多くの方にご支援をいただきました。地域柄もあり、現金・振込での寄付も併せて募っていましたが、この度合計100%を達成することができました。
みなさまのご支援により、予算的理由で数回に分けて実施予定だった根への治療を一括で行うことができる想定となりました。
改めて、深くお礼申し上げます。
次の段階として、引き続きクラウドファンディングの目標達成を目指すとともに、向こう何年にも続く木の保守のための費用の確保を目指していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。
2024年9月20日
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自己紹介
初めまして。福島県二本松市の岩代地域で「合戦場のしだれ桜」の管理をしている合戦場のしだれ桜保存会の山﨑です。この度、クラウドファンディングに挑戦することとなりました。
稚拙な文章となりますが、ご一読・ご支援いただけますと幸いです。
福島県二本松市の里山と、樹齢200年のシンボルツリー
私たちの住む二本松市は1つの市と3つの町が合併しています。そのうちのひとつの町が、私たちの住む岩代地域(旧岩代町)です。東西に長い合併後の二本松市の地形のなかで、岩代地域は市街地から離れた里山や山村という印象を持たれる方が多いかと思います。かつては養蚕で栄えた土地ですが、年月と共に少子高齢化が進み、地域内には限界集落も点在します。
そんな地域には、1本の桜の木があります。それが合戦場のしだれ桜。
樹齢200年、三春の滝桜の孫と言われている個人所有(三浦喜徳郎邸)の木です。
この木は代々三浦家の皆さんが大事にされていて、
風で揺れる枝の下で地域の人が花見や酒盛りをするような、
地域の人にひっそりと愛される桜の木でした。
そんな『地域の木』に転機が訪れたのは平成10年。
週刊誌の週刊現代に見開きで掲載されたことをきっかけに、一躍有名観光地に上り詰めます。
春には、この桜を見るために遠方から訪れる人が年々増えていき、小さな里山に車の列ができました。
近隣の道の駅の名前の由来にもなり、この桜をモチーフにした商品も生まれました。多くの人がこの木を眺めるようになり、それと同時に岩代・二本松を訪れるきっかけにもなっていきました。
福島県の桜番付では『東の大関』と呼ばれ、岩代という地名を知らない人も、この桜ならば知っているという人は多いと思います。
春になれば県内の観光雑誌には必ずこの桜が載っていました。
我々の住む小さな里山を代表する『観光の顔』がこの桜です。
毎年、敷地内でさくら祭りが開催され、我々保存会も桜の周辺を賑やかにしようと菜の花を蒔き、環境を整備し、日替わりでシフトを組んで観光客の案内人を務めています。
「今年の合戦場はそろそろ咲くかな?」
「合戦場は咲いた?」
そんな言葉が、東北の里山特有の長い長い冬の終わりから聞こえ始め、
春の風が吹くと
「今日も合戦場の前の道は渋滞だったよ」
「すごいたくさんの人が来ているねぇ」
など、地域の中はこの桜の話題が尽きなくなります。
この木が人を呼び、地域が注目される。
堂々と咲き誇る姿は少子高齢化に悩む我々の故郷にとって、地域の誇りそのもの。
文字通り、地域に春を運んでくれる桜でした。
(2018の満開の様子。多くの人々・メディアがこの木を目当てに、二本松市・岩代地域に足を運んでくれました。)
樹勢の弱まり
今から10年ほど前よりこの木に異変が現れます。枯れ枝が少しずつ出始めたのです。
そして、令和3年頃より目に見えて樹勢が弱まり、
令和5年には枝が落ちる・急速に落葉するなどの異変が起きました。
私たちは、この間何もしていなかったわけではありません。
樹木医の先生に診断をお願いし、先生の指示のもと様々な対処を行ってきました。保存会の会員は全員が地元有志の集まりで、本業の傍ら協力をして作業を行なっています。桜まつりの期間は協力金箱を設置して観光客の方々からも温かい支援をいただいてきました。
少しずつでも良くなってくれれば。
……そう信じて、出来ることを続けるしかありませんでした。
しかし、
そんなある日、ついにこの木の景観に関わる大きな枝が自然に折れて落下してしまったのです。
(唐突に枝が落ちてしまいます。折れた枝の中身はパサパサ。現状の根っこでは、これまでの大ぶりな外観を維持することができない状態になっています。)
木の現状と下された診断、そして治療について
令和6年の春の桜の木の姿を見て、驚いた方も多かったと思います。
全盛期に比べ、花つきが悪く、まるで痩せ細ったかのような姿になってしまいました。今の桜の木からは数年前までは当たり前に観られていた、ふくよかに広がる枝と花が風に揺れる姿は想像できません。
(令和6年の春の満開の様子。)
木の根と枝は比例します。枝が落ちる、枯れるということは、地面の下ではそれと同じくらいの根がダメージを受けているということになります。
これまで植えてきた菜の花の場所を掘り返し、実際に土壌を掘ると、酸欠状態で弱った根が広がっていました。
土壌の調査のために土を掘りおこしているため、これまで育ててきた菜の花も咲いていません。
今回、樹木医から伝えられた診断は長年木に寄り添ってきた保存会や持ち主にとって過酷なものでした。(セカンドオピニオン実施済)
1つ、土壌改良に取り組むこと。
これだけの大木を支える根です。治療は広範囲に及びます。文字通り、木の根底である根の環境を整えてあげることが必要です。
2つ、枯れ枝を剪定し、木の負担を減らすこと。
枝が自然と枯れて落ちるということは、今の合戦場のしだれ桜はあの大きな姿を維持できていないということになります。高さを半分にし、枯れた枝を取り払ってあげることが必要です。
3つ、上記2つの治療をこれから3年をかけて集中して行い、根を活性化させる必要があること。治療をしなければ、樹木本体が枯れてしまう可能性がある。
これが今回の治療の内容でもあり、今回のクラウドファンディングで集めた資金で実施したいことになります。
このクラウドファンディングに取り組むまでの私たちの想い。
それでも木は生きている。
合戦場のしだれ桜保存会は、地域住民による有志の集まりです。それぞれ本業を抱えながらも、地域のために、木のためにと、周辺の草刈りや菜の花の種取り・種まきから育成、桜の開花時期の案内人、さくら回廊の木の手入れなど、1年を通して活動に取り組んでいます。
桜が咲いていない季節も、この木と共に歩んできました。木の小さな異変も見逃さず、毎月何かしらの作業で会員が集い、活動しています。
春は桜を想う観光客の皆様から協力金を頂戴し、活動に役立てさせていただいていました。
だからこそ、ここ数年は遠方からわざわざこの木を楽しみに見にきてくださった観光客の方には申し訳ない気持ちにもなりました。
しかし、一方で「どうすればよかったのだろう」という気持ちもあります。
過去10年間、決して何もしなかったわけではありません。
花が散って観光客が全くいない季節も、保存会の会員たちは時間を作って、
できる限りこの木に携わってきました。
それでもこんなに一気に弱ってしまうなんて……。
加えて、これだけの大木です。根は広範囲に及び、治療のお金はとても足りません。
その上、資金が集まって治療をしたとしても、枝をたくさん切らなければならない……。歴史を刻んできた枝を切るというのは私たちの心も同じくらい痛いことです。
果たして、このプロジェクトを実行する価値はあるのだろうかと狼狽えもしました。治療費が集まっても、高さも枝ぶりも大きく変わってしまうことでしょう。
200年をかけて育った木です。
数年で元に戻ることはなく、そもそも戻る確約もありません。
クラウドファンディングや寄付集めを継続して良いものか、話し合いも行われました。
しかし、今回改めて「集中した治療を3年間、行わなければ、枯れてしまう可能性がある」という診断も出ています。
今回の治療で剪定をし、残す予定の半分の高さの樹形の木ですら、死んでしまう恐れがあるのです。
つまり、合戦場のしだれ桜を保存し、未来にこの木を繋ぐ決断は今しかできない。
そんな中、花が散り、葉が出てくる時期になると、桜の木は幹から葉を伸ばし始めました。もちろんこれは樹木の状態としてはあまり好ましい状況ではありません。
しかし、一生懸命葉を伸ばそうとするその姿は、まさに生きようとしている植物の力そのものでもありました。
「見殺しにはできない、助けてやりたいんだ」
……話し合いの場で誰ともなく呟いたその一言で私たちの心は決まりました。
私たちにとってのこの桜の価値
岩代地域は二本松市の中でも、過疎化や高齢化が著しい場所でもあります。
これだけ目標金額が大きい中で、どれだけの人から想いを寄せていただけるのかは私たちも未知数です。
それでも、このプロジェクトで目指すのは「桜への恩返し」。
そして、「地域の誇りを未来へつなぐこと」。
長い間、地域を盛り上げ、文字通り春を運んできてくれたこの桜の木にできる精一杯の治療をしてあげたいのです。
持ち主の三浦さんがこの木を地域の観光資源にし故郷を賑わせたいと奔走したこと、
この桜を故郷の誇りだと感じてくれた方々、
毎年この木を見るのを楽しみにして下さったお客さま、
協力金箱に寄せられる皆さまのお気持ち、
我々保存会の想いが後世に続くよう、
私たちはこ『合戦場のしだれ桜』を繋いでいきたいと考えています。
このプロジェクトの結果はすぐに出るものではありません。
それでも、故郷のシンボルツリーを残すため、
どうぞ皆様のご寄付、ご協力のほど、よろしくお願いいたします。
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親桜『福田寺の糸桜』も樹勢の落ち込みの危機を乗り越えている
糸桜の名前の通り、長い枝が特徴の桜ですが、この福田寺の糸桜は、三春の滝桜の子供だと言われています。そして、合戦場のしだれ桜の親と言われている桜です。この木の剪定した枝を拾って植えたことが合戦場のしだれ桜の始まりと言われています。
この桜も、一時は樹勢の落ち込みが話題になりました。
日陰に佇むその姿は、痛々しいとさえ言われてもいました。しかし、写真の通り、現在は見事な花を咲かせています。これだけの大木の枝垂れ桜で、支柱が無い桜は珍しいそうです。
福田寺の糸桜は合戦場のしだれ桜から車で2分ほど。復活した親桜に続いて、合戦場のしだれ桜も復活すると願っています。
いわしろ桜回廊
合戦場を取り巻く『さくら回廊』。道の駅さくらの郷から、合戦場のしだれ桜までの約1.5kmにわたり、桜の道が続いています。合戦場のしだれ桜を中心に、地域に賑わいを生み出そうと整備された道と桜の木。私たち保存会も、長年手入れを行ってきました。小さく頼りなかった苗木たちが今は1本1本が美しく立派な木へと成長しつつあります。これまで様々な人・団体と協力して、合戦場のしだれ桜周辺を整備を続けてきたことは決して無駄ではなく、合戦場のしだれ桜そのものが長い療養期間に入った後も、地域に春を届けてくれる『つなぎ』になってくれると私たちは信じています。
令和6年のライトアップの様子
しだれ桜にあてるライトを減らし、オブジェを飾るなど木の負担を減らす方法で開催しました。今後も、木の負担を考慮しつつ、地域と連携していきたいと考えています。
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最後に
この桜がこれから受ける治療は、決して簡単なものではありません。それでも私たちは、諦めることができないのです。このプロジェクトの成果が出るのは、10年先、20年先の遠い日にになるかもしれませんが、是非皆さんに、小さな地域が支えた「復活の桜」と、それに連なるような岩代の桜回廊を見ていただきたいです。
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このプロジェクトの運営:合戦場のしだれ桜保存会
景観維持のため、通年活動をしています。活動はボランティアです。会員の高齢化も進んでいるため、令和6年度は周辺住民を更に加えた新体制で活動に取り組んでいます。
合戦場のしだれ桜の保存会の5代目会長当団体の代表、山﨑清志と申します。堂々と咲き誇る合戦場のしだれ桜のある岩代地域新殿地区で生まれ育ちました。子供の頃から、「お前のところにはいいものがあるなぁ、いいなぁ」と周囲から言われて育ち、桜の姿を当たり前の風景に感じる一方で、それが誇らしくもありました。保存会会長の役職に着任した3年前は、まさに樹勢の衰えが顕著になり出した時期で、戸惑わなかったかといえば嘘になりますが、地域の先輩が代々、保存会で活躍する背中を見ていたので断る選択肢はありませんでした。むしろ、「なんとか元の姿に戻してやりたい」という気持ちの方が強かったです。
どうぞ、私たちの故郷のシンボルツリーに皆様のお力をお貸しください。
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Q&A
Q.剪定をしすぎたために枯れたという話を聞いたが本当か?
A.樹勢が弱まった原因は複合的なものだと思われます。時代の変化とともに、木を取り巻く環境も変わりました。枝が減少していることについては、樹木医の指導のもとの伐採もありますが、自然落下も多発しています。
Q.裏の杉の木が日照を弱めているのでは?
A.現状で、杉の木が悪影響を与えているとは考えにくく、むしろ風よけの役目を果たしているなど、樹木医の先生からのアドバイスもいただいております。
Q.菜の花の数も減っているように思います
A.治療のため、土を掘り起こしていますので、木の周辺の菜の花も減少しています。
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スケジュール
10月 クラウドファンディング終了
11月~3月の間に土壌改良、枯枝剪定を実施する
※桜の木は葉や花がない時期に治療を行います。
返礼品について
返礼品は準備ができ次第、随時郵送を行います。
2025年春までに全ての発送が終了する予定です。
(お礼メールをお選びの場合は、配送物はありません。
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