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能登半島地震で崩壊した窯を再建して、古代焼きを後世に残したい。

【災害支援】能登半島地震で崩壊した窯を新たな地・金沢に再建して、古代焼きを後世に残したくこのプロジェクトを立ち上げました。輪島の伝統を残すためどうかどうかご支援よろしくお願いします。

現在の支援総額

413,500

10%

目標金額は4,000,000円

支援者数

29

募集終了まで残り

終了

このプロジェクトは、2024/01/23に募集を開始し、 29人の支援により 413,500円の資金を集め、 2024/03/15に募集を終了しました

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現在の支援総額

413,500

10%達成

終了

目標金額4,000,000

支援者数29

このプロジェクトは、2024/01/23に募集を開始し、 29人の支援により 413,500円の資金を集め、 2024/03/15に募集を終了しました

【災害支援】能登半島地震で崩壊した窯を新たな地・金沢に再建して、古代焼きを後世に残したくこのプロジェクトを立ち上げました。輪島の伝統を残すためどうかどうかご支援よろしくお願いします。

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はじめまして。

私は石川県・輪島で44年、陶芸家として活動している北濱 珠龍(82)と申します。この度の能登半島地震で崩壊してしまった龍清窯を再建したいと思い、このプロジェクトを立ち上げました。


崩壊前の窯

崩壊後の窯


能登半島地震で崩壊した龍清窯を金沢で再建して、古代焼きを後世に残したいと思っています。

古代焼きは、私が輪島で20年間、輪島市三井町洲衛(すえ)地区で古代陶磁器である須恵器の歴史を研究し続けてやっと創出することができた焼き物です。

この先も創作活動を続けていくには崩壊してしまった窯を再建しなければなりません。どうか、輪島の伝統を残すプロジェクトのご支援をよろしくお願いいたします。


私はこのプロジェクトを実施するにあたり、ある決意を致しました。

これまで輪島に築窯をし44年間、この地で研究と創作を営んできました。その集大成が、昨年日本新工芸展、石川県現代美術展などで入選を果たしたばかりの「古代焼き」です。

しかしながら、輪島の状況を考えると、復興まではかなりの時間がかかるでしょう。

「もう輪島の窯の復元は無理かもしれない・・」

「残された時間で古代焼きの作品を作り続け、少しでも多くの作品を後世に残していきたい」

そう思い、今後は輪島を離れ、新たに金沢教室の裏庭に陶芸窯を設置する決意をいたしました。

龍清窯の向かいにある海岸、地盤が隆起し海底が剥き出しに露出状態

輪島は水道も通っておらず、数百メートル先の道路は崩壊し道路は封鎖され、私がいる地区は800人ほどが孤立している状況でした。

毎日自衛隊の方が水や物資をリュックに背負い徒歩で届けてくれており、水道の修理が終えるのはゴールデンウィークの頃になるかもしれないという情報もあります。

1月下旬、私はやっと金沢の避難所に移動する決心に至り、今は避難所暮らしをしています。


私は、国宝井戸茶碗 喜左衛門の影響を強く受け、輪島市光浦町で穴窯を築窯、萩焼粉引き手や白釉の茶陶を作陶しています。

【 実績 】
日本陶芸展、日本綜合美術展、一水会陶芸展、陶光会全国展、日本新工芸展入選。


新宿小田急、池袋東武、渋谷東横、玉川高島屋、横浜高島屋、大阪梅田阪急、大阪心斎橋大丸、旭川丸井今井、金沢大和、富山大和などで個展を開催。



1980年にこの地に築窯以来、輪島で陶芸家として活動し、能登の土、陶器、窯を研究してきました。関わったなかで最も大きなプロジェクトは、石川県の招請で携わった「能登空港の開港」に伴った洲衛(すえ)地区の須恵器の復興です。

能登空港や周辺の輪島市三井町洲洲衛(すえ)地区では、空港開港前の工事にて9世紀頃の須恵器の壺、そして窯や窯跡が数千基も発掘されました。

私は自分の龍清窯を離れ、2004年〜2014年の10年にわたり、すえ地区で発掘された須恵器の復元に取り組みました。

須恵器とは?

陶芸や考古学の世界では、およそ1,600年前の古墳時代中期から平安時代にかけて生産された陶質の土器を須恵器(すえき)と呼んでいます。須恵器は5世紀に朝鮮から大阪堺市のすえに最初の須恵器の技術が伝えられました。ロクロと穴窯(あながま)による焼成技術で作られており、青味がかった灰色が特徴です。

須恵器は今も日本の各地で生産されていますが、能登空港がある洲衛(すえ)地区では9世紀・平安時代の頃に盛んに生産され、それから200年後、現代の技が加わり奥能登の「珠州焼き」として伝承されています。

ちなみに「すえ」とは古代語では焼き物の事で、農閑期の畑仕事の出来ない冬に陶器を焼いていたことがわかっています。地名に「すえ」との文字がつく地名は国内で600ヶ所以上もあり、須恵、末、須江、洲衛、須衛、陶など漢字が出来てから、当て字で地名を表現したものです。

このように須恵器はさまざまな地域で生産され、改良され、考古学においては当時の人々の研究の対象として、そして現代陶芸作家に探究心の向かう先として、さまざまな方面から調査研究が行われてきました。


洲衛窯(すえかま)の再現

これまでの築窯経験(30基ほど)を活かし、洲衛窯の復元には、効率的に焼成ができる技法を用いて築窯をいたしました。

本来、須恵器の窯は「穴窯(あながま)」と呼ばれる、山の斜面をくり抜き作り屋根を付ける方式や、地中に埋める方式を用います。

古墳時代、野焼きだと火が逃げてしまうため、どちらも火を逃さないという発想から生まれた原始的な方法です。

この原始的な窯を現代で再現すると、とにかくお金がかかり、高温になるまで何日間も寝ずに大量な薪を焚き続けなければなりません。

再現した洲衛窯は、洲衛焼きを伝承する施設として開所された「洲衛窯の里」で震災前まで運営されていました。

洲衛焼きの再現

当時発掘された須恵器のかけら(左)と、私が研究中に焼いたテストピース(右)

これが洲衛地区の土と洲衛窯で再現した洲衛焼きです。洲衛地区の土は粘土も少なく、耐火度数の低い土が多く、須恵器のグレーが出るまで暗中模索の日々でした。

古代須恵器時代の定番・提瓶(ていへい)は、酒など水分を入れ、竪穴式住居内の壁面に両肩の耳に紐を掛け吊るして使われたと言われています。酒器として利用するのではなく花器として花や葉をあしらっていたのかもしれません。

須恵器と穴窯の魅力

溶け切らない薪の灰がほんのりとと掛かり静かで上品な雰囲気の須恵器。暴れる炎や、火に溶けた灰が、もしくは溶け切らなかった灰が自然な釉薬となります。そしてそれが、作品に味わいのある色相をもたらせます。須恵器は釉薬を使わない焼締め技法を用いますが、そもそも古代には釉薬は存在していませんでした。

それゆえ、焼き上がるまでどのような色相になるか分かりません。陶器作家が納得がいくまで薪をくべ、探究心の向かう先には「新しい美を作り出して見たこともないものを創りだしてみせる」という妄想がありそれが陶器作家の楽しみでもあります。

洲衛では、須恵器の壺やかけらの他に、数百もの窯と窯の跡が発掘されましたが、窯の状態が変わるとこのように色も微妙に変わります。窯の改良は作品の出来上がりにとても重要です。


崩落前の輪島の龍清窯は、とても大きな煙突がある窯でした。

輪島の龍清窯(崩落前)

輪島の龍清窯(崩落後)

地震発生時には、大きさ2mほどの岩が山から落ちて来て旧窯の6m程の高さの煙突1基に直撃、もう1基も、揺れで倒壊、およそ6トンのレンガ1,600丁が散らばりました。隣の母屋にいましたが、その屋根にも散らばり一部破損、本当に危機一髪でした・・・。

この龍清窯には旧窯と新窯とあり、年に一度修復が必要なほどやっかいな窯でしたが、とても良い働きをしていました。

残念ながら、同じような窯は地形などの関係で金沢では再建できません。


古代焼きとは、須恵器を研究し続けて20年、辿り着いた作品です。須恵器のような上品で静かなグレーではなく、明るく温かみのある古代焼き。須恵器でこのような色があらわれている作品を私は見たことがありません。

20年かかりこのような作品を創り出せた事を陶芸家として大変嬉しく思います。

左が窯から出してまだ灰を掃除していない古代焼、右が入選した作品「雫」

これからは「古代焼き作品展」を目指していましたが、そんな時に震災がおきてしまいました。

古代焼き誕生秘話

研究対象としては興味深い須恵器ですが、実際はお墓のようなグレー色をしているため一般ウケはしませんでした。

私は荻焼から陶芸を始め、白釉井戸茶碗では金沢兼六茶会の金沢市長賞受賞を頂いており、温かみのある陶器を好んでいます。

洲衛窯の里の10年間では、来る日も来る日も灰色の須恵器ばかりを焼いていて、あまりの寂しさに「もう少し変化のある、暖かい雰囲氣の作品を目指したい」と思うようになり、その発展した焼き物が「古代焼き」となりました。

須恵器を長年研究していたからこそ、辿り着けた作品です。


この古代焼きの創作活動、および作品展。開催するために以下の活動をいたします。

金沢教室の裏庭に古代焼き専用の窯を築窯する

・2020年、金沢に教室を設けましたが、そこには窯がありません。教室の裏庭に新たに「古代焼き専用の窯」を築窯いたします。設計はこれまでの龍清窯とは異なりますが、逆に古代焼きに特化した作りの古代焼き専用窯と言ってもいいでしょう。

築窯は陶芸教室の会員の皆様がお手伝いしてくださる予定です。

・金沢に展示室を作ります。インフラが回復しましたら、割れずに残っている陶器は金沢教室に移動し展示します。また、一部はこのクラウドファンディングのリターンとして出品します。

・金沢に拠点を移すため、金沢教室に生活できる環境を設けます。

・新たな窯が完成しましたら、金沢で創作活動を再開いたします。


・お礼のメール:3,000円〜

・新窯の見学・ろくろ体験教室(小学生まで同伴無料) 10,000〜:200人まで

・初窯:おまかせ(白和釉) 12,000円:50人まで

・限定:おまかせ(古代焼き) 20,000円:20人まで

・限定:白和釉の茶碗と小鉢3点セット 30,000円:50人まで

・限定:古代焼きビアカップ 30,000円:2名のみ

・限定:古代焼きの徳利と酒器のセット 65000円:2人まで

・限定:古代焼き(ていへい)150,000:1人のみ

・限定:古代焼き(灰被り) 200,000円:1人のみ

・輪島・龍清窯にある作品: 20,000円:15個


本プロジェクトのスケジュールです。


3月15日 クラウドファンディング終了

4月上旬 限定:古代焼きリターン発送

5月上旬 金沢教室の築窯開始

6月下旬 金沢教室の築窯完成

11月〜12月 リターン発送


集めた支援金の使用用途と内訳です。

金沢教室の築窯代金
築窯費:約250万円

教室・作品の展示室・生活の場の修繕費
約100万円

完成品の包装・送料
約20万円

クラウドファンディングの手数料(5%+税)
約30万円

総額:400万


私は今年で83歳になりますが、病気もなく、この震災においても怪我もせず、元気に過ごしております。

この古代焼きの誕生は、私の陶芸人生で最も大きな喜びであり、輪島でのこれまでの研究成果の集大成です。

残りの人生は金沢の地に移り住み、この古代焼きを作り続けその技を後世に残していきたいと思っています。

どうかご支援をよろしくお願いたします。

<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。

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