江戸時代から伝わる「曽々木大祭」
はじめまして。NPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯り 理事長の藤本と申します。
私たちはその名の通り1995年の阪神淡路大震災の被災者支援をきっかけに誕生したNPOで、いまでは国内外の自然災害などに見舞われた方々の支援を行っています。
能登半島地震でも、発災直後から現地に入り、継続的な支援を続けてきました。
全国的にはニュースなどで見る機会もずいぶん減ってきましたが、能登のまちはまだまだ復興したとは言えません。
そんな中で、被災地の方たちの希望になるのが“祭り”です。
能登地方では、江戸時代から各地で五穀豊穣などに対する神様への感謝を示す「キリコ祭り」が開催されてきました。現在実に、大小合わせて200ほどのキリコ祭りがおこなわれています。
夏に能登地方を旅すれば、どこかでキリコ祭りに出会う―。
そう言われるほど、キリコ祭りは能登に浸透しています。
能登は神様を敬い、自然と調和しながら生きる「祭りの国」なのです。
キリコ祭りの「キリコ」とは、「切子灯篭」のこと。
山車の一種で、直方体の形をしている御神燈です。
祭りの規模や趣向は地域によってさまざまですが、キリコは大きなもので高さ十数メートル、重さ数トンにも及びます。
能登に住む人たちは、キリコ祭りを大切にしてきました。
キリコ祭りが開催される日には、進学や就職などで都会に出ていった若者も、キリコを担ぐために帰ってきます。
そして各家庭では、「ヨバレ」と呼ばれる御馳走をつくり、祭りに参加する人たちにふるまいます。
キリコを担ぐ者だけでなく、集落の住民みんなが一体となってつくり上げる。
それがキリコ祭りです。
私たちが支援に入った輪島市町野町でも例年、地区ごとにキリコを出し、勇壮なキリコ祭り「曽々木大祭」を行っていました。
しかし、1月の震災によって、町野町は大きな被害を受けました。
「今年はお祭りができないね」と、住民のみなさんは肩を落としています。
ただ、多くのいのちが失われ、家屋が倒壊した町野町の中でも、曽々木地区だけは、強固な岩盤などのおかげで誰もいのちを落とさず、比較的軽微な被害にとどまりました。
キリコも無事でした。
町野町の中では曽々木地区だけに、祭りを開催できる可能性が残されているのです。
震災発災からずっと、暗い気持ちの中にいる人もいます。
また能登での再建を諦め、町野町を離れてしまった住民も少なくありません。
脈々と受け継がれてきたコミュニティが、いま危機的な状況にあります。
そんな中で祭りを開催することは、まず被災地で頑張る人も、能登を離れた人も関係なく、あの自信を経験した人たちが集うことができる場をつくり出すことにほかなりません。
同じ場に集まった人たちが、それぞれの“祈り”を抱えながら同じ祭りを見る。
それは、明日に向けた希望になります。
その希望こそが人々が生きていくうえで何より重要なものなのだと、私たちは阪神淡路大震災から30年の経験から学んでいます。
曽々木地区の皆さんも、「祭りを開催したい」との意向をお持ちです。
しかしいま自分たちの生活を再建するだけでいっぱいいっぱいで、祭りの費用や人手を捻出する余裕がないそうです。
そこで、何とか私たちが支援できないかと、このクラウドファンディングを立ち上げた次第です。
夜9時スタート。曽々木地区の「曽々木大祭」
曽々木地区では毎年8月、お盆の時期に春日神社の例祭として2日間にわたって「曽々木大祭」が開かれます。
キリコが登場するのは初日の午後9時。すっかり夜も更けてからの登場です。
総輪島塗に白木造りなど、趣向の違う大小5基のキリコが春日神社に並びます。
神殿のろうそくからキリコに火を移し、鳥居をくぐって神社を出発。
神様が鎮座する神輿をキリコが取り囲みながら、まちを練り歩きます。
そして、「かつて神様が漂着した」という伝説が残る曽々木海岸に到着すると、祭りはクライマックスへ。
天然記念物に指定された「窓岩」を臨む「窓岩ポケットパーク」では、キリコが乱舞するとともに花火が打ち上げられ、「御陣乗太鼓」や「八世太鼓」が打ち鳴らされます。
祭りの参加者と観客の垣根を超えた一体感が生まれ、会場は熱気につつまれます。
ちなみに「御陣乗太鼓」とは、上杉謙信の軍勢が攻め込んだ際、村人たちが鬼・亡霊の面や海藻で扮装しながら打ち鳴らし、上杉軍を追い払ったと伝えられているもの。
そして「八世太鼓」は、1700年代後半に「能登の親不知」と呼ばれた急な崖が切り開かれて道ができた際、お祝いとして叩かれた太鼓を再現したものです。
ここにも伝統が息づいています。
そして日が変わるころ、宵祭りは終了。
翌日の本祭りでは、神輿が集落を回ります。
神輿が立ち寄った家では住民から神酒が献上され、担ぎ手にも飲み物がふるまわれます。
能登の人たちの〈生活〉と〈祈り〉が結び付いた祭り。
そんな祭りを開催することは、能登の人たちがつむいできた歴史を途絶えさせないことでもあります。
能登の人たちが前を向くために。そして伝統を途絶えさせないために。
支援の手が必要です。
支援金の使途内訳
・打ち上げ花火代 50万円
・NPO法人 阪神淡路大震災1.17希望の灯り メンバーらのバス往復費用等 60万円
・開催のための人件費を含む諸経費 40万円
リターンについて
・3,000円 写真付きの開催報告(メール)
・5,000円 祭りの中でお名前を読み上げ
・10,000円 祭りの中でお名前を掲示し、読み上げ
・30,000円 祭りの中でお名前を掲示し、読み上げ&神戸からのボランティアバスに同乗し、現地で曽々木大祭を見学
(※神戸までの交通費は自費となります。8月17日の朝に神戸を出発、曽々木大祭を見学後、同日はボランティアが宿泊する「輪島市ふるさと体験実習館」に宿泊。翌朝被災地を見て回り、昼過ぎに能登を離れます。詳しくは個別にご連絡します)
・100,000円 輪島塗りのお椀などを提供
(※被災地でボランティア活動を行った際に、地元の方々からご提供いただいたものになります。使用済みで、傷などが付いていたりしますができる限り綺麗にしてからお届けします。詳しくは個別にご連絡します)
スケジュール
8月17日 曽々木大祭 宵祭り(キリコが登場)
8月18日 曽々木大祭 本祭り(神輿が集落を渡御)
最後に
能登半島地震の発災直後、私たちは支援に入りました。
そこで見たのは、交通アクセスも悪く、被災者のニーズがなかなか叶えられない姿。
そしてそれでも能登で生きていこうとする人たちの奮闘です。
能登ではまだ多くの家が倒壊したままで、
震災前に繰り広げられていた日常は失われている状態です。
能登の祭りには、人々を集わせ、勇気づけ、結びつける力があります。
また支援を頂くことは、「全国の人たちは能登のことを忘れていない」とのメッセージにもなります。
私たちと一緒に、どうかご支援をお願いします。
NPO法人阪神淡路大震災一一七希望の灯り
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2024/09/17 10:07
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