わたらせ渓谷鐵道は、群馬県桐生市から栃木県日光市足尾町を結ぶ鉄道で、足尾町にあった足尾銅山と深いつながりがあります。1877年(明治10年)、古河財閥の創業者・古河市兵衛が、この廃山同然の足尾銅山を買い取り、最新の技術を取り入れて日本の銅の半分を生産する銅山にしました。 明治時代の初めまで、産出した銅や鉱山で使用する材料の運搬は馬や牛に頼っていましたが、生産量の増加によってこれでは運びきれなくなりました。 その後、馬車鉄道による運搬を始めましたが、さらにたくさんの荷物を運べるようにするために、 桐生から足尾まで鉄道を建設することになりました。 1912年(大正元年)12月30日、桐生から延伸してきた足尾鉄道が、足尾駅まで開通しました。 その後、足尾鉄道は国の重要路線であることから、1918年(大正7年)、国が買い上げて鉄道院(後の国鉄)の足尾線となりました。 国鉄として営業してきた足尾線は、戦後、蒸気機関車がディーゼルカーやディーゼル機関車に変わって近代化されましたが、1973年(昭和48年)に足尾銅山が閉山されると旅客・貨物ともに輸送量が大きく減少し、1980年(昭和55年)ころから赤字線の問題が起こり、1985年(昭和60年)までに廃止されることになりました。 しかし、沿線市民の間で足尾線を残そうと言う活動が起こり、1989年(平成元年)までJR東日本足尾線として残りました。 その後は、第三セクターである、わたらせ渓谷鐵道株式会社が路線を引き継ぎ、現在に至っています。