理事長の戸川久美です。トラには、別種とまではいえないものの、生息場所により形態に変異が見られる「亜種」があります。20世紀初頭にはアジア広域に9亜種が生息していましたが、1940年代から1980年代の間に、バリトラ、カスピトラ、ジャワトラ、そして最近ではアモイトラの4亜種が絶滅してしまいました。父、戸川幸夫の著書「虎・この孤高なるもの」には、海軍報道班員としてバリ島に滞在した時のバリトラとの思い出が綴られています。****バリトラは1914年まではバリ島の森林内にたくさん生息していたのですが、毛皮利用とスポーツハンティングから1920年までに激減していました。1942年から43年にかけ、毎日新聞社に勤めていた幸夫は、海軍報道班員として、太平洋戦争勃発後の占領下のバリ島に、住民の生活などを調査するため何度も訪れています。ある時、分遣隊指令官の応接間に美しいトラの敷皮が敷かれてあったので指令官に尋ねると、デンバサル地区の王様が最近射止めたと言ってプレゼントしてくれたとのこと。あまりに熱心にその皮に見入っていた幸夫に、指令官はトラを撃った王様を紹介してくれ、王様は「トラはだいぶ少なくなりましたが、まだいますよ、あなたがお望みならトラ狩りにご招待いたしましょう」と誘ってくれたそうです。幸夫は狩りはしませんが野生のトラはぜひ見たいと思い、トラ狩りに参加させてほしいと頼みました。王様からは囮につかう水牛を置いてトラをおびき寄せ、トラが囮につくようになるのを確認してから巻き狩りをして撃つので、準備に1か月くらいかかると言われました。しばらくすると、トラが囮の水牛を殺した、5日後にトラ狩りをするから指令官と参加してほしいという案内が届きました。指令官に「戦争しているのにトラ狩りでもあるまい。だが、せっかくの案内を断るのも非礼だから君と甲板士官とで参加するように」と言われ、幸夫は狩りの日を待っていたのですが、いよいよ明後日がトラ狩りの日だという時、珊瑚海の開戦が勃発。そうなるとトラ狩りどころではなく、海軍報道班員として急遽、本隊に戻り任務に就く使命があります。幸夫は王様に挨拶する間もなく、飛行機に飛び乗り、本隊のあるジャワ島のスラバヤに戻ったという次第でした。****保護の手が加えられなかったバリトラは1940年代に絶滅したとされ、父もその後もついにバリトラをみることはかないませんでした。現在、野生のトラの生息地は南アジアと東南アジアの限られた一部の地域に大幅に縮小し、13カ国となってしまいました。その中でもカンボジア、ラオス、ベトナムではこの数年で野生のトラの姿を見ることが出来なくなったと言われています。(下記は、トラの生息域の変化を示した図で、赤は絶滅した地域、黄色は生息している地域となります)野生のトラの70%はインドに生息するベンガルトラです。人との衝突により危機にあるベンガルトラが、絶滅した4亜種と同じ運命をたどることのないよう、保護活動を続けていきたいと思います。