いよいよ、クラファン終了まであと10日です!!精一杯頑張りますので、拡散やご支援ぜひよろしくお願いします。少し前になりますが、同じ中津にある西田工業株式会社様に行ってきました。その時の様子です。クラファンを通じて、さまざまな人々と繋がることができることも大きな魅力の一つだとクラファン終盤でしみじみ感じています。***中津駅に降り立つとババーンと目に入る「西田工業」の看板。中津にいる人なら何となく認識しているその会社(中津民の証言)。 私は中津民じゃないので看板のことは知らなかったが、「ハイパー縁側」の取り組みはよく目にしていた。S N Sでよく目にし、楽しそうなイベントだなと。そのビルオーナーの社長にお会いしてきました。 西田工業株式会社の自社ビル「西田ビル」は、硬い名前に似合わず何だか楽しそうだなというのが第一印象。半地下のようなところにはクラフトビールの小さな工場があり、ガラス越しからその様子が見える。その横には現代アートの作品が無造作に置かれている。階段状になったベンチもおもしろい。疲れた時にちょっと休める「ゆとり」を感じるスペースだ。2階はシェアオフィス、3階はテレビ撮影で何度も使われているイベントスペースのあるレンタルキッチンもあるという。さらにtool box というD I Y素材や道具を扱うテナントショールームもある。4階以上は居住スペースになっている。 さて、1階の会議室に通していただき、西田社長に中津学園のクラウドファンディングの主旨を説明し、チラシの配架をお願いした。とても丁寧に説明を聞いてくださり、チラシの配架だけでなくご支援までも快諾してくださった。「建設業という仕事柄、どちらかといえば外部に出かけて仕事をするので、ビル周辺とのつながりは今まではほとんどなかったと言えます。しかし、ビルのリノベーションを機にシェアオフィスを運営することにし、地域に開く取り組みを始めました。」先述のハイパー縁側の取り組みもその一環らしい。「これからは人件費や建設費の高騰への対応、地球環境への負荷低減の観点から、スクラップアンドビルドではなく、使える建物は使うコンバージョンやリノベーションを重視していきたいと考えています」という会社の取り組み方針を話してくださった。中津学園の渡辺園長からは「佐伯祐正は中津の地域課題を解決したいという想いは熱く、様々な社会福祉事業を進めていました。しかし第二次世界大戦の空襲の被災により道なかばで死んでしまった。建物も全て焼失してしまいました。そのあとに残された妻や子どもは、事業の総指揮かつ企画者であった祐正を亡くし途方に暮れたことでしょう。しかし、それよりも福祉事業の火を絶やしてはいけないと、がむしゃらにその時代のニーズに合わせて保育所、障がい児の居住施設を運営し奔走してきたのです。正直なところ、一旦ゼロになった事業を再建するには本当になりふり構っていられなかった。ですがここに来て、建て替えを機にやっと祐正の想いを振り返り地域に開く取り組みをしていこうと思えるようになりました」と。どちらも100年以上の老舗ですが、今まで接点がなかったのが不思議なぐらい。昔の中津の街の様子で盛り上がる場面もありました。これをご縁に交流ができたらいいなと思ったのでした。おまけ:西田社長がお見送りしてくださる途中に、レトロな磨りガラスの扉がありました。それを撫でながら、「この摩りガラスも今はもう作られていないものです。このざらざらとした暖かい感じ、何とも言えない味わいがいいですよね」と。でも、私以外はみなさん福祉畑の人だったので「???」が飛んでました。 一方の私は、建築出身でレトロ建築も大好きなので、「わかります!!それ大好物です」と心の中で叫んでいました。そういうところもすごく親近感が湧きました。