サードゴール140万達成したら
オリジナルのスナック菓子を作って無料コンサート等で配りたい!支援総額が140万を超えたら制作します。チロルとかビスコとかチップスとか♪ 一部、鈴御はんのお店でも販売予定です。奈良から遠い方々には送料と手数料だけでお求めいただけるようにいたします。鈴御はんのイラストを使ったスナック菓子の制作、はたして成立するでしょうか⁈
オリジナルスナック菓子は数量限定、期間限定になります。第1弾は2025年3月ぐらいかな? 製造&配布終了は2025年12月末を予定。
※商品は季節ごとに変わります。例えばチョコは暑い時期には作りません。
※サードゴールについては、慌てて企画したので、なにかと不備があるかもしれませんが、どんな場合でも真摯に対応させていただきますのでご容赦ください。限られた時間内で、本クラファンを最後まで楽しく盛り上げたいです。よろしくお願いいたします。
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10/22 new!
おかげさまでセカンドゴール達成!奈良のご当地ソング『京終にて...』MV制作、JOYSOUND配信決定しました!ありがとうございます♪
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10/16 new!
リターン商品に『JOYSOUNDカラオケ配信記念パーティー』の参加チケットが登場! 一緒にカラオケで歌いましょう♪
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10/15 new!
ファーストステージを達成することができました!応援してくださった全ての方に大声で叫びたい。ありがとうございます!
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10/3 new!
返礼品(リターン)にお社長キーホルダー登場!
お社長(水無月純)については下記ストーリーでご紹介しています。
セカンドゴール130万達成!
新曲 「京終にて...」のミュージックビデオを制作し、JOYSOUND通信カラオケから配信したい。京終は奈良市の地名で「きょうばて」と読みます。JR桜井線の駅があり、奈良市の南の玄関口として密かに人気がある地域です。
ここには昔、テイチクレコードがあり、「歌謡曲のまち」として栄えました。歌謡曲の花形スター石原裕次郎や八代亜紀などが訪れ、レコーディングされたと聞きます。
そんな京終が舞台となった歌謡曲が私の新曲です。作曲に私が初めて関わった作品で、この曲のミュージックビデオを京終を舞台に撮影・編集 し、動画配信サイトやJOYSOUND通信カラオケで配信したい。
地元・京終の人だけでなく、奈良好き、歌謡曲好きのみなさんに歌っていただきたいです。(10/21達成しました)
私がイラスト担当をした京終の地図
プロジェクトの実行者について
歌謡曲の歌手&イラストレーターとして活動する“鈴御はん”(りんごはん)。2025年の春に、『オリジナルソングのカラオケ動画配信』と『オリジナル歌謡のベストアルバム制作』、2つの夢を実現するために、プロジェクトを立ち上げました!ぜひ鈴御はんへの応援をよろしくお願いいたします!
みなさん、はじめまして。歌謡曲の歌手&イラストレーター&アトリエショップオーナーとして活動している「鈴御はん(りんごはん)」です。昭和生まれの現在61歳、11月で62歳になる遅咲きの花のある人生を目指しています。というか、昭和世代の逆襲を企んでます!
現在、両親の介護を優先しており、活動に制限がある状況です。同世代には同じ境遇の方も多いことでしょう。特に母の方が今年2024年になって認知症が進みました。子育てと違って、成長ではなく衰退をサポートする役目が介護。老いていく両親を見ることは本当に辛いものですね。
活動と介護の狭間で
この度、私は2026年から歌手業を休業することにいたしました。そんな中でクラファンってどういうことよ? 調子よすぎない?そう思われて当然です。だけど、だからこそなんです。こんな状況下だからこそ、出来ることをしたいと考えたんです。私が休業に至った理由を説明すると
一、両親の介護をしっかりやりたい
一、イラストの仕事に専念したい
両親の介護については、すでに看取った経験のある知人によると「尽くしても尽くしても悔いは残る、あまり根を詰めないように」とアドバイスをいただき、救われる思いがしています。ただ、私の中に尽くし足りないという思いがあります。また、私の体力の限界も感じていて、このまま歌手活動を継続するのではなく、一旦お休みして俯瞰視した方が良いと考えました。
イラストの仕事は、もともとの私の職業でした。歌手業を兼任して以来、縮小に次ぐ縮小で、やるべき仕事が山積みになっており、イラスト業に集中すべきと判断しました。というのも私の絵、特に私のパステル画が好きだというみなさんと約束したことがあるんです。それは奈良を舞台にしたタロットカードのためのパステル画。全部で56点の作品が必要ですが、12点を制作したところでストップしています。あと44枚!!! モチベーションを上げるためにも、歌手業をお休みしたいのです。
▲奈良タロットシリーズのために描いた中の1枚。【ペンタクルクイーン/春日の森の天女】
このプロジェクトで達成したいこと
私が歌手業をお休みしている間、みなさんには私の楽曲と制作活動を応援していただく、このプロジェクトはそんな内容となっています。
今回の目標は次の3つ。
①ベストアルバムCDを制作。同時にストーリーミング再生とカセットも作りたい。
②私が歌う曲3曲をカラオケ配信するためのミュージックビデオを作る。そしてみんなに歌って応援してほしい。カラオケ配信したい曲は
『りんごりんごりんご』
『パールシティに乾杯』
まずはこの2曲ですが、セカンドゴールとして『京終にて...』(新曲)を希望しています。この曲は奈良の京終(きょうばて)という地域をテーマにした歌謡曲。私の住まいの近くで、地元応援のためにもカラオケ配信を実現したいです。ちなみに作曲に初めて私が関わった記念の曲でもあります。
③頭にりんごを乗せた歌手が登場する絵本を作る。(10/9[木]時点で、今回のプロジェクトで実現するのは厳しい状況です。でも諦めた訳ではないです。)
「カラオケ配信するためのミュージックビデオ」について
まずは通信カラオケ配信のお話です。下の2つのグラフを見てください。私が歌っている曲を対象としたアンケートの結果です。
20人にきいたところ『りんごりんごりんご』が1位、約半数の方がカラオケで歌ってみたいという結果になりました。老若男女を問わず、みんなで歌える楽しい曲なんです。
次に2番目にカラオケ配信してほしい曲は?ときいてみました。
『パールシティに乾杯』が人気です。この曲は「カラオケで一番歌いたい曲」の2位にもなっています。
以上の2つのアンケート結果から、まずカラオケ配信に入れる曲は『りんごりんごりんご』と『パールシティに乾杯』の2曲に絞りました。
カラオケ配信をする際、楽曲に合った動画がある方が効果的です。『りんごりんごりんご』については、すでに動画があります。ですが『パールシティに乾杯』については、これから制作する必要があります。この動画をみなさんと一緒に完成させたいのです。
ベストアルバムCDの制作について
これまでにミニアルバム3枚、シングル3枚を商品化しましたが、音楽ストーリーミング配信については『りんごりんごりんご』1曲のみです。そこで、私の代表曲とCD未収録曲を私自身がセレクトしたベストアルバムを制作し、音楽ストーリーミング再生に力を入れ、世界に向けて昭和歌謡を配信したい。
🍎ベストアルバム収録予定曲
1 りんごりんごりんご
2 パールシティに乾杯
3 天空遊園地
4 林檎の庭
5 終わらない季節
6 左京恋模様
7 釧網本線
8 車イスの母
9 美貌は罪
10 月夜の蝶々
11 筑紫情話
12 明日へ羽ばたこう
13 ringo ringo ringo
14 京終にて...(新曲)
15阪堺電車
16うどんLOVE
17花舞台
※鈴御はんセレクト
特に人気の曲『りんごりんごりんご』と『パールシティに乾杯』をカラオケで歌ってみたいという人も増えると想像しています。
また、本プロジェクトが達成しなかった場合は制作は全て中止となります。
世界にひとりのりんご民族
ここで私の経歴と人となりを紹介させてください。
「りんごりんごりんご」という曲は私の代表曲です。一度聴いたら記憶に残る、そんなインパクトがあります。
この曲がきっかけで、私の頭には真っ赤なりんごがずっと植わることになりました。人前に出る時は必ずと言ってほど頭にはりんごがあります。自転車に乗る時も電車に乗る時も、銀行やコンビニに行く時も。
私を初めて目にした人は「かわいい」とベタ褒めするか、変な人とドン引きされるか、パッカリ分かれます。どちらかというと女性のは方が受け入れてもらいやすいようです。男性の中には「そのりんご、討っていいか?」と矢を討つポーズをする人が多くて笑ってしまいます!きっとウィリアムテルのお話を思い出すんでしょうね。
ただし、病院と実家では頭にりんごを植えることはやめています。なぜか?
例えば病院。歯医者へ頭にりんごを植えて診察に行ったとします。他の患者さんが私を見たなら「行くべきは精神科では?」と思うでしょうね。また、実家の両親は「頭にりんごを植えている娘」を受け入れがたいようで、実家の玄関で頭のりんごは外しています。なお、お風呂に入る時、寝る時も頭のりんごは取っています。
ああ、なぜ、こんなヤヤコシイ人生になってしなったんだろう? 時々、自分でも笑ってしまいます。
私と絵
私は幼い頃から絵を描くことが得意でした。今日まで絵を仕事として継続できたのは、自分の才能というよりも、たくさんの方々のご縁に支えられ、応援していただけたことが要因だと感じています。絵を描くのが好きという気持ちに突き動かされたのではなく、作品がお金になったことが嬉しく、求められるまま描いてきました。職業歴は30年以上になります。
私は会社勤務や通勤が合わず、在宅で仕事がしたかった。マイペースで自宅で働きたくて、フリーのイラストレーターという職業にしがみつくように続けて来ました。キャリアの始まりは京都。ひとり暮らしを始めてからは絵の収入が安定せず、もやしばかりを食べる日々が続きましたが、それを苦労とも思わず、むしろ貧乏ライフを楽しんでいるところもありました。楽天的な性格なんでしょう。
私の頭の端っこには、いつもこんな思いが張り付いていました。
「私が好きなことってなんだろう?」
多くの人は私が絵を描くのが好きだから、イラストレーターになったと捉えています。もちろん嫌いなことではありませんが、絵を描くことよりも好きなことはあって、一番好きなことは美味しいものをモリモリ食べながら友人とおしゃべりをすることでしょうか。
絵を描くことが心の底から好きな人は、食事をすることすら忘れて絵を描くことに没頭するところがありますが、私はそうではないんです。
好きなことがない、見つからない
私が好きなもの、それは他にあるんじゃないのか...? 自分探しのため、ひとりで海外旅行をしたり、東京へ単身移住したこともあります。孤独に身を置けば、本当に自分が好きなものと向き合えるんじゃないかと思ったものですが、「好きなこと」にたどり着くことはなかったのです。
歌謡曲の歌手としてのキャリアは2013年がスタート、本年2024年で11年目。
51歳の時でした。絵を生業にしていた人間が、新たにチャレンジするには遅いスタートですし、それをみっともないと笑う人もいました。逆にチャレンジ精神が素晴らしいと拍手してくれる人もいました。私は拍手してくれる人の方を向いていくことにしました。
絵と同じく「好き」という理由で歌手業を始めたのではなく、ひとりのシニア音楽家と縁があったことがきっかけで、端的に理由をいうならそれは【人助け】でした。
歌謡曲や演歌という音楽ジャンルは、自作の音楽を自身で歌うシンガーソングライターとは違って、分業が主流です。作詞家、作曲家、編曲家、歌手。それぞれの専門家の力が合わさって、ひとつの楽曲が生まれます。よって、歌ってくれる歌手がいなければ、せっかく生まれた楽曲も世に出ていくことはありません。
「歌ってくれる歌手がいない」
そんな悩みを抱えていたのが音楽家・水無月純さんでした。演歌・歌謡曲・童謡を専門にする音楽家で、歌い手ではありません。そんな水無月さんが私のお店に来られたことがご縁の始まり、いつしか友人となりました。「歌ってくれる人がいない」「歌ってくれても活動が長続きしない」と、しょっちゅう愚痴る水無月さん。私はまったくの音楽素人でしたが、困っている水無月純さんを放っておけず、悩みに悩んだ結果、歌手としての活動を始めてしまったのでした。それがどれだけイバラの道なのかも分からずに。
ようやくわかった私にとっての好き
振り返ってみて、やっと気づくことってありますよね。私という人間は、好きという感情に触発されて行動するのではなく、困っている人の役に立てること、求められたことを達成することが喜びなんだと。つまり私の好きなことは「人助け」なのです。言いかえれば、私は誰かの夢を叶えることが喜びなんですね。
過去に米国アカデミー賞で受賞しながら日本で公開されなかった『ホテル・ルワンダ』という映画を日本で劇場公開するために尽力したことがあります。日本の劇場でも観たいという声を知ったからでした。
ある時は、新宿で奇跡の店と絶賛されている飲食店の営業継続を求めて活動したこともあります。全国どこでも似たり寄ったりのチェーン店になってしまうのは味気ない、という考えに共感したからでした。
他にもありますが、いずれも私が一人で行動したのではなく、仲間がいてこそのことで、いずれも成果をあげることができました。
私が歌手として達成すべきミッション。それは「オリジナル昭和歌謡」を世に広め、ヒットさせること。かなりの困難を極める水無月純さんの夢です。ヒットなんて万に一つの確率でしょうが、できる限りのことはしたいと歌手活動を直向きにがんばっていたら、いつの間にか10年が経っていました。
デビュー当時は、絵の活動はどうするんだ、二足のわらじを履けるのかと、かなり厳しいご批判をいただきました。あなたの歌なんか聴きたくない、あなたの絵が好きなんだから、といって離れていった人もいて辛い思いもしました。
歌手という職業は、売れっ子にならない限り、収入にはならない、思い知ったのは3年ほど経ってからのこと。やがて、イラストレーターの活動よりも、歌手活動の方がメインになっていき、どんどんどんどん収入が先細りしていきました。
それと...シニアからの歌手活動でしたし、歌を歌いこなすには、かなりのトレーニングと時間が必要でした。全て自己流トレーニングのため、その方法が正解だったかどうか、未だに不明ですが、続けることで歌唱力は確かにアップしました。振り返ると、あんな歌唱力でよくも「歌手宣言」ができたもんだと顔から火が出ます🔥
そういうこともあって、これからみなさんと一緒に制作したいと思っている、私のベストアルバムには私の初期のCDに収録した未熟な歌唱曲を再録したいと思っています。
継続できたわけ
困難が続き、挫けそうになりながらも歌の活動を続けてこれたのは、絵と同様に私の才能ではなく、応援してくれる人がいたからでした。加えて、責任感と負けず嫌いの性格が継続へと導きました。一度やると決めたのなら、何かしらの結果を残す。そして、そもそもの「困っている人」である音楽家・水無月純さんを助けたい。
中でも歌手活動の継続を支援していただく、クラウドファンディングを達成したことは大きな喜びでした。
2016年、この頃はまだクラウドファンディングが社会的にまだ認知されておらず、厳しいご意見をたくさんいただきましたが、達成した日の喜びは忘れることができません。支援者のみなさんと共に前進しよう、私の進む道はこれでいいんだ、強い支えになりました。
坂本龍一さんからの言葉
ビギナーズラックだったのでしょうか、世界の音楽家・坂本龍一さんが「オリジナル昭和歌謡を歌う活動を続けてください」と言ってくださったことがあり、歌手活動を続ける上で、かなりの後押しとなりました。
それは坂本龍一さんが生前、パーソナリティをされていたJ-WAVE放送『RADIO SAKSMOTO』という番組内のことでした。坂本龍一さんといえば、アカデミックかつ前衛的な作品で名を馳せた有名人。その方のラジオ番組内のオーディション・コーナーにデモテープをダメ元で送ってみたら、なんと入選! あの日の番組で、坂本龍一さんが私に言及された瞬間の衝撃! 生涯忘れることはないでしょう! 坂本龍一さんとは畑違いの音楽ジャンルの私に、そんなにも励ましをいただけるなんて...夢か幻聴か...?!
私自身も耳を疑いましたが、その事実を多くの人が「まぐれ」「聴き間違い」と笑ったのでした。ところが、その後も坂本龍一さんの同オーディションに、私ったら5回も入選してしまうんです。計6回です。夢でも幻でもないんです、ただ、坂本龍一さんがどうかしてたんじゃないかと、今になって振り返ると笑ってしまうのですが。
最初に入選したのは『パールシティに乾杯』でした。私の代表曲『りんごりんごりんご』も入選曲のひとつ。
私が歌ってる曲をぜひとも通信カラオケで、みなさんに歌ってほしいです! そのための応援、どうかよろしくお願いいたします。
⚫︎RADIO SAKAMOTO 番組HP
https://www.j-wave.co.jp/original/radiosakamoto/
明石家さんまさんにツッコまれる
歌唱力もそこそこアップし、関西ローカルではありますが、テレビに出演したりして「頭にりんごを植えた歌手&画家」の認知度は少しずつアップしていきました。情報バラエティばかりですが、楽しさをファンのみなさんと分かち合うことができました。なかでも明石家さんまさんから「りんごはん、おもしろい」とツッコミを入れてもらえた放送については、たくさんの人に喜んでもらえました。
が、ある時をさかいに私の気力は別の方向に向いて行ったのです。
不器用ゆえの引退決意
歌手活動10周年を迎えた昨年2023年のこと、私は歌手業から身を引くことを決めました。絵と歌の二足のワラジの厳しさが、加齢と共に加速したからです。60歳の大台を超えたことで、体力が落ちている事実を受け入れざるをえませんでした。さらに決定打になったのがコロナ禍。多くのアーティストがそうだったように、ライブ活動ができないジレンマ、そして外出抑制で私が営むアトリエショップを訪れるお客様は右肩下がり。加えて両親の介護という現実。
コロナ禍が落ち着いた2022年後半からは、ライブ活動を再開することができましたが、アトリエショップの立て直しにはまだ至っていません。
ある時、ふと10年の年月を思いました。
これが一区切りの時じゃないかと感じたのです。10年ひと区切りといいますし、10年頑張った結果、成果がでていないと感じ、そういった事実を身をもって受け止めているのなら、別の道を模索する選択もありだと。
私はひとつの賭けにでました。歌手活動10周年の記念コンサートを地元のホールで開き、300席の客席がいっぱいになれば、あと少し歌手として活動しようと。
決断のステージ
その日、10周年記念コンサートの会場の客席は半分がお客様、半分が空席でした。満席ではありません。よって、ステージで歌っていた私は「今日で引退だ」と心に決めていました。
2時間に及ぶコンサートの最後の曲を歌い終わった時、私は頭に植えていたりんごを外し、ステージの床に置きました。あれです、昭和の歌姫・山口百恵さんが引退コンサートでマイクを床に置いて幕引きされた、あれを真似したわけです。爆笑が湧き上がるかと思ったのに、シーンと静まり返る館内...。
舞台袖に引っ込んだ私。すると市民ホール・スタッフの一人がこんなことを言ったのです。「りんごさん!たくさんのお客様に来てもらえて良かったですね。こんなに集まらないことの方が多いんですよ。」
え...⁈ 想像もしなかった言葉にボーッと突っ立っていた私。やがて私の耳にアンコールを求める拍手が聴こえてきました。
「アンコール!アンコール!」
「りんごさーん」
私は傍らにあった手製の「りんごカチューシャ」をおもむろに頭につけ、ステージに出て行きました。ステージ中央の床には私が置いていった「りんご」がそのまま残っていました。それを むんずと掴み、元あった私の頭に乗せ、私はマイクを手にこう言ったのです。
「みなさん、アンコールありがとうございます! 私、ご恩返ししなくちゃと思い直しました! 引退は取り消し、感謝を伝える歌手活動をあと少し続けます。」
その時、私の頭には3個のりんごが植ってました。りんごりんごりんご〜♪
引退サギ、引退商法と批判され
10周年記念コンサートは引退コンサートでしたから、引退を取り消したことでサギじゃないかと批判の声をいただくことは少なくありませんでした。引退するんだったら最後ぐらいは客席から応援してあげようと駆けつけてくれた人もおられましたし、引退サギ、引退商法と言われても仕方ないですね。ただ、活動延長を喜んでくれた人の方が多かったように思います。
閉店セールをうたって閉店しない大阪のお店に倣ったのよ〜と図太く、かわしていくことにしました。
ちなみに、10周年に続く節目は12年周年です。干支ひと回りの12年です。来年2025年がその年にあたりますので、再び引退商法をやることにしています...というのはウソで、冒頭でお話した通り、両親の介護を優先、元々のイラストレーターの活動に重きをおくことに決めました。歌手業引退ではなく休業ですね。復帰するとしたら70歳の節目かな? 決めているわけではありませんが。
私、やっと気づきました。
不器用なタイプなんだと。今日まで歌手業を続けてみて、やっと気付いたのです。1足のワラジしか履けないと。2足を履ける人って、よほど器用な人か、天才タイプでしょう。私は歌手かイラストレーターか、どちらか一方に絞らないとダメな人間なんですね。つくづく大谷翔平さんの二刀流は神業です!
プロジェクト立ち上げの背景
令和になって、昭和歌謡がブームですね。昭和生まれのおじさんおばさんが「あの頃は良かった」と、ただ懐かしんでいるだけでなく、10代20代の平成世代にも人気です。
そう、平成〜令和以降の楽曲はダンスミュージックが主流、アップテンポです。歌うのが難しいですよね。音域が広かったり、詞に英語がミックスされて難解だったりして、「聴く専」の音楽がヒットしています。カラオケボックスで歌う人口も減ってるとか。でも、やっぱり歌が好きな人は歌いたいですよね。
歌える曲、歌いやすい曲が昭和歌謡!
私が歌ってる『りんごりんごりんご』は老若男女が歌えます。ファミリーで歌えます。ヘソで茶を沸かしながら歌えますw
『パールシティに乾杯』はレトロポップ、これまた歌ってみたくなる懐かしいメロディです。
そんなわけで、私が歌っているオリジナル昭和歌謡を通信カラオケで配信し、みなさんに歌ってほしいと思っています。
目指すジョイサウンドのカラオケ配信は次の端末になります。
音楽のチカラ、芸術のパワー
私が歌手としての活動を開始したのは、ある音楽家を救うことを目的とした【人助け】でした。が、活動の経験値が高くなるにつれ、音楽が持つ潜在的なチカラに驚かされ、その魅力を再認識しました。音楽は人を元気にする最高の表現だと。
そして絵。絵は、視覚に訴えることで人に感動を与えうる形ある表現です。その両方の表現を用いて活動してきた私、これまでに様々な共感をいただき、応援していただきました。今、歌手休業という局面に立ってなお、多くの方々に「私の表現」を届けたいと考えるようになりました。そのための通信カラオケ配信やベストアルバムの制作、オリジナル絵本といった形あるものが重要だと感じ、このプロジェクトを立ち上げました。
これまでとこれから
私はこれまで、地元を中心にライブ活動を行い、多くのみなさまに支えられてきました。また、インターネットを通じて自作のイラストや歌を発表し、徐々に認知度を高めてきました。現在は、両親のアテンドをしつつ、更に認知度をあげるべく、通信カラオケ配信のための動画制作とベストアルバムの制作、さらに第三弾の目標であるオリジナル絵本のストーリー構築など、具体的にプランを練っているところです。
スケジュール
10月 クラウドファンディング終了
11月 リターン発送開始
12月 『りんごりんごりんご』通信カラオケ配信
2025年3月 ベストアルバム完成
2025年4月 リターン発送 完了
2025年4月 『パールシティに乾杯』通信カラオケ配信
最後に
みなさん、最後までお読みいただき、本当にありがとうございます。私の夢は、音楽と絵を通じて、みなさんの心に寄り添うことです。このプロジェクトを通じて、もっと多くの方々に私の作品を届け「夢」を届け、分かち合いたい、そう強く願っています。皆さんの温かいご支援があってこそ、このプロジェクトは成功します。どうか、ご支援と応援をよろしくお願いいたします。
私の半生をお絵描きムービーでお届けしてます。『頭にりんご民族』が誕生するまでの波瀾万丈をお茶でも飲みなら見てくださいね♪
鈴御はん
最新の活動報告
もっと見る心からのお礼状を贈りました
2024/11/25 18:46本日11月25日(月)リターン(返礼品)第一弾として【りんごはんの心からの肉筆お礼状(写真)】を発送いたしました。Apple Pencilでコツコツと字を綴っている時、幸せな気持ちでいっぱいでした。この場を借りてもう一度、ありがとうございます♪来月はスマホ用福を呼ぶ壁紙を発送予定です。楽しみにお待ちいただけたら幸いです。鈴御はん もっと見る
最終日の挑戦!
2024/10/23 10:17クラファン【本日最終日】サードゴールに挑戦支援140万達成したらオリジナルのスナック菓子を作って無料コンサート等で配りたい!支援総額が140万を超えたら制作します。チロルとかビスコとかチップスとか♪ 一部、鈴御はんのお店でも販売予定です。奈良から遠い方々には送料と手数料だけでお求めいただけるようにいたします。鈴御はんのイラストや写真を使ったスナック菓子の制作、はたして成立するでしょうか⁈オリジナルスナック菓子は数量限定、期間限定になります。第1弾は2025年3月ぐらいかな? 製造&配布終了は2025年12月末を予定。※商品は季節ごとに変わります。例えばチョコは暑い時期には作りません。※サードゴールについては、慌てて企画したので、なにかと不備があるかもしれませんが、どんな場合でも真摯に対応させていただきますのでご容赦ください。限られた時間内で、本クラファンを最後まで楽しく盛り上げたいです。よろしくお願いいたします。鈴御はん もっと見る
セカンドゴール達成!
2024/10/22 22:21ありがとうありがとうありがとう!130万超のセカンドゴールを達成することができました!奈良の歌「京終にて...」のPV制作とJOYSOUND配信ができます!!!!♪りんごりんごりんご♪パールシティに乾杯♪京終にて...私のオリジナル昭和歌謡から、この3曲をJOYSOUNDに入れることができます!嬉しい!もちろん、ベストアルバムだって作れます。クラファンは明日が最終日まだまだよろしくお願いいたします!2024年10月22日 鈴御はん もっと見る
ほんとに良かったですね❣️頑張ってくださいね。また会いに行きます♪