイドルは大人の人たちから同世代が出始め、もう年下の子たちが席巻している状況です。ですが、僕は興奮しています。ここまで出てこなかった人間が、これまでにないルートで急に頭角を表し、圧倒的な存在になったら面白いんじゃないかと思っています。目立ちたいです。普通に適正年齢でデビューできた人たちと比べて、そこでまず注目してもらえます。また、前例のない手法で掴んだストーリーにも注目されます。俺は絶対に成功します。