⇧メイン画面をクリックすると能登半島地震の現地視察、なぜ私たちがこのプロジェクトを立ち上げたかの動画が流れます。
最初に言います。
偽善と言われてもいい、売名行為だと言われてもいい、自己満足だと言われてもいい。
今から書いてある事は全て事実です。他にも書きだしたらきりがないほどこんな事実はあります。
だから、だからこそあなたの思いを私たちが能登に届けます。
あなたの力を貸してください。
心からお願いします。
1月28日能登大震災の輪島市・珠洲市・能登町に行ってきた。
朝早くに金沢を出て一路輪島に向かった。
輪島市の朝市、何度も行ったことのあるなんとも言えない活気にあふれたあの町、あの通りがまるで空襲に会ったような風景に変わっていた。
焼け跡におかれた販売していたであろう陶器とその傍らに捧げられた花に心が痛んだ。
その後の珠洲市に向かう。
震災、津波に襲われたその町は輪島のそれよりもっと悲惨だった。
それこそ壊滅的な被害と言うべきだろう。
自分の家だろうか、完全に形を失った家を見つめて呆然と立ち尽くす老人に声をかけることもできなかった。
能登の象徴と言われた見附島(軍艦島)はその形を完全に変えてしまって今や軍艦島とは名ばかりのがれきの島となり果てていた。
私は今まで夕張復興支援、東日本大震災復興支援、熊本震災支援共に「10年は行く」と心に決めて我がダンスチーム関西京都今村組を連れて復興支援に取り組んできた。
私達はがれきの処理や復旧支援ボランティアをしてきたわけではない。
この日1日付き合ってくれた能登の友人も「物資は捨てるほど集まってきている。
いずれ大規模な復旧支援も始まるだろう」と言っていた。
だからこそその後、そこに住む人の「生きよう」「もう一度がんばろう」という一番大事で一番最後の「頑張る心」の支援のために夕張も東北(南三陸)も熊本も取り組んできた。
何が踊りや!自己満足だろ!そんな誹謗中傷も山ほど受けて来た。しかし、過去私を弟のようにかわいがってくれた故川島英五氏が語ってくれた「口ばっかりで何にもしない善人より、何かをしている偽善者でありたい」という言葉を受けて今まで懸命に取り組んできた。
しかし今回初めて震災後の能登に行って「果たしてそれでいいのだろうか・・・踊りに行って元気になってください!本当にそれが支援と言えるのだろうか・・・」そんな思いにさいなまれた。
「今回は(支援活動は)もういいかもしれない、いややるべきではないのではないか、偽善者ではなく自己満足者だ」なぜかそんな沈んだ思いで最後の町、能登町に行った。
能登町は一部津波で大きな被害を受けていたが町全体としては比較的被害の程度は軽かった。
今回道案内をしてくれた能登町の今井君がある倉庫の前で急に車を停めて「コーヒーでも飲んでいきませんか」と声をかけてくれた。
なんだろう・・・そう思って入った倉庫は真ん中の古びた丸ストーブを囲んで5,6人の老人たちが笑顔で「先生!来てくれたんか!」と声をかけてくれた。
「あっ、あの人たちだ!」
そうこの能登町には何回も踊りに来ている、縁なのだろうか、私が生き方に悩んだ時、深く沈んだ時に私を、関西京都今村組を呼んでくれた。
田舎町の小さな公園で音の割れるような公民館にあるカラオケのような音響で、工事現場の明かりのような照明で今まで何度も踊った。
観客席にはブルーシートがひかれ、その親父さんたちは踊り終わった私たちを「こっち来て飲もう!」と声をかけてくれた。
酔っぱらった親父さんたちの方言がさらに強くなって何を言っているかほとんど分からない。
でも「このイカとんび(イカの口ばかりを串に刺した絶品)あんたらが来るからって1年間貯めといたんだ!」そう言って出してくれた。
観客はいつも100人程度、本当に村の小さなお祭りだ。
でもこれこそが「祭り」なのではないか、いつもそう思っていた。
その時の親父さん達だった。
私は涙をこらえられなかった。
「先生(私の事)ほんとに来てくれてありがとな。あったけくなったらまたみんな(今村組)ときてくれや!
なんもないけど大歓迎するし、俺らを元気にしに来てくれや!」と声をかけられ、「
少なくてもこの町には来よう、踊りに来るだけでもいいんやないか」そう思った。
30分後その場を去って行く私を道まで出てきて見送ってくれた。
しかし・・・・・・輪島はどうする。
珠洲はどうする・・・・・踊りに来るだけでいいのだろうか・・・・・
その思いはやはり消えなかった。
最後に行った能登町役場前駐車場。
ここで案内してくれた今井君とはお別れすることになっていた。
全国各地からの給水車が来て水の配給を求める親子がたくさん来ていた。
でもその子供たちはしきりと「お母さん、早く早く!」と母親をせかしている。
不思議に思ってその親子連れに聞いてみた。
お母さんは「この後近くの小学校でベビーカステラとか唐揚げの支給(どこかのボランティアだろうか)があるんです。早く行かないと無くなってしまうからせかすんですよ」と笑顔で答えてくれた。
そしてそんな思いで回りを見渡すと「お母さん、早く!」「カステラなくなる!」「唐揚げなくなる、早く行こう!」
そんなこども達があふれていた。
その時私ははっと気づいた。誤解を恐れずに書くと神が降りてきたような感覚だった。
踊りに来るだけじゃだめだ!
そうだ、能登に「祭りを持ってこよう!」
ステージや音響、照明はもちろん、
焼鳥や唐揚げ、ポテトやフランクフルト、そんな屋台を持って来よう!
子どもたちが遊べる射的やスーパーボールすくい、
的あてやヨーヨー釣りを持って来よう!
今や今村組はその全てを持っている。
そうだ!祭りそのものを能登に持って来よう!そしてその全てを無料で楽しんでもらおう!
一日飲んで食って遊んで踊りを見て・・・・・
祭りそのものを持って来よう!
今の能登は春祭りも夏祭りも秋祭りも出来ないだろう。
だからこそ、私たちが祭りを持ってくるんだ!私はその時そう決意した!
2024年1月29日能登から帰ったその日
、非営利型一般社団法人日本共育プロジェクト代表理事
ダンスチーム関西京都今村組 総代表
今村 克彦
・クラウドファンディング期間は2月10日~3月中を考えています。
・返礼品発送に関しては今年全ての支援を終了した時点で返礼をする予定です。
※映像DVDや、写真などもありますので一年色々な映像が出てきますから全て出そろった時点で厳選してお送りしたいのです。
■屋台関係詳細予算
今回能登支援のためのクラファンですので大きなリターンは考えていません。
ですが、心からのリターンを考えました。
お返しの品やサービスのおすすめポイントや特徴を紹介しましょう。
現在、石川県輪島市、珠洲市など壊滅的な被害のため、現地で購入し、発送ではなく、アマゾンや楽天で購入したものを送らせて頂く予定です。ご了承下さい。
「原材料及び添加物等の食品表示はお届け商品のラベルに表記されます。商品開封前には必ずお届けのリターンに貼付されたラベルや注意書きをご確認ください。」
本文でも書いたかもしれませんが、すでに物資は余るほど集まって来ているとのことです。
いずれ助成金や補助金も含め復興資金も色々と出てくるでしょう。
しかし最後はもう一度立ち上がろうとする「心」の支援が必要なのです。
この動画を見てください。
今村組が初めて東北復興支援で踊りに行った時の動画です。
当時、この子は17歳でした。
抱き合っている女性は60歳くらいです。
この時、彼女はこの17歳の子の耳元で「家族も家も全部(津波で)流された。もう死のうと思っていた。でもあなたたちの、あなたの踊りを見てもう一度頑張ってみようと思う。」と涙を流して語ってくれました。
それ以後その子が27歳になった今でもこの女性の交流は長く続き、今この女性は南三陸町で民宿を営んでいるそうです。
これが「踊り」の持つ「力」なんです。
2024年1月29日深夜
非営利型一般社団法人日本共育プロジェクト代表理事ダンス
チーム関西京都今村組 総代表
今村克彦 拝
<募集方式について>
本プロジェクトはAll-in方式で実施します。目標金額に満たない場合も、計画を実行し、リターンをお届けします。
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